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2015年1月31日 (土)

中国の人たちに知ってもらいたい話

 杉原千畝という外交官のお名前は聞いたことがあるのでは。第二次世界大戦中にリトアニアのクウチス領事館に赴任していた杉原さんが、ナチス・ドイツの迫害により、ポーランド等、欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。
 外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)発給して、およそ6000人にのぼる避難民を救ったことで知られている。
 
 その難民の多くがユダヤ系であったことで1986年に亡くなっているが、今でもユダヤの人たちから感謝されている人だ。
 
 ナチスはゲイの人たちのことも嫌っていて、多くのゲイの人達を虐殺している。密告によってゲイの人達が、あぶり出されたのであろうか。
 
 戦争は人間を狂気にする。恐ろしいことだ。終戦から70年になるそうだが、二度と戦争だけはしてもらいたくない。
 
 この話をあまり知っている人はいないだろう。中国の人たちに日本のことを感謝してもらいたい話だ。
 
 ぼくの祖父、伊藤富士雄の千人近い吉原の女郎さん達を救いだした話が載っている、中央公論社刊の『娼妓解放哀話』の中の話。
 
 明治5年6月のこと。横浜沖に碇泊した外国船があった。その船には大勢の中国人が乗っていた。その中の中国人のひとりが船員の眼を盗んで、同港に碇泊していた英国の軍艦に泳ぎついた。
 その中国人が艦長に「私どもは中国人ですが、南米ペルーの船が上海にやってきて、いい仕事があるから、船に働きにこないかというので、230人がやとわれて船に乗り込んでみると、船底に追い込まれて、ろくろく食べ物もくれません。水が欲しいというと、むちでひっぱたかれるという始末です。
 聞けば私どもは南米に連れて行かれ、そこで鉱山の仕事をさせるために、奴隷に売られるという話だ。なんとか助けてもらえないかと頼み込んだ。
 
 艦長はイギリスの公使に知らせたが、公使は中国人を解放するように忠告したのに、船長はその忠告を受入なかった。
 そこでやむをえず、イギリスの公使は、日本の外務省に頼み込んだ。外務大臣、副島種臣さんは、ただちに横浜で裁判を開かせ、「ペルー船長の行為は、奴隷売買で国際公法の禁を犯すものだ」と判決して、中国人230人を日本政府から、中国へ送り返してしまった。
 
 ところがペルーの政府は、この大江卓氏の判決に不服だと言って、日本政府に抗議を申し込んできた
 そこでロシアのニコラス皇帝を仲裁裁判長として、裁判のやり直しをすることになり、日本政府の委員6名と、ペルーの公使と共にロシアに出張して判決を受けたところ、ロシア皇帝は日本の行為をよしとして、ペルーの申し立てを非とする判決を下した。
 
 ところがペルー政府から依頼された弁護人は、裁判中に、こんなことを話した。
 
「奴隷売買が悪いということを日本政府から言われたくない。日本という国は公然と奴隷の売買をやっている国である。その奴隷は、もっとも残酷無慈悲な取り扱いを受けているではないか。その奴隷とは身代金で買い取られて、不道徳な行為をさせられている娼妓というもので、その数、じつに数万人に達しているではないか」と。」
 
 そのようなことがあって、日本政府も徐々に法律を改正して、お女郎さんが廃業できるようになっていったので、祖父たちが多くの女郎さんを救い出すことができたのだろう。
 すばやく事件を処理した、日本の外務大臣をほめていいのではなかろうか。
 
A
ロシアまで船で。なんとものんびりした話。
 
B
結婚当時の祖父と祖母
 
「文ちゃんと語る会」
2015年2月28日(土)夕方5時〜7時
「織部下北沢店」
〒155−0031 世田谷区北沢2−2−3 
TEL 03−5432−9068
 
女性も歓迎、ぜひ、お出かけください。

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コメント

初めましてm(_ _)m

私は『薔薇族』創刊号から購読していた者ですが、再々刊号の事は情報を得ていませんでしたので、購読していません!

小さな本屋さんで購入したのが懐かしいです!

伊藤文學様が記事を書いているのは知っていましたが、この度記事を遡って拝見いたしました。

ところで毛利晴一氏が主宰しておられた大阪の集会所【事務所?】には20代前半のときに数度行き、毛利氏の優しい人柄にお世話になった事が有ります。

確か金物屋さんか板金屋さんの2階に集会所が有って、行ったとき毛利氏は小さな机の前に座っていて笑顔で迎えて下さり、若者が数名 奥のテーブルでトランプに興じていて、来客は好感が持てる方と向かい合って話が出来るシステムで有ったと思います。

事務所を閉鎖後も毛利氏のお住まいの住所を聞いていましたので、年賀状を交換していましたが、数年後出した年賀状が戻って来ました。

その年賀状に「本人死亡」と書いてありました事を覚えています。

なお、私は伊藤様、武田肇様とは直接お会いした事は有りませんが、東京の中央線沿線にお住まいでした、スポーツクラブのお世話をされた方を、武田様との文通の中で紹介を受け、暫く交流が有りました。

第二書房から写真集が刊行された頃迄の交流でした。

なお、第二書房を知りましたのは、『薔薇族』が発行される前に単行本を5種類以上購入しましたが、探せば今も残っていると思います。

『ぼくどうして涙がでるの』も購入しましたが、確かグラビアの処に男の子が床かベッドの上で仰向けになっている写真が掲載されていたと思います。

この度はご高齢の伊藤様に連絡が出来る事を嬉しく思わさせて頂いています(^w^)

なお、記憶違いが有りましたらお詫び申し上げます。

寒さが厳しいおり、お身体を大切にされてお過ごしくださいませm(_ _)m

投稿: 中国地方在住者 | 2015年2月 1日 (日) 09時36分

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