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2015年3月30日 (月)

あまりにも豪華すぎる『深井美奈子全歌集』

 1950年、昭和25年のことだから、なんと65年前の話だ。今年は終戦から70年ということで、マスコミは米軍のB29爆撃機による東京大空襲の話などを取り上げている。
 
 終戦からわずか5年目の頃、ぼくは阿部正路君(当時は上野にあった学術会議の職員、のちに国学院大学教授となる。その頃は國學院大學の国文科の学生)と、都内十数校の短歌愛好者の大学生を集めて、大学歌人会を立ち上げた。
 
 事務所は当時、世田谷学園北沢1丁目1175番地のわが家、ぼくは駒沢大学国文科の学生だった。
 会員への通知はガリ版印刷で、今は少しは字をうまく書けるようになったが、当時はひどい悪筆。それでも事務的なことはひとりでやっていた。
 ぼくは催物などを考えるのが得意で、今、考えてもすごいなと思う企画を立てて成功させた。
 短歌の世界では、結社という組織があって、主催者がいて、雑誌を発行し、会員から会費を集めて運営している。
 
 その頃、詩人の江口榛一さんを招き、短歌討論会を催したのだ。
 司会は「樹木」主催の中野菊夫さん。講師に作家の中河與一さん(代表作・天の夕顔)「古今」主催の福田栄一さんを招いて、駒澤大学の渋谷校舎で多くの人を集めて催した。
 この催しは朝日新聞の学芸欄にとりあげられ、初めてぼくの名前が新聞にのった。創刊したばかりの角川書店刊行の「短歌」もくわしくとりあげてくれた。
 
 寺山修司くんが「短歌研究」で新人賞をとり話題になったときも、青森から早稲田大学に入学したばかりの寺山くんを招いて、「十代作品を批評する会」を1954年・12月11日に、共立女子大学の教室で催した。
 大学生で歌集を出すということは、経済的に無理なことだった。ぼくは考えて手のひらにのるような小さな歌集を出すことを思いついた。
 
 千部作って5千円かかる。当時、姉が東横デパートに就職しての月給が7千円だった。親父は5千円出してくれなかったが、姉が貯金をはたいて貸してくれた。それを一冊、10円で売ったのだが、全部売れて5千円を姉に返すことができた。
 
 ぼくの歌集は「渦」、友人の相沢一好君は「夜のうた」。こわいもの知らずで、歌壇のお偉方にも送ったが、みんなお礼状を送ってくれた、いい時代だった。
 
 ぼくの「渦」の序文は、昨年、高倉健さんと一緒に文化勲章を授賞した、万葉集研究の第一人者、中西進さんだからすごいことだ。
 中西進さんは再婚相手の久美子と結婚した折には仲人も引き受けてくれた。
 その後、続々と大学歌人会の仲間が小さな歌集を出し続けた。大学歌人会から手を引く頃に入会してきたのが、実践女子大学の深井美奈子さんで、昭和12年生まれとあるから、ぼくより5歳年下だ。
 
 小田急線の多摩川を越えた柿生の丘陵を大学歌人会で、歌会をかねて散歩したことがある。
 ぼくの先妻のミカも参加しているが、早稲田大学の角帽をかぶった、ふくよかな顔つきのかわいい少女が美奈子さんだ。
 青春そのものの写真が今でもぼくのアルバムに貼ってある。美奈子さんの祖父、お父さん、ご主人、息子さんもお医者さん。
 恐らくお金の苦労などしたことがない人だろう。角帽をかぶった美奈子さんは、年をとっても少女のままだ。美奈子さんの全歌集は、豪華、なにも作品を批評する気にはならない。

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