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2015年4月

2015年4月27日 (月)

『薔薇族』は有害な雑誌だ!

『薔薇族』は読者の批判的な投稿でも、ボツにしないで掲載し、それに対する返答を編集長のぼくがしてきました。
 名古屋市のKさんという、教師からの投稿で、かなり手厳しいものでした。
 
「読者のひとりとして、またひとりの田舎教師として、とくに不快で苦々しく思っていることを述べさせていただきます。
 どうしてこんなにまでして、学校やスポーツクラブを男色と結び付けなければならないのか。私は18年間、公立の中、高校に奉職し、またスポーツクラブの直接の指導者として若人と生活をともにしてきたものです。
 
 生徒とともに、時には喜び、時には涙を流してきました。御誌の小説(大変失礼ですが、内容がきわめて愚劣である)に書かれていることは、一度だって起きたことはないと断言できます。
 スポーツに熱中している生徒は高校生になっても、マスターベーションのことを知らないほどに純粋なのです。
 発表される小説は「これでもか、これでもか」というように内容、表現が決まってしまっている。あるのは動物的変態情欲のみである。事情を知らないヤングたちが読んだら、男色発生場所であると思うでしょう。(中略)
 私は読者として、教師として、学園と関連したものは、たとえどんなフィクションであるにせよ、載せないでもらいたい。
 最新号にも「高校生のつどい」などあったが、反吐を吐く思いがする。
 御誌ははっきりと成人向けのものであってほしい。きわめて有害な雑誌として警視庁風気係に訴えたい気持ちでいっぱいです。今後の編集をとくに考えていただきたいと思います。」
 
 このKさんという先生、読者と言われていますが、『薔薇族』を購読しているのは、何を求めていたのでしょうか。ぼくは長文の批判に答える記事を書いているが、長くて全部は載せられません。
 
「運動部の学生さんを男色と結びつけようなどと、毛頭も考えたことはありません。あなたの学校の生徒さんのように純粋にスポーツだけに熱中している人が多いのは決まっています。しかし、運動部の学生の中に読者が多いことも事実です。
 
 この頃の学生さんたちが、一番、精力の強い時でもあり、セックス抜きに考えることはできません。
 文通欄の呼びかけを読んでもお分かりの通り、相手の希望を殆どの人が「スポーツ刈り」で、筋肉質で運動部の学生のような」と呼びかけています。大部分の読者が、そういう若者を友達にしたいと願っているのです。
 
 あなたは『薔薇族』に掲載されている小説が愚劣であると言われます。ぼくはそれにも怒りを覚えるのです。
 運動部の学生が、しばしば小説に登場しますが、それは読者の理想像なのだから当然のことではないですか。
 動物的変態情欲のみなんて、よくも言えたものです。『薔薇族』の筆者たちにプロはひとりもいないし、みんな好きだから書いてくれている人たちです。
 『薔薇族』に掲載されている作品は素晴らしいとぼくは確信しています。
 運動部の学生たちが精力をもてあまして、相互オナニーをしたところで、女好きの人は自然と女好きになっていきます。
 ぼくは男女のセックスを描いたエロ雑誌と違って、青少年が『薔薇族』を読んで、女好きの人間が男好きになってしまうことがないだけに、ある意味で安心しているのです。
 男好きの人しか読まない雑誌だから、青少年に害を與えることは絶対にないと信じています。」
 
 とにかく難しい雑誌でした。
 
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スポーツマンタイプが好き!

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2015年4月25日 (土)

「夫に男の愛人」こんな投書がなくなる日が!

 ときどき電話をかけてくれるK君。有能なファッション・デザイナーで、有名な女性歌手の舞台衣装のデザインを手がけたこともある人だ。著作も多数あり。『薔薇族』にも、何度もファッションの話を載せてくれた。美輪明宏さんとの対談なども。
 
 最近、脳梗塞で倒れ、リハビリをしていたようで、呂律が回らないこともあったが、だいぶよくなってきたようだ。
 そんなK君から電話があって、「読売新聞」の「人生案内」にゲイの話が載っているよと教えてくれた。
 早速、店売所で購入して読んでみた。1980年の10月号(35年も前のこと)にも、ぼくは「伊藤文学のひとりごと」の欄で、「人生案内の無知を笑えない」という記事を書いている。
 
 そのときは作家の小山いと子さんが、結婚3年目で、一児の母である31歳の女性からの投書に答えている。
 
「ここ2年以上も性生活がない。先月は夫のかばんから男性ヌード写真を見つけてしまい、もしかしたら同性愛者だったのか、と裏切られたみじめな気分にもなりました。」
 
 その時代、ゲイのことに関して無知な小山さんを責めるのは、無理な話だった。「ご主人を性的不能だったなどとおっしゃいますが、それなら子供ができるはずはないじゃありませんか。」
 この時代、ゲイの男性は、女性と結婚しないわけにいかなかった。どれだけ努力して、奥さんとセックスしたことか。子供ができたら、奥さんとセックスしなくなる人は多かった。
 
 4月12日(日)の「読売新聞」の「人生案内」の見出しは「夫に男の愛人 10年間」とある。今回の相談相手は評論家の樋口恵子さんだ。
「60代の女性。男性と深い関係になり、家庭を顧みなかった夫を許せません。
 夫との間には2人の娘がいます。夫婦で頑張って家を購入し、人並みに幸せでした。ところが夫は60歳の頃から、飲み屋で知り合った男性と付き合い始めました。
 すると、金遣いが荒くなり、私が高熱を出しても、孫が入院しても愛人に夢中で、まったく気にしてくれなくなりました。何度も離婚を考えましたが、娘が2人とも嫁ぐ日までは、と我慢してきました。
 
 その後、ご主人と大げんかになり、夫は「悪かった、もうどこにも行かないから仲良くしよう」と身勝手なことを言います。
 早く別れるべきだったと後悔の日々を送っています。(福岡・K子)」
 
 樋口恵子さんの回答は、「今、あなたの堪忍袋の緒は切れかかっている。切れて当然だと思います」とあり、現在の同性愛に対する認識を記し、その上で別れることをすすめている。
 
「あなたの場合、夫君の相手が男性だったというだけで普通の浮気と考えれば良いと思います。家計に入れるべきお金を浪費し、妻を無視し、病気のあなたを放置した。どんなに夫婦仲が冷えていても、病気のときのいたわり合いは夫婦の最低原則だと思います。「婚姻を継続しがたい重大な事由」として、家庭裁判所に申し立ててみるのもいいでしょう」
 
 樋口さんは離婚をすすめてはいるが、ご主人があやまっているので、誓約書をとって同居を継続するか、決定権は完全にあなたにあると、判断を奥さんにまかせている。
 相手が女性だと、お金を入れあげることが多いだろうが、男の場合、男が仕事を持っていればそんなにお金はかからない。「普通の浮気」と一緒に考えるのはどうか。
 
 元々、女性が好きでないのに、結婚したのだから、病気だからって看病する気にならないのだろう。そろそろ、こんな女性からの相談事はなくなっていくのでは。
 
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2015年4月20日 (月)

萩本欽一さん、駒大の応援よろしく!

 大阪の「甲子園球場」を阪神フアンがうめつくした大声援の中で、DeNAは阪神に3連勝して、ついに単独首位におどりでた。
 ぼくは現在東京新聞と毎日新聞を購読しているが、スポーツ欄の下の方に小さくしかDeNAの記事は載らない。
 まだリーグ戦は始まったばかりだが、DeNAは、8勝4敗、巨人などは5勝7敗で4位だ。
 
 駒沢大学の後輩の中畑清監督がDeNAを率いるようになってからは、巨人フアンからDeNAフアンになってしまった。
 年に一度の駒大の同窓会に中畑さんは、いつも出席して、絶好調ぶりをしゃべり、同窓生にカツを入れる。
 
 ぼくは中畑さんと立ち話しかしたことがないが人柄が良い。テレビの時代、表情に変化のある中畑さんは絵になる。審判に抗議するときの迫力はものすごい。なぐりかからんばかりだ。
 今季のDeNAは、なによりも先発投手が安定している。中継ぎの投手たちもよくなった。打撃の面では、強打者がずらっと揃っている。
 三日間、DeNA、阪神のテレビ中継を見てしまったが、いい試合で見応えがあった。
 
 東京新聞の記事のしめくくりは、こんなことが記されている。「10日からは2位中日との直接対決に臨む。指揮官は「追われる立場は慣れていない。今までどおりの戦いをするだけだ」と意気込む。DeNAがセリーグの台風の目になりそうだ。」と。
 
 いつも負けてばかりだった選手たち。勝つことのよろこびを味わって、これからの戦いをすすめていけば、必ずや優勝するに違いない。
 
 数年前、ねむっているお金を投資して、もうけようとしたのが失敗。何十億というお金が消えてしまった。
 その責任をとって、理事長、理事、総長と駒沢大学の幹部は、総入れ替えされた。そんなことがあって、なんとなく駒大そのものが沈滞気味になっている。
 ぼくがお世話になった国文科は、国文学会が設立されて、年に一回、総会があり、大学院生の論文発表、他校から国文学の研究者を招いての講演があり、そのあと卒業生の懇親会が開かれる。
 
 最初の頃は、学生時代に教わった教授たちが退職してからも出席してくれて、楽しかったが、古い卒業生も出席しなくなってきて、ぼくが一番古い卒業生になっていた。
 それが学校からの援助で卒業生への切手代などが出ていたのが、節約で援助が打ち切られ、昨年から国文学会の活動はストップしてしまった。
 いつも懇親会には、青森の八戸から高校の先生だった女性が出席してくれて、名物のホヤのかんづめを持ってきてくれるのが、うれしかったが、もう、そんな出会もない。
 
 そんなときに、明るいニュースがとびこんできた。萩本欽一さん、欽ちゃんが70歳を過ぎて、駒沢大学の佛教学部に入学したというのだ。
 入学式の最前列に並んだ、欽ちゃん。多くのマスコミが押しかけて、駒大としても大きな宣伝になった。
 子供の数が少なくなってきて、定員割れする大学も増えてきているという。大学も広報に力を入れて宣伝しなければ、学生は集まらない。
 
 欽ちゃん、ボケ防止にと猛勉強しての入学だったそうだが、駒大野球部のユニフォームを着たいという。神宮球場に欽ちゃんがユニフォーム姿で現れたら、応援団も盛り上がるだろう。欽ちゃん頼むぜ!
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2015年4月18日 (土)

こんな歯科医院が、東京にあったなんて!

 大きなガラス窓越しに、素晴らしい日本庭園が見渡せる。こんな歯科医院なんて、都内のどこを探したってないだろう。
 歯の治療を受けながら、木々の緑を見られるのだから、自然と心がいやされるではないか。
 
 歌人の斎藤茂吉が、戦後、山形県の大石田から、長男の茂太さんが開業した、神経科医院に移ってきた。代田八幡宮のすぐそばの茂太さんの家からせせらぎが流れる桜並木の道を我が家に訪ねてきている。この「せせらぎ歯科」の前の道を通って。「せせらぎ歯科」の筋向かいは、歌手の中島みゆきさんの邸宅だ。
 
 4月2日、この日の、せせらぎ公園の桜は満開だった。一緒に住んでいる息子の嫁の智恵の息子、ぼくの孫だ。その孫が淡島幼稚園時代に知り合った母親たちは、ずっと付き合っていて、桜の咲く頃にお花見を毎年やっている。
 その中のひとりのお母さんが、昨日から開業した「せせらぎ歯科」の受付を手伝っていて、レントゲンは最新式で、器具を消毒する器具も最新式のものを備えているから、ぜひ歯が痛んだら行ってみたらということだ。
 その話を息子の嫁から聞いたとき、これだと思った。ぼくの奥歯を20年もお世話になっているS歯科で、何度か治療を受けていたときだった。
「最新式のレントゲン」この言葉から、決意するものがあった。どこがどのように悪いのか、はっきりと映れば、治療の仕方がわかってくるのではと思ったからだ。
 
 もうひとつ、医院を変えようと決意させたのは、ぼくの著書『ぼくどうして涙がでるの』を一昨年、復刊して出版した折に、ネットでコメントしてくれた、小児科外科医の言葉がずっと頭に残っていたからだ。
「今日はこういう本を読みました。ティッシュ・トート。つまり術中死を描いた闘病記ですね。
 現代の医療ではこういうことは起こりませんが、この本で描かれる家族の愛情や、病への患者の不安、病室内での患者の連帯の気持ち、そういったものは不変です。
 名著は不滅なんだなと心から感じました。」
 
「名著は不滅」と評してくれたのもうれしかったが、「現代の医療ではこういうことは起こりません」の断定的な言葉だ。
 妹が東京女子医大の心臓外科病棟に入院していたのは、昭和30年代のこと。心臓手術が初めてされたのは、確か昭和25年だ。
 妹と同室だった5歳の坊や、芳ちゃんは先天性のファロー四徴症という心臓奇形で、手術してすぐに亡くなってしまった。
 妹は長いこと入院していたので、その間に多くの患者たちがこの世を去った。その頃から数十年の年月が流れ、外科医たちの技術も格段の進化があり、それよりも医療器具の進歩はめざましいものがあった。
 
「こういうことは起こらない」小児外科の先生が言われるように、心臓手術で亡くなる人は、ほとんどいなくなってしまったのだ。
 医師の技術も優れていなければならないだろうが、最新式のレントゲンを使っているということは、治療の仕方を的確に把握できるというものだ。
 
 大きく鮮明に映し出された、ぼくの歯。どこがどのように痛んでいるのか理解できた。あとは先生におまかせするだけだ。
「東京都」が「東京市」と呼ばれていた時代は1943年前のことだ。その頃の市長さんの別荘だったのが、「せせらぎ歯科」の敷地だそうだ。こんな庭園があったなんて、高台で外から見えないので知らなかった。
 
 歯の治療を受けながら、すばらしい庭園を眺めることができるなんて、こんな贅沢なことってない。
 
・「せせらぎ歯科」〒155-0033 世田谷区代田2-1-16 TEL・03-6453-4503
 
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4月1日にオープンした「せせらぎ歯科」
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最新式のレントゲン
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目の前に見渡せる日本庭園
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残念! 梅の花は散っていた。

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2015年4月13日 (月)

『薔薇族』の読者からこんな話が!

『薔薇族』の読者から、こんな話を聞いたことがある。中年になってから温泉旅館に宿泊した折に、マッサージの人を呼んだことがあったそうだ。たまたまマッサージの男性がゲイの人で、股間をもまれて男の味を覚えてしまい、それからたびたび、そのマッサージの男性を呼んで楽しんだとか。
 
 自分がゲイであることも知らずに過ごし、こんなきっかけがあって、男が好きな人間だということを初めて知ったという人もいた。
 この投稿はゲイのマッサージの人からのもので、読者の中にはいろんな人がいた。
 
「長いことマッサージの治療をしていると、ずいぶん変わったお客さんがいるのに、びっくりさせられます。
 秋田県雄勝町にある、秋の宮温泉では、恐らく夫婦ではなく、特定の男女であろう。私が治療を始めると、男の人が女性の乳房を揉み始め、揉まれると女性が興奮する。すると男性が私の陰茎をしごきながら、女性とやれと言ってうながすのです。
 
 びっくりした私と、女性がやりはじめると、今までたたなかった男のシンボルがエレクトして、挿入が可能な状態になる。そこで私が終わると、自分がやるからと言って、女性と性交するというような方でした。
 このようなことが、一回ならまだしも、行くたんびに要求するのにはあきれてしまいました。
 
 また仙台から来た人と、千葉から来た人は、上半身は薄い肌着だが、下半身は何もつけず、治療をはじめると、後者は素っ裸になって、私にも裸になってやれと言ってくる始末。
 もしかしてセックスしたあとで、おどかされるのではないかと、内心ヒヤヒヤでまったく冷や汗ものでした。でも、それが取り越し苦労であったことがわかり、治療代のほかにチップまでいただいて、はじめてゆったりした気分になったのでした。
 
 私が『薔薇族』を読み始めたのは、マッサージよりも男性だけ(秋田の方言でヘノコ)だけをもませるお客さんから頂いてからで、そのとき初めてホモの道を知ったのです。たしかに、もみはじめると股を開いてやらせる男性が多いものです。
 
 東京での男の館の光景を思い浮かべると、からだがうずいて困ります。私の最初の体験は、15歳の春うららかな日、川原の土手沿いに歩いていると、倅がうずいてどうにもなりません。こすっているうちに気持ちがよくなってきて、見るともなく土手を見ると、モグラかねずみの出入りした手ごろな穴があるではありませんか。
 
 ふわふわしてやわらかそうだったので、パンツごと入れたら、気持いいのにびっくりしました。自分ひとりで、こんなにいい気持ちになれるんだと、今でもあまりに強烈で、頭がず〜んとしびれてきて、夢の中をとんでいるようです(秋田県・マラ好きヘノコ好き)」
 
 土手のモグラが掘った穴の中へ、息子を入れてマスターベーションしたなんて、のどかでいい風景ではないか。
 マッサージ師が、みんなこんなことをしているわけはないのは当然で、たまたまこんなことになったということだ。
 
 この時代にぼくが最初に刊行した、光風社書店(倒産してしまった)刊の『心が破けてしまいそう=親兄妹に言えない この苦しみはなんだ』は、昭和53年の発行で、今では考えられない、初刷が1万2000部も作っている。
 読者の投稿欄にも、この本を読んだという投稿が目につく。ネットなんてない時代、みんな本を読んでくれた、ありがたい時代でした。
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2015年4月11日 (土)

ませた少年がいたものだ!

「初体験は8歳です。本当の話です。相手は中学生でした。何をやったと思います? フェラチオとキスです。そいつはすでに女を知ってたんですね。女とやったことをぼくにやらせたわけです。
 ぼくは8歳、そいつは16歳。到底、ぼくの口ではふくみきれません。そいつ、それを無理に口へ押し込んでくるんです。
 吸え、なめろと言って。ぼくはされるまま、言うがままの行為をしました。そいつは天国へいきそうになると、ビニール袋をそえて、その中にザーメンを注ぎ込むんです。
 
 今、16歳です。ホモ道は8年間走ってきているわけですが、でも本当に走りだしたのは4年くらい前からです。ぼくは中学生時代に覚えるセンズリを8歳で知ってしまいました。でも白いものは出なかった。
 ところが小学生の5年くらいになると、出始めてきたのです。うれしくなっちゃって、それから2年間は、ものすごいセンズリをはじめました。1日に3、4回はざらでした。初めやるときって出ないんですね。それで5、6回ためして、だんだん時間がたつと、ある刺激が生ずる。
 そこをこらえてやれば天国へ。でも2年間やるとあきてしまいますね。そのころ図書館へ行って、ひっそり影をひそめている性教育の本を取り出して読んでました。ませていたんだな。
 
 中学へ入学すると、自分がホモだっていうことが自分自身でわかってきました。授業中にプレイしました。初めは両向かいのヤツの股ぐらに、そっと足を伸ばしてもんでやるんです。
 ぼくもやってもらった。ただやるだけで、ぼくのブリーフはぬれちゃいました。それがものたりなくなって、となりのヤツの股をズボンの上からもんだ。エレクトしてるんだ。胸がわくわくするんだ。するとオレのもエレクトする。そいつ、ああ、もれるっていうんだ。
 オレ、いいじゃないか。オレがあとでパンツ取り替えてやっからって言うんだ。でも、そういうのは数人だけど、今度はズボンのジッパーをおろして愛するんだ。それか、そいつのポケットを破ってやるとか。でも、ものたりないんだ。
 
 それでオレ、そいつの匂いをかぐんだ。いい匂いだぜ。うっとりしちゃう。しょうべん臭いのや、ザーメン臭いのや。そしてパンツを持ち上げて手をつっこむ。そして直接してやる。
 ねばねばした液が手のひらに伝う。ああ電気ショックを受けたようだ。
 卒業間近になると、ついにフェラチオをやった。人のいない部屋とか、学校の裏山で素っ裸でプレイ。40分間ぐらいやったんだ。それでオレは終わり。フェラチオをやったのはひとりだけ。そいつや、そいつらとも卒業してからはずっとやっていない。(山梨県・S)」
 
 鹿児島にいた頃の話のようだが、こんな元気な少年がいたとは。東京の少年にはいないのでは。
 『薔薇族』の初期の頃の投稿に目が向くのは、83歳のぼくのオチンチンが、オシッコをするだけのものになってしまっているからだ。
 男のオチンチンって、不思議な生きもので自分の意志では制御できない。勝手に動き出してしまう。
 
 中学生の頃だったろうか。女性ひとりで髪を刈っている理髪店に入ってしまった。若くて色っぽい女性で、顔が近づいてきたりすると、ぼくは欲情してしまった。
 そんなときのことまで思い出すようになるとは、ぼくも年をとってしまったものだ。
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2015年4月 6日 (月)

ゲイは日陰の花でいたほうがいい!

 4月1日の東京新聞朝刊の一面に「同性カップル条例成立 渋谷区が「結婚相当」証明書 性的少数者の人権尊重」の大きな見出しが。
 日本で初の画期的な条例だが、これは渋谷区に居住するカップルでしか適用されない。どこまでこの条例が広がっていくだろうか。
 
 1971年、『薔薇族』創刊後、数年しての№23に、「本屋の片隅で『薔薇族』を」という見出しで読者の投稿が載っている。批判的な投稿だ。
 
「近頃、御誌は何か「明るみに出よう、出よう」としているような気がしますが、これはわれわれにとって幸福なことでしょうか? 
 最近はマスコミでも、ホモを取り扱ったり、テレビ、映画にも登場します。ホモの存在が一般に知られるということは、ホモが理解されるということにはならない。かえってわれわれにとって住みにくい時代になってきたと思います。
 
 昔からホモの存在は一般に知られていました。しかし、それは一部のゲイボーイと呼ばれる女装の人々や、その他、特殊な人のことでした。少々、態度が女性的であっても、同僚に片思いをしても、別に何とも思われなかったような気がします。
 ホモとは特殊な人、自分の周囲にはいない特別な人という感じでした。現在では「あいつホモじゃないのか」とか、「オレはホモの趣味はないよ」など、会社でもそんな会話が聞かれます。つまりホモの存在が一般に知れ渡ったのだと思います。
 
 一般大衆は「感情」というより「本能」でホモを軽蔑し、憎悪しています。ホモを理解させようと、いくら理屈を並べても、一般人にとってわれわれは「変態性」「倒錯者」「オカマ」であり、「気味が悪い」「ヘドが出る」「ゾッとする」なのです。
 
 私は十何年か前、ホモであることが同僚に知れて、職を失いました。(中略)
「明るく、スカッと!」これは理想です。われわれが両親、兄弟、知人の前で「オレはホモだ」と、大声で言える日は、永久に来ないでしょう。それならば、いくら努力しても無駄ならば、なまじ明るい陽のあたるところへ出ようとしないで、あくまでも日陰の花として存在した方がいいのではないでしょうか?
 
 御誌がわれわれを少しでも明るく幸福にしようと、前向きの姿勢で取り組んでいることには感謝しています。
『薔薇族』は本屋の片隅に、ひっそりと置かれているほうが、ふさわしいのではないかと思います。」
 
 中年の一読者からの投稿だ。この方、今朝の東京新聞の記事を読まれたら、どう思うだろうか。
 
 同性カップルを「結婚に相当する関係」と認めて証明書を発行するという東京都渋谷区の条例、果たしてどのくらいのカップルが証明書をもらいにくるだろうか。証明書をもらいにいくためには、同性愛者であることを告げなければならない。
 証明書の効力は、家族向け区営住宅への入居、入院時の面会や、手術の同意書へのサイン、企業からの結婚祝い金の支給、とあるが、会社にゲイであることを知られてしまう。
 
 確かに条例が出来たことは、よろこばしいことなのだが、渋谷区に居住するゲイのカップル、レズビアンのカップルがどのくらい存在するだろうか。
 ゲイのカップルで、一緒に住んでいる人って意外と少ないのでは。住んでいたとしても、証明書をもらいたいと思うカップルはいないと思う。
 世の中、変わってきているから、分からないが、様子を見守るしかないのでは…。
 
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孫のような阿部君と、ぼく
(イラスト・tsugumi)

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2015年4月 4日 (土)

フランス製の香水をプレゼント!

 3月19日でぼくは83歳になってしまった。家族の者は誰も祝ってはくれない。80歳を過ぎれば、先が見えてきているから祝う気にもならないが…。
 
 4月には今年も世田谷学園の同期会を開く予定だが、昨年は親しい同期生が、何人か亡くなった。
 毎年、必ず顔を見せてくれていた同期生も歩行困難で寝込んでしまっている者、痴呆症になってしまって出席できない者もいる。
 今年は5、6人が出席できれば、よしとしなければ。
 太平洋戦争の末期の頃に入学し、毎日のように飛来するB29の空襲におびえ、食べ物もまったくない時代を生き抜いた仲間たち。
 元気な連中も、83歳、84歳になっている。今年は何人ぐらい集まってくれるだろうか。
 
 誕生日の日、ひとりで祝おうと、閉館間近の渋谷駅前東急プラザの9階、寿司屋で、大好きなお寿司を食べた。
 午後3時を過ぎているというのに、店内は満席、あと数日で閉館する東急プラザに名残を惜しんでのことだろう。テレビ局も取材に来ていた。
 5階のいつも通いつめた、カフエ「シャリマアル」で、赤いいちごののったケーキと、キリマンジャロで、ひとりで乾杯。さびしい誕生日を終えました。
 よくしてくれたカフエのおじさんと、地下のちりめんじゃこを売っているおばさんに、引き伸ばした写真にサインをして渡しました。
 
 3月28日(土)の夕方5時からの下北沢のカフエ「織部」での「文ちゃんと語る会」は、誕生日を祝う会とブログで予告していた。
 いつもは早めに織部に行くのが、その日は午後2時から、DeNA対ジャイアンツの試合の開幕2回戦がテレビ中継される。
 前日は4対3で惜しい負け方をしてしまったので、今日は負けられない。ぼくはずっとジャイアンツフアンだったのが、駒大の後輩の中畑清監督になってからは、DeNAフアンになってしまった。
 今年のDeNAは、今までとは違う。かなりいいところまで行くのでは。2試合連続で筒香選手がホームランを打ち、9点も入れたところで残念ながら織部へ。
 
 30分前なのに4、5人が来てくれていた。2月は5、6人だったのに、ぼくの誕生日を祝ってくれる人が、続々と集まってくれて、十数人に。
 織部の店長が、ボケ防止にいいというので、けん玉とシャンペンをサービスしてくれた。みんな心のこもったプレゼントだ。
 すぐ近所のイタリアン・トマトの10枚つづりのチケット。つらい疲れに効くゼナ。IKDの池田ふみ子さんが、ケーキ。
 初めて参加してくれた女性が二人も。女性が出席してくれることが、ぼくにとっては何よりものプレゼントだ。初めて出会う若い女性とおしゃべりすることは、年寄りにとって脳の刺激になるそうだから。
 
 年寄り臭くなるのは嫌なので、毎朝、ひげを剃り、爪も伸びないうちに切り、鼻毛も飛び出さないように注意している。
 シャツもクリーニング屋に出しているので古着ではあるけれど、いつもぱりっとしたシャツを着ている。
 ただ自分でわからないのは体臭だ。年をとると、自然とからだが臭くなるそうだ。いつも語る会に出席してくれている、かわいくて、眼のパッチリした女子大学生。今年、卒業してぼくの本を2冊も刊行してくれた彩流社に就職し、すでに働きはじめているようだ。
 その女性がなんとフランス製の香水をプレゼントしてくれた。香水なんてつけたことがないけれど、この香水をつけて、若返って見せるぞ!
 
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2015年4月 2日 (木)

4月25日(土)「文ちゃんと語る会 <渋谷区の同性カップル条例を考える>」開催

来る4月25日(土)、午後17時〜19時、「文ちゃんと語る会 <渋谷区の同性カップル条例を考える>」を開催します。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

日時・4月25日(土)午後17時~19時

場所・下北沢南口から4分、カフエ「織部」

(〒1550031 世田谷区北沢23 電話0354329068)

会費・コーヒー代のみ

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
初めての方、女性も大歓迎!
ぜひお気軽にお出かけください★

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