« 世界の果ての国の読者ってどんな人! | トップページ | 『薔薇族』にあった「少年の部屋」とはどんな? »

2015年5月25日 (月)

浅草に行ってストリップを見たい!

 吉原に遊びに行った話しならともかく、お女郎さんを苦界から救い出したという、祖父の話ばかりでは面白くない。
 お固い話の間にエッチな話も入れなければ、ぼくのブログを読み続けてはくれないだろう。
 
 もう51年も前になる。その頃、ぼくは「ナイト・ブックス」と名づけて、エロ本ばかりを次々と出し続けていた。
 森福二郎さんという、敗戦後、数年して映画館・浅草座に入社・昭和24年4月、ストリップ劇場に転向し、同座の支配人になった方だ。
『はだかの楽屋』という著書をぼくは出版している。読み返してみたら、それがじつに面白い。浅草に人があふれていた、良い時代の話だ。
 
「入場料40円。流行のお産映画とコミで「日本一小さいストリップ劇場は、オールカブりつき」というのが浅草座のうたい文句だった。
 踊り子はメリー梅園、エミー大和、アンナ小牧、ジプシー・ツヤのたった4人。バンドを入れる余裕もなく、全部レコードだった。
 ショウは約25分間、映画が20分、休憩15分を入れて、小一時間もすると、私たちはステージに駆け上がって、「さあ、一回の終わりだよ」と、お客さんを追い出す。
 
 当時のお客さんにすれば、白昼に女性のオッパイを見られるということは、オリンピック以上の魅力と、興奮をおぼえたのだろう。そしてその行列は、浅草座を一周りして、大勝館のほうにまで、延々と長蛇の列を作ったものである。」
 
 戦争が終わって平和な世の中になり、女性のオッパイを拝めるだけで、庶民は劇場につめかけたに違いない。
 踊り子さんをスカウトする話、面白い話は次から次へと登場する。
 作家の永井荷風先生が、楽屋に足繁く通ったという話は有名だ。
 森さんは、こんな作家の先生のことを書いている。
 
「作家の先生方が、お忍びでストリップ劇場に姿を見せるようになったのは、不思議と昭和27年(ぼくが駒大を卒業した年だ)に多い。
 室生犀星先生が、飄然と現れたのもやはり27年の6月、蒸し暑い日であった。客席にいる先生を私のところの文芸部員が見つけ出し、さっそく楽屋に案内したところ、先生はご満悦だった。
 
 それに当時、浅草座きっての読書家と言われた滝みどりが、はからずも先生の『あにいもうと』をはじめ、先生の詩集などの熱心な愛読者とわかって、二人の間で話がはずんだことも、先生を喜ばせたひとつの原因でもあったようだ。
 ストリップを見たのは、これで二度目だという先生は、再び客席で舞台を見終わってから「ちょっと疲れたね。あの子たちの私生活は? 給料は? みんな独身かね? それにしても彼女たちが舞台から客席に出てきて、お客に「からみ」をしたのには驚いたね」
 などと矢継ぎ早の質問を浴びせながらも、
「さっき楽屋で、ゆでたまごをひとつもらっちゃった」と、満足そうにふところから取り出して、「また、ゆっくり来るよ」の言葉を残して浅草の雑踏に消えていった。」
 
 ぼくがストリップに凝りだして、浅草に通いだしたのは、この話の頃から10年ぐらい経った頃だったろうか。
『薔薇族』を創刊してからは、立場上ストリップを観に行くわけにいかなかった。だが、もう自由な身になったのだから、浅草にストリップを観に行ってみようと思ったものの、今度はふところ具合が寂しくて、行かれないとは、なんとも情けない話ではないか。」
Unnamed

|

« 世界の果ての国の読者ってどんな人! | トップページ | 『薔薇族』にあった「少年の部屋」とはどんな? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/101967/61624530

この記事へのトラックバック一覧です: 浅草に行ってストリップを見たい!:

« 世界の果ての国の読者ってどんな人! | トップページ | 『薔薇族』にあった「少年の部屋」とはどんな? »