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2015年5月16日 (土)

貧しさと、無学の悲しさと!

「板橋遊郭の「平尾楼」で働いていた、花魁錦絲は、あるひ、計算長を見せてもらうと、500円の前借で稼ぎ始めて、3年の月日を経過したが、借金は800円に増えている。
 これはひどいと、自由廃業を決心したのはよいが、無学の悲しさに、どうすることもできない。
 なんでもいいから救世軍に駆け込めば、助けてくれるという一年で、大胆にもある晩、裏の板塀を乗り越えた。
 
 頑丈な忍び返し(泥棒よけに、塀の上などに、尖った木、竹、鉄片などを並べたもの)だと思って、それをふんばると、不意にぽきりと折れて、あべこべの久米仙が狭い小路へ宙返りをした。
 けれども気丈な錦絲は、起き返りさま、5,6間走ったと思うと、急に近所がさわがしくなって、『なんだ、なんだ、変な音がしたぞ!』と叫ぶ声が聞こえた。
 小道を表通りまででうと、電灯が明るいので、きっと捕らえられると思って、まごまごしているうちに、塀ぎわの大きなえのきの樹があるのを見た。
 幼いころ田舎で覚えた、木登り術で、するすると、その上によじ登って、青葉の繁みに身を隠していると、果たして裏門が開いて、番頭や妓夫が右往左往している。
 
 錦絲は度胸をすえて下を見ていると、車夫の提灯が、3つ、4つ、しきりに家の周囲を探している。
 とうとう夜が明けるまで、蚊に襲われながら木の上で我慢して、いよいよ大丈夫と、小路へ降りようとしたが、脚がぶるぶるとふるえ、目眩がしそう。
 用心しながら降りてきたとき、気がゆるんだのか、二間ばかりの高さから滑り落ちてしまった。
 
 気づいてみると、半時間以上、気絶していたらしい。びっこをひきひき夢中で走ってくると、向こうから辻車(人力車のこと)がきたので、それに乗って救世軍の本営にまで連れて行ってもらった。
 伊藤君はとりあえず、救世軍病院へ錦絲を送って、「申請者自ら出頭するにあたわざる自由ありと認るときは、この限りにあらず」という、取締り規則を盾に陳情書と、廃業届を板橋署へ持参して、苦もなく名簿削除ができたまではよかったが、4,5日経つと、板橋署の刑事巡査がきて、錦絲にすぐ出頭するように命じた。
 
 そこで伊藤君も一緒について行くと、もう貸座敷の女将もきていた。呼び出した理由は、錦絲が女将の指輪を盗んで逃げたというのである。
 係の警部の前で、2人が向き合った。一問一答の結果、この指輪は女将のものではなく、遊びに来た客が落として行ったらしいのを、錦絲が掃除中に拾って、女将に渡したものであることがわかった。
『ね、おかみさん、そうじゃありませんか。あのとき、私はまだ18歳未満で、店へ出られなかったんでしょう。だから、おかみさんがあの指輪を私にくださって……』
 錦絲がそこまで言うと、急に女将は青くなってしまった。つまり錦絲が年足らずで娼妓の許可がおりない前から、いろいろと機嫌をとって、規則を犯していたことが、バレそうになったので、女将はそれっきり黙ってしまった。」
 
 売春防止法が施行されたのは、1958年の4月1日のことだ。それまでお金でカワれて、人権無視もいいところで、女性は廓の経営者のいうままになっていたのだからひどい話だ。
 従軍慰安婦の問題にしても、「貧しさ」が根底にあるのだろう。
 
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イギリスの救世軍将校夫妻

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