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2015年6月 6日 (土)

人間、だれしも弱いものなのだ!

 1979年の『薔薇族』4月号に、ぼくは「死ぬなんて言わないで」という記事を書いたことがあった。読者の中には自殺してしまう若者が何人もいたからだ。
 3万人を越す年間の自殺者の数が減ってきているようだが、ゲイの人の自殺者の割合は多いのでは。
 ぼくの記事を読んだ、“福岡県の青少年をまもる者”さんが、「自殺に走る前に」という投稿を寄せてくれている。長い文章なので全文は載せられないが。
 
「私は幼少の頃から長い苦悩の果てに、20代の時ついに重症のノイローゼになり、街の精神病院や、大学の精神科を転々と4年間も入院生活を送ったんだんだよ。
 ノイローゼのあらゆる症状に心身ともにさいなまれ、苦痛のあまり大学病院の屋上から飛び降りようとしたけど、未遂に終わった。
 廃人同様になり、家人からも見放されてしまったんだよ。
 
 そんな私が現在まがりなりにも、人並みに生活できるようになったのは、ある精神分析医との出会いがあったからだ。この医師との愛と涙の長い苦闘があったわけだが、この体験は私の人生上、貴重なものとなっている。
 
 精神的に追い詰められた、ひとつの命が、死(自殺)のぎりぎりの線上で、もがきながらも生きることの意味と、大切さを医師の愛によって、少しずつ自分のものとしていった。まるでドキュメンタリー映画でも観るような劇的なシーンがあったんだ。
 
 私の少・青年時代は、まさに精神地獄そのものだったけど、人の愛によって救われた命、もう粗末にはできなくなったよ。それに私はこの貴重な体験をもって、同病者を救う義務があるのだ。それが医師への恩返しなのだ。
 
 ノイローゼのひどいときは、自分の命だもの死のうとどうしようと、自分勝手だと思った。でも自分の生命というものをよく考えて見ると、自分のもののようで、自分のものじゃないんだな。
 なぜなら、私は自分の意志で生まれてきたのじゃないし、この心臓や、脳を動かしているのは私じゃないからだ。つまり生命は自然のものなんだ。自然にこの世に生まれ出た命は、自然に大地に帰してやるのが、自然な姿じゃないのだろうか。(苦労しただけのことがあって、いいこと言うな。同感だ)
 
 君たちは不幸にして、幼少時、両親とくに父親から、この世の苦難のひとつ、ひとつに打ち勝っていく男としての強さや、忍耐力をもらうことができなかったのだ。
 男の子は父親を見本に、男としての強さやたくましさを自分のものとしていくものだ。ところがその父親自身が弱かったり、きびしいだけだったり、子に対する男親の愛のかけ方を知らなかったり、加えて母親が君に甘かったりする場合、君は人に順応、妥協できない、依頼心の強い、ささいな難事にもつまずき、苦しむ、活力のない弱々しい人間に育っていくのだ。
 
 最終的にはいつまでも苦しみの原因を、両親や社会のせいにしていても、それは自分に対する甘えにほかならず、君はこの甘えが苦しみを生み出す原因になっていることを、悟らなければならないのだよ。
 今の君たちはせめてその苦しみを自分ひとりのものとせず、誰かに相談することが、当面、君のする努力なのだ。とにかくひとりで悶々とする状態が、一番危険なのだ。
 
 君は「自分が弱いからダメだ」と悲観するが人間だれしも弱いものなんだよ。とにかく今の君は、この人はと思う人を信じて、真剣に相談することだ。」
 
 先輩が若い人に教える、アドバイスする、『薔薇族』のいいところだった。
 
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