『薔薇族』にあった「少年の部屋」とはどんな?
『薔薇族』には「少年の部屋」という中・高生からの投稿コーナーがあった。中学生からの投稿は少なく、ほとんどは高校生からのものだ。
本人が自分は同性愛者だということを自覚しはじめていた年頃だろう。ネットなんていうものがない時代、今の少年よりも文章力があって、自分の考えを長文で投稿してくる高校生が多かった。
今、こんな高校生からの投稿を載せるなんていうことはできないだろうが、ある意味でいい時代だったのでは……。
1988年の9月号、内藤ルネさんの表紙絵で、きりっとした少年が描かれている。
鳥取県のP・S君からの投稿だ。
「僕は高校生で、もうすぐ18歳になるけど、子供っぽいので中学生によく見られます。
僕がこの雑誌を初めて知ったのは、ついこの前。勇気を出して買ったんだけど、僕と同じ年ぐらいの中学生や、高校生がたくさんいて少しびっくりしちゃいました。
僕が男の人を好きになったのは、小学生のころからだと思います。あのころからガキっぽかった僕は、いつも誰もいない野球場で、目隠しさせられて、友達のオナニーをやらされていました。
その人は強かったので、いやとは言えず仕方なくやっていました。こんなこともありました。友達のA君の家に、B君と行ったとき、遊び疲れた僕は、A君のベッドで眠ってしまい、目が覚めるとA君は買い物に行って、B君が僕のアソコをなぜていて、アソコはビンビンになっちゃってた。
B君は僕が目を覚ましたのを知ると、自分の硬くなったアソコを僕の口に向けて「なめてーや」と言ってきました。
僕は「やだっ」と言って断ると、いきなり口に入れてきました。いつの間にか僕はB君のをなめていました。
B君は気持ちよさそうにしていて、しばらくすると僕の頭をおさえました。B君は僕の口に精液を出しました。僕はすぐに口を洗いに台所に行った。そのときはオシッコだと思ったのです。
中学生のころは、2,3人にフェラチオをさせられていた。たぶんB君が「気持ちいいからやってもらえ」とか言ったんだろうと思う。
僕の学校には明るいホモの奴とかもいた。修学旅行で風呂に入るとき、ふざけあって先生もいるのに、C君がD君のアソコをペロペロしていた。
それからベッドで寝ていたら、また「おまえのチンポなめてやるけ、おれのもなめて」と言ってきた。あとは書かなくても、分かると思います。」
27年前の鳥取の高校生の話。今ではいい親父さんになっていると思うけど、どんな人生を送っているのだろうか。
ぼくは中学生、大学生の頃にもそんな経験はまったくない。戦争中から敗戦後の食糧難の時代、大学に入ってからオナニーを覚えたぐらいだから……。
「ラブオイル校長」とあだ名が付いて、修学旅行におもむく高校生を前にして、男子生徒にラブオイルをもたせた、ビデオのワンシーンを思い出す。
空襲が激しくなってきて、修学旅行にも行けなかった時代に育ったぼく。今の子供たちは幸せだ。
それは敗戦後、平和な時代が70年も続いたからで、なんとしても戦争に巻き込まれないようにしなくては。
ぼくが生まれた表参道、敗戦間際の5月の末にB29の空爆により多数の死者を出したようだ。今住んでいる代沢は焼けないところが多かったので、死体を見ることはなかった。いつまでも平和が続いてほしいものだ。
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