« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »

2015年7月

2015年7月27日 (月)

戦争をしたら、こうなるんだということを伝えたい!

 音楽文化研究家の長田暁二君は駒沢大学の誇りといえる人だ。ぼくよりも2歳も年上の85歳だが、同期の友人だ。
 最近、刊行された『戦争が遺した歌』が話題になっている。
 東京新聞の文化欄に、「目背けず謙虚に語れ・戦争が遺した歌、253曲を解説」の見出しで、大きく紹介された。
 
 長田くんは70年前の夏、海軍の志願兵に採用されたが、入隊の日が8月17日で、日本は8月15日に連合軍に無条件降伏していたので死なずにすんだのだ。
 ぼくは敗戦の年が中学1年生、2年生より上は軍需工場で働かせられて、学校にいるのは1年生だけだ。
 朝礼の時に予科練などに入隊する上級生が壇上に上がって挨拶し、1年生の前で別れを告げ、送り出していた。
 
 その頃、世田谷学園には教官室があり、少尉と下士官の二人がいて、校長よりも権力を持っていた。教官室の前を通るときは、恐恐通ったものだ。
 行進の練習ばかりさせられて、軍歌を歌いながら歩く。長田くんは軍歌の全曲を口ずさめるというが、ぼくもかなりの軍歌を歌うことができる。軍部は戦意高揚のために、軍歌を作らせて歌わせた。
 
「戦争はどのような音楽を生み出したのか。その問いに答えてくれる本が、音楽文化研究家の長田暁二さんが刊行した『戦争が遺した歌』だ。
 軍歌はもちろん、戦地の兵士らが好んだ兵隊ソング、銃後の少国民たちが使った愛唱歌など二百五十三曲に詳細な解説を付け、歌詞と楽譜を網羅した。
 自らも軍国教育を受け、全曲を口ずさめるという長田さんは「戦時中がどんな時代で、戦争とはどういうものか、歌を通じてわかってほしい」と語る。」
 
 長田君は岡山の出身なので、駒大の校門の横にあった木造の古びた学生寮に下宿していた。長田君は児童教育部の部長、ぼくは文芸部の部長、文化部の予算が15万ほどあって、いくつかのクラブがそれを取り合う会議が、夜遅くまで開かれる。その席で長田君とは知り合った。
 
 文芸部は1万円を獲得したが、当時の1万円はかなり使い手があった。雑誌を出し、年に2回ほど旅行にも行けた。やすい旅館は1泊2食付きで500円。5,6人で湯河原などにも行った記憶がある。なににお金を使ったかを報告することもない。いい時代だ。
 
 長田君は卒業後、キングレコードに入社しディレクターとして活躍していた。第二書房の製本屋が護国寺のそばにあったので、スクーターを走らせて、護国寺通りにあった長田君の職場にアポなしでよく立ち寄った。
 キングレコードの作詞や、作曲家が談合している部屋で話をしたが、いつも帰る時にレコードを何枚も持たせてくれた。
 その頃のレコードは大きく、デザインもいいので、カフエの壁に飾ったこともあった。
 
 ぼくと妹で出版した『ぼくどうして涙がでるの』が、大ヒットして日活で映画化されることになった。
 主題歌をレコード化してほしいと、長田君に話をもちかけたら、すぐにOKしてくれた。ディレクターってすごい権限を持っている。
 ぼくが作詞して、横井弘さんという有名な作詞家が補作してくれ、鎌田俊与さんが作曲、ヴォーチェ・アンジェリカのコーラスグループが歌ってくれた。
 
 映画のタイトルが映しだされ、そのバックに歌声が流れる。最高にいい気分だった。
 いい友だちをもてて幸せだ。高い本だけどなんとしても購入しなければ……。
 
Imgbig_7075526c46d14221831678dfcbad
コーラスグループに注文をつける長田君
 
Imgbig_782f4f7eb2c24995b33b15ca18fb
キングレコードの吹込所での長田君

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月25日 (土)

「伊藤文学のひとりごと」千回達成!

「こんにちは。このたび7月18日(土)更新のブログ記事『法律が改正されようとも、少年愛者よ強く生きよう!』をもちまして、ついに更新千回を達成されました。
 おめでとうございます。とうとうやりましたね! 私としても大変喜ばしく感じております。まずは心ばかりのお祝いまで。」
 の手紙がそえられて、なんとぼくが毎朝、大根おろしの上にのせて食べている、ちりめんじゃこが箱に入れて送られてきたではないか。
 
 閉館した渋谷東急プラザの、地下の食品売り場で買っていた、ちりめんじゃこは、かたからず、やわらかずで食べやすかった。
 閉館してからは仕方がなくスーパーで買っているが、乾燥しすぎていて、かたくておいしくなかった。S君、どこで見つけてきたのか。適当なかたさでおいしかった。
 
 ここ数年、ネットを触れないぼくのためにボランティアでブログを更新してくれているS君。原稿用紙4枚に、ひとつのテーマでまとめて書き、郵便で送ると、土曜日と月曜日に更新してくれる。お礼をしなければならないのはぼくの方なのに、感謝してもしきれない。
 
 11年ほど前に『薔薇族』が廃刊になってしまい、文章を書いても載せる場がなくなってしまった。
 虚脱状態でいたぼくに声をかけてくれたのは、一緒に住んでいる息子の嫁、智恵だった。「原稿用紙に書いてくれれば、ネットで見れるようにしますから」と、言ってくれた。嫁が勤めにでるようになってしまい、できないと言われてしまった。
 
 もう諦めていたら、手を差し伸べてくれたのが、出版関係の業界紙「新文化」に勤めていて、記者をやっていた<S>君。『薔薇族』のことを何度も記事にしてくれた人だ。全身にいれずみをいれている変わった男だ。
 <S>君も事情があって続けられなくなり、次に手助けしてくれたのは、古本屋のM君。なにしろボランティアなのだから、体調が悪くて続けられないと言われては仕方がない。
 
 もう駄目かと、困り果てていたときに、作家の森茉莉さんが、毎日のように通っていたカフエ「邪宗門」で出会ったのが、S君だ。
 近所に住んでいたので、毎土曜日にたずねてきてくれて、動画でぼくのおしゃべりをネットで見られるようにしてくれて好評だった。
 
 S君が親元を離れ、新宿に下宿するようになってから、原稿は郵送している。自分で更新できる人なら、長い文章でなければ毎日でも更新している人は、いくらでもいるだろう。
 自分でネットを触れなくて、原稿用紙4枚にひとつのテーマで書くと、好意的に他人さまが更新してくれる。
 そんなぼくが書き続けて千回達成というのは、快挙と誇ってもいいだろう。それに「伊藤文学のひとりごと」の中から選び出して『やらないか!』という本も出版している。
 この本を出せたのは、ぼくのブログを見てくれているひとりの女性が、全部紙焼きにしてくれたからだ。
 
 何にもの人が、ぼくを手助けしてくれたので、千回を達成できたのだ。それになによりも、ぼくのブログを多くの人が見てくれているから続けられた。最初から見続けてくれている人もいるかもしれない。
 
 ひとり、ひとりに、できるものなら、お会いして話がしてみたい。今ではブログを書き続けることがぼくの生き甲斐になっている。何を書こうかと、いつも考えている。それがボケずにいられる薬のようなものなのだ。
 
Imgbig_fd3171a353944b64a7aa740e6c83
千回達成の陰の力は『薔薇族』

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2015年7月20日 (月)

シモキタは、どんな街になっていくのか!

『シモキタらしさのDNA=「暮らしたい訪れたい」まちの未来をひらく』が刊行された。
 帯には「下北沢の何がそんなに人を惹きつけるのか? このまちに献身したジャーナリストと、まちの良さを守るために立ち上がった建築家が読み解く下北沢のいままでとこれから、その磁力の秘密」とあるが、このキャッチフレーズは何年も前の下北沢のことで、残念ながら今の下北沢には当てはまらない。
 
 献身したというジャーナリストの高橋ユリカさんとは、一昨年、カフエ「つゆ艸」のカウンターにとなりあわせて、おしゃべりしたことがあった。
 偶然にもぼくが住んでいるマンションのとなりの同じ大家さんのマンションに住んでいるということだった。
 
 高橋ユリカさんは、文化出版局を経てフリーのライターとして活躍してこられたが、長年の闘病生活の後、2014年8月に逝去されている。この本の完成を見ずに亡くなられてしまった。
 小林正美さんという建築家と組んで、この本に心血を注いでこられたのだろう。小さなお店の写真まで入れて、すみからすみまで下北沢の街を調べあげている。
 
 先日、毎週必ず観るようにしている、テレビ東京の村上龍さん司会の「カンブリア宮殿」に、東急電鉄の社長の野本弘文さんが登場していた。
 大きな企業のトップの存在は、社長の力量で決まると言っていいだろう。ぼくは東急バスの車庫のある「淡島」という停留所のすぐそばに住んでいる。以前は下北沢の駅の近くに住んでいたので、新宿や、渋谷に出ることが多かったが、今は若林折返所と渋谷を結ぶバスで渋谷へ出ることが多くなっている。渋谷行きのバスは、3分おきくらいで運行されている。小田急バスも経堂から渋谷に行くバスがあるが、10分おきぐらいだ。
 
 渋谷の街は、今や東急天国だ。西武デパートが、「不思議大好き」なんていうキャッチフレーズで元気な時代があり、パルコを何店も出していた頃はよかったが、今はその面影もない。
 野本社長は東急系列の赤字会社を数年で黒字化して、何年か前に東急電鉄の社長になられたようだ。
 
 今、渋谷は大きく変わろうとしている。高層ビルが立ち並び、その屋上に展望台を作り、東京の街が一望できるようにして、渋谷の名所にするようだ。
 野本社長は人口が減っていく東京を見据えている。電車に乗る人が少なくなるのは当然だが、魅力のある街にすれば、月に一回しか出てこない人も、月に何回も訪れるようにすれば、人口が減っても気にならない。
 
 東急沿線に住んでいる人は、こんな偉大な社長がいるのだから幸せだ。小田急電鉄の社長、京王電鉄の社長って、どんな人なのだろう。下北沢の街の将来を考えてくれているのか。まったく顔が見えない。
 下北沢の駅を地下深く潜らしてしまったのは失敗だったと街の古老は言う。電車から街が見えないと、街が発展しないのだと。
 小田急線から、京王線に乗り換えるのは、長いエスカレーターに何度も乗り換えなければならない。若い人はなんでもないだろうが年寄りには苦痛だ。
 
 若者が住みたい街の一位だったこともある下北沢も、今は、10位にも入らない。商店街もチェーン店ばかりになって、個人商店は家賃が高いので、どんどんつぶれている。
 83年も下北沢に住んでいるぼくから見ると、しょぼくれた街になっていくように見える。
 下北沢はこれからどんな街になっていくのか?
 
Unnamed

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月18日 (土)

法律が改正されようとも、少年愛者よ強く生きよう!

 7月15日、恐れていた日がやってきた。
 今朝の東京新聞に、こんな記事が載っている。
「児童ポルノ所持も処罰・きょうから適用対象」の見出しで。
 
「児童買春・ポルノ禁止法の改正により、個人が趣味で児童ポルノの写真や、映像を持つ「単純所持」が十五日から罰則の適用対象となった。昨年七月の改正法の施行から一年間の猶予を設け、警察当局は所有者に児童ポルノの処分を促してきた」
「日本は先進七カ国(G7)の中で、唯一、単純所持が黙認され、「児童ポルノ天国」との批判を受けていたことが改正法のきっかけとなった。」
 
「しばらくぶりにかかってきた電話」というタイトルで『薔薇族』の少年愛者が、この法律が適用されることを心配して電話をかけてきたときのことを書いたが、
「心配することはないよ。君がそうした写真を持っていることを知っている人がいるの?」と聞いたとき、「そんな人はいない」と言っていた。「それなら心配することはないよ」と、ぼくはこたえた。14日のことだ。心配で心配でどうにもならなかったのだろう。何度も電話をかけてきた。
 
 15日から罰則の適用対象となるということで、全国の少年愛者、少女愛者が不安な気持ちになっていることは間違いない。
 新聞記者までが、少年愛者のことをなんにも知らないで、「個人が趣味」でと記事に書くぐらいだから、この法律を改正した議員のみなさんも、各国からの批判をかわすために法律をなんにも知らずに改正してしまったのだろう。
 
 何度も何度も、ぼくに電話をかけてくる少年愛者の人、読者の中には被害妄想にかかりやすい人が多い。
 いくら電話をかけてきた人に「心配するな」と言い聞かせても、すでに被害妄想が強くなってきているから、妄想はエスカレートするばかりだろう。
 
 この1年、写真やDVDの廃棄依頼が急増したと、大阪市の児童ポルノ事件の弁護を多く手がけてきた弁護士さんが語っているというが、なんで廃棄を弁護士さんに頼むのか。
 廃棄した人もいるだろうが、廃棄しない人がほとんどだと、ぼくは思う。写真や、映像を観ることによって、心が休まるのであって、そんなに簡単にすべてを捨ててしまったら、ストレスが溜まってしまうだろう。
 
 ぼくは日本で最初の『少年たち』という写真集を出版したが、これが最初で最後の本だ。この本にたずさわった人の被害妄想に驚いた経験がある。恐ろしい思いをした。
 
「児童ポルノ事件・摘発と被害児童数」が図で描かれているが、2000年頃からみると、2014年には、摘発件数は1800件、被害児童数は、800人にも及んでいる。
 さて、この法律がきびしく改正されたことによって、犯罪は減るだろうか。しばらくは減るかもしれないが、徐々にかえって増えてくるような気がする。
 人間って欲望には弱いものだから。
 各国の批判で、法律は改正されたが、他の6つの先進国は、少年愛者の犯罪が減っているのだろうか。
 人間の欲望を抑えることに、日夜、神に祈りを捧げている、カソリックの牧師さんですら、少年に手を出して問題になっているのだから……。
 
 本当に人間って、欲望の前には弱い。ぼく自身もそうだ。ぼくは毎日、時代劇にはまっているが、どの作品も人間の金銭欲にからんだ話ばかりだ。
 警察も所持しているだけで、逮捕なんかしない。少年愛の人たち、心配しないで強く生きよう!
 
Imgbig_9519d6d189604c1196da2e31b7c9

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月13日 (月)

見たもの、感じたものをそのまま!

 戦後まもなくの昭和23年に、父が株式会社第二書房を創業した頃のことだ。百田宗治さんという詩人の本「小学生詩の話」を父が出版したことがあった。
 その頃のぼくは駒大に通っていた。その本の中に「見たもの・感じたものを素直に表現しなさい」と、言うようなことが書かれていた。
 
 ぼくはその言葉を生涯守ってきたように思う。なぜか、ぼくは人さまの書いた本をあまり読まなくなってしまった。
 83歳になった今、考えてみてもその原因は分からないが、要するに頭が悪くて理解力がないので、難しい本は敬遠してしまったということか。
 ろくでなし子さんの書いた本『わたしのからだはワイセツか?!』のような本は、易しい文章で書いてあるので、一気に読むことができたが。
 
 澁澤龍彦さん訳の『O嬢の物語』などは、いまだに読みきっていない。三島由紀夫さんの『禁色』も書棚にねむったままだ。
 そんなぼくでも10数冊の本を出版することができた。1971年に日本で最初の同性愛誌『薔薇族』を創刊し、35年間、出し続け、少しは同性愛の人たちの心の支えにはなったが、『薔薇族』を創刊する数年前に、妹の紀子と共著で『ぼくどうして涙がでるの』を出版し、心臓を病む人たちのためにも、少しは役立つことができた。
 
 ひとりで大声を出して叫んでもどうにもならない。出版の仕事をしてきたから、マスコミの力を借りるということは知っていた。
 マスコミを利用しようなどという下心があったなら、そんなことはすぐに見透かされてしまう。
 50数年前のマスコミの力は偉大だった。とくに朝日新聞の影響力は絶大だった。
 
 昭和37年10月3日の朝日新聞の「読者のひろば」に、ぼくの「妹に激励の手紙」の投稿文が載らなかったら、『ぼくどうして涙がでるの』の本も生まれなかっただろうし、昭和40年(1965年)の芸術祭参加作品の日活映画『ぼくどうして涙がでるの』の映画も製作されることはなかっただろう。
 
 当時の新聞、雑誌のスクラップ帳をめくっていくと、昭和37年12月25日の朝日新聞には「紀子さん、よかったね・心臓手術、無事終わる」の大きな記事が……。
 さあ、それからその記事を読んだ、各マスコミへと波紋は大きくひろがっていく。
 まず「女性自身」そして「少女フレンド」「マーガレット」月刊誌の「美しい女性」そして今度はテレビ、東海テレビが川口知子さん主演で、シャープ月曜劇場に。
 NHKのラジオ・ドラマに。そして日活で映画化。文部省選定・青少年映画審議会推薦・中央児童福祉協議会推薦となり、映画はヒットし、本はベストセラーになった。
 
 日活で映画化されてから、なんと50年になる。それを記念してこの映画をみなさんに見てもらおうと企画した。
 
 8月22日(土)11時30分開場・12時開演
 場所は〒155-0032 世田谷区代沢5-30-10 アール下北沢2F
「art R'eG cafe」(電話03-6413-8588)
 飲み放題・食べ放題・サイン本進呈・会費¥5000 
 下北沢南口下車 徒歩5分。
 
 ぜひ、感動的な映画を見に来てください。『ぼくどうして涙がでるの』は、百田さんの教えのとおり、見たまま、感じたものを書いていて、フィクションはまったくない。
 死に直面してつづった妹の日記は胸はうつ。「読売新聞」が「甘やいだ文章にもかかわらず、ドキュメントには珍しい文学性が全編にキラキラしていて、不思議な感動をよぶ書物である。」と、うれしかった。
 
Img_1390
NHKでラジオドラマ化されたときの十朱幸代さんと妹・紀子とぼく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月11日 (土)

珍しくかかってきた電話!

 今日、珍しく電話が鳴って、『薔薇族』の読者だった少年愛の人から連絡があった。
 ぼくは忘れてしまっていたが、前にも電話をかけてくれた人のようだ。いまどきは電話をかけるという習慣がない人が多くなっている。メールなんて便利なものがあるからだ。
 
 何年か前に出会った女性から、携帯電話で少年の写真を次から次へと見せてもらったことがある。その中には外人さんの子供の写真もあった。
 ネットを見て取り込んだコレクションだ。ぼくはネットなどのぞいたことがないから、今でも少年や、少女の裸像が見れるのかは知らない。規制がきびしくなってきているから難しいのだろうが、世の中には自分の所持しているお宝をネットで公開して、自慢したい人もいるだろうし、これらは姿を消すことはないのでは……。
 
 電話をかけてくれた男性、彼もネットから取り込んだ少年の写真をコレクションしているようだ。
 子供のわいせつな写真を個人で観賞用に保管するなども「単純所持」として、新たに禁止する改正児童ポルノ法が、国会で成立してしまった。
 所持している人に自主的に廃棄を促すために1年間は罰則を適用しないと定めていた。その1年がたちまちのうちに過ぎて、適用されることになってしまうのを恐れての電話だ。
 
 少年や、少女を強姦してしまうような写真は被害者のことを考えれば、ネット上からもなくさなければならないのは当然のことだ。
 ただ、自然な少年や、少女の裸の写真は別だ。ぼくだって、息子たちが子供の頃は、裸の写真をよく撮ったものだ。
 今、ぼくは時代劇にはまりこんでいるが、劇中に少年たちが水遊びしたり、裸で飛び回っている映像が出てくる。そんなものまで規制するようになったら、行き過ぎもいいところだ。
 
 少年愛者も、少女愛者も、そのようなものを見ることによって、自らの欲望を抑えているに違いないのだ。
 警察だって、法律が改正されたからって、少年や、少女の写真を持っていてもすぐさま、家の中にふみこんで、押収したり逮捕するなんてことはしない。
 しかし、少年や、少女を愛するごく一部の人間が行動をおこしてしまって、少女を車に乗せて誘拐したりする男がいるから、困ったものだ。そんな男を逮捕すれば、自宅を家宅捜査するのは当然のことだ。
 
 ひとにぎりの人間のお陰で、多くの少年愛者、少女愛者が迷惑してしまう。
 少年愛者も、少女愛者も、趣味で少年や、少女を愛しているわけではない。これは持って生まれたものだということをよく認識してもらいたい。
 なにもかも規制して、すべてを見れなくしてしまったら、かえって犯罪者は増えるだろう。
 
 毎日、テレビは殺人事件のドラマを放映している。時代劇でもバッタ、バッタとと人が斬り殺されている。それはドラマの中だけの話だが、まだ、銃を撃ち人を現実に殺し合っている国もある。平和な日本では考えられないことだが、戦争は恐ろしい。
 
 まもなく終戦記念日の8月15日がやってくる。銃もなく竹槍で兵隊たちは戦おうとしていた。原爆をおとされて、やっと戦争をやめたが、まだ、最後まで戦おうとしていた指導者がいたとは。沖縄の人が怒るわけだ。戦場と化したらどんなことになっていたのか。
 
Img_1389

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月 6日 (月)

高須基仁は、奇人、変人のひとりだ!

『サイゾー』という若い人に好評の大判の雑誌がある。『薔薇族』の編集長時代に、2度ほど、女性記者が訪ねてきて取材を受けたことがあった。
 その『サイゾー』に、15年も「高須基仁の全摘・お騒がせ男の“最初で最後の懺悔録”」を連載していて、そのお祝いの会が、銀座の「音楽バア・まじかな」でにぎやかに催された。
 
 高須基仁さんの略歴は、90年代以降、出版プロデューサーとして、ヘアヌード写真集ブームを仕掛けたり、スキャンダルの渦中の人物に告白本を書かせたりするなど、ギョーカイの裏で暗躍。元学生闘士で、現在は多数の媒体で言論活動している。
 
 もう、4,5回「まじかな」でパーティを開いていて、ぼくのことも招いてくれている。耳の遠くなってきたぼくには、声のでかい高須さんの声はよく聞こえて大助かりだ。
 今の世の中で、数少なくなってしまった、奇人、変人のひとりと言える人だろう。
 
『サイゾウ』に書き続けている読み物は、単行本にもなっている。『私は貝になりたい Vol.2・全部摘出』は、展望社刊で、2冊も出版されている。
 とにかくこの本は面白い。言いたい放題だから……。まったく恐いものなしだ。
 
 先日、渋谷道玄坂の「渋谷道頓堀劇場」でしばらくぶりに、ストリップショウを見たことをブログに書いたが、高須さんはこんなことを書いている。
 
「ストリップは、女体礼賛の最大のスポットである。でべそ(前方にはりだした丸い舞台)に乗り出してみると、女の匂いもするし、質感もわかる。
 アメノウズメの神代の時代から、人々はストリップに魅了されてきた。男なら一度は行くべし。ストリップを経験しないで、いきなりネットに行くからおかしなことになるのだ」
 
 先日は、カブリツキには座れなかったが、今度は早めに行ってカブリツキに座ろう。踊り子さんの汗の匂い、女の匂いを充分に楽しみたいものだ。
 ぼくは祖父の伊藤富士雄が、からだをはって廓の苦界から、千人近いお女郎さんを救い出したから、お金で女性を買うということはできなかった。
 父は祖父のことを嫌っていたのだろうか。転勤が多く、学校も何度も変わっただろうし、救世軍の給料など安かったから、貧乏暮らしで、救世軍のことを生涯嫌っていた。
 出版社で仕事をするようになってから、女遊びはたえなかった。性病をうつされたこともあったようだ。
 
 先日の高須さんの会に、吉原のソープランドの一番大きい店だそうだが「金瓶梅」の社長も招かれて、美しい若い女性を4,5人ひきつれて出席していた。
 社長の西村さんを紹介してもらったので、生きているうちに、吉原ってどんなところなのか、一度は訪ねてみたいと思っている。
 入館料は3万円だそうだから、ちょっと行かれそうもないが、行きたいという気持ちだけは持ち続けたいものだ。行ったところで、ぼくのからだは、さびついてしまっているが。
 
 2009年に高須さんは、堀江貴文さんと対談しているが、これがめちゃくちゃに面白い。
 
 高須・女のあそこにはこだわりある?
 
 堀江・くさま××こがイヤです。臭くない人がたまにいるんですよ。まったく臭わない。そういう人とは長続きしますね。僕にサーフィンを教えてくれた人が、サーファーの女の子のま×こはムレるから臭いって。
 
 ふたりとも、とんでもない野郎だ!
 
Unnamed

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月 4日 (土)

「人間」も「物」も、出会いがあれば必ず別れが!

 8月21日(金)から、8月30日(日)まで、今年も渋谷のポスターハリスギャラリーで、昨年好評だった「文ちゃんのアンティーク・コレクション・蚤の市」を開くことが決まった。
 
 35年前の『薔薇族』№94.1980年11月号に、西洋骨董店のオーナーのSさんと、対談をしている。
 ぼくの骨董病は、内藤ルネさんと出会ってからだから、それよりも前のことで、40年を越すのかもしれない。
 その頃はSさんのお店は、表参道にあったから、お店で話を聞いたのだろう。
 
 ヨーロッパの暖炉の前に置いて、暖炉を使わない季節に、中を見えないようにするための「ついたて」に使ったもので、鏡に「薔薇」の絵が油絵の具で描かれている。
 ぼくは「薔薇」の絵のものを集めていたので、ひと目みてそれを欲しくなってしまった。新潟の別送に今でも置いてあるのを見たから、そのとき買い求めたものだろう。
 かなり大きなもので、鏡の周りは真鍮で、豪華なものだ。これも「蚤の市」で安価でお好きな人にゆずりたいと思っている。
 
 そもそも、アンティークを楽しむということはどういうことですか? と聞いたら、「現在の人たちは、ゆとりの精神がなくなっていますけど、こうしたコレクションを楽しむことによって、新しい魅力が生まれてくるみたいですね。」
 
 確かにSさんの言われるとおりだけど、残念ながら経済的なゆとりがないと、購入することができない。
 しかし、お金がなくても、フリーマーケットで、たった50円で買い求めた、小さな箱の中に、様々な形をした貝殻を入れて机の上で眺めているだけで、壮大なロマンを感じることができる。
 
 日本人はへんな潔癖症みたいなものあがあって、他人が使ったものとか、身につけたものなど気持ち悪いと思う人が多い。
 コーヒーカップなどもひび割れしたものを嫌ったり、グラスでも、お皿でも同じで完品がいいと思う特質があるけど、欧米人は多少の傷など気にしないそうだ。
 
 アンティークの魅力は、どういうところにあるのでしょうか? と聞いてみた。
 
「いい物というのは、いつの時代とか歴史や価値というだけではないですし、美しいものは、やはり誰がみても美しいということではないでしょうか。
 これがアンティークのよさということでしょうね。大事なことです。それと絶対に無理をして買わないことです。たとえ他人が何と言おうと気に入ったものだけを手に入れるべきです。
 男のロマンといったほうがピッタリじゃないでしょうか。コレクション自体は、非常にロマンだと思いますよ。」
 
「アンティークをこれから趣味にという人にどんな注意が必要でしょうか?」
 
「まず身近に使えるものからスタートすることです。」
 
 Sさんの注意を守っていれば、ぼくもよかったけれど、それに「男のロマン」なんていっているうちはいいけれど、麻薬のようにとりつかれてひどいことになってしまう。人間の欲望は果てしがないから。これが現実だ。
 
 人間も、物も、出会いがあれば必ず別れもある。そのへんはぼくは諦めがいい。執着心がないから、手放してしまってもなんとも思わない。
 
 ぼくが愛していた「物」たち、どこのどなたの手に渡るのだろうか!
 
Img_1166
ぼくの狭い部屋は絵だらけ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月 1日 (水)

7月25日(土)「文ちゃんと語る会」開催

来る7月25日(土)、午後17時〜19時、「文ちゃんと語る会」を開催します。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
日時・7月25日(土)午後17時~19時
場所・下北沢南口から4分、カフエ「織部」
(〒155−0031 世田谷区北沢2—2—3 電話03—5432—9068)
会費・コーヒー代のみ
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
★初めての方、女性、大歓迎いたします。お気軽にお越しください。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »