戦争をしたら、こうなるんだということを伝えたい!
音楽文化研究家の長田暁二君は駒沢大学の誇りといえる人だ。ぼくよりも2歳も年上の85歳だが、同期の友人だ。
最近、刊行された『戦争が遺した歌』が話題になっている。
東京新聞の文化欄に、「目背けず謙虚に語れ・戦争が遺した歌、253曲を解説」の見出しで、大きく紹介された。
長田くんは70年前の夏、海軍の志願兵に採用されたが、入隊の日が8月17日で、日本は8月15日に連合軍に無条件降伏していたので死なずにすんだのだ。
ぼくは敗戦の年が中学1年生、2年生より上は軍需工場で働かせられて、学校にいるのは1年生だけだ。
朝礼の時に予科練などに入隊する上級生が壇上に上がって挨拶し、1年生の前で別れを告げ、送り出していた。
その頃、世田谷学園には教官室があり、少尉と下士官の二人がいて、校長よりも権力を持っていた。教官室の前を通るときは、恐恐通ったものだ。
行進の練習ばかりさせられて、軍歌を歌いながら歩く。長田くんは軍歌の全曲を口ずさめるというが、ぼくもかなりの軍歌を歌うことができる。軍部は戦意高揚のために、軍歌を作らせて歌わせた。
「戦争はどのような音楽を生み出したのか。その問いに答えてくれる本が、音楽文化研究家の長田暁二さんが刊行した『戦争が遺した歌』だ。
軍歌はもちろん、戦地の兵士らが好んだ兵隊ソング、銃後の少国民たちが使った愛唱歌など二百五十三曲に詳細な解説を付け、歌詞と楽譜を網羅した。
自らも軍国教育を受け、全曲を口ずさめるという長田さんは「戦時中がどんな時代で、戦争とはどういうものか、歌を通じてわかってほしい」と語る。」
長田君は岡山の出身なので、駒大の校門の横にあった木造の古びた学生寮に下宿していた。長田君は児童教育部の部長、ぼくは文芸部の部長、文化部の予算が15万ほどあって、いくつかのクラブがそれを取り合う会議が、夜遅くまで開かれる。その席で長田君とは知り合った。
文芸部は1万円を獲得したが、当時の1万円はかなり使い手があった。雑誌を出し、年に2回ほど旅行にも行けた。やすい旅館は1泊2食付きで500円。5,6人で湯河原などにも行った記憶がある。なににお金を使ったかを報告することもない。いい時代だ。
長田君は卒業後、キングレコードに入社しディレクターとして活躍していた。第二書房の製本屋が護国寺のそばにあったので、スクーターを走らせて、護国寺通りにあった長田君の職場にアポなしでよく立ち寄った。
キングレコードの作詞や、作曲家が談合している部屋で話をしたが、いつも帰る時にレコードを何枚も持たせてくれた。
その頃のレコードは大きく、デザインもいいので、カフエの壁に飾ったこともあった。
ぼくと妹で出版した『ぼくどうして涙がでるの』が、大ヒットして日活で映画化されることになった。
主題歌をレコード化してほしいと、長田君に話をもちかけたら、すぐにOKしてくれた。ディレクターってすごい権限を持っている。
ぼくが作詞して、横井弘さんという有名な作詞家が補作してくれ、鎌田俊与さんが作曲、ヴォーチェ・アンジェリカのコーラスグループが歌ってくれた。
映画のタイトルが映しだされ、そのバックに歌声が流れる。最高にいい気分だった。
いい友だちをもてて幸せだ。高い本だけどなんとしても購入しなければ……。
コーラスグループに注文をつける長田君
キングレコードの吹込所での長田君
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