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2015年7月13日 (月)

見たもの、感じたものをそのまま!

 戦後まもなくの昭和23年に、父が株式会社第二書房を創業した頃のことだ。百田宗治さんという詩人の本「小学生詩の話」を父が出版したことがあった。
 その頃のぼくは駒大に通っていた。その本の中に「見たもの・感じたものを素直に表現しなさい」と、言うようなことが書かれていた。
 
 ぼくはその言葉を生涯守ってきたように思う。なぜか、ぼくは人さまの書いた本をあまり読まなくなってしまった。
 83歳になった今、考えてみてもその原因は分からないが、要するに頭が悪くて理解力がないので、難しい本は敬遠してしまったということか。
 ろくでなし子さんの書いた本『わたしのからだはワイセツか?!』のような本は、易しい文章で書いてあるので、一気に読むことができたが。
 
 澁澤龍彦さん訳の『O嬢の物語』などは、いまだに読みきっていない。三島由紀夫さんの『禁色』も書棚にねむったままだ。
 そんなぼくでも10数冊の本を出版することができた。1971年に日本で最初の同性愛誌『薔薇族』を創刊し、35年間、出し続け、少しは同性愛の人たちの心の支えにはなったが、『薔薇族』を創刊する数年前に、妹の紀子と共著で『ぼくどうして涙がでるの』を出版し、心臓を病む人たちのためにも、少しは役立つことができた。
 
 ひとりで大声を出して叫んでもどうにもならない。出版の仕事をしてきたから、マスコミの力を借りるということは知っていた。
 マスコミを利用しようなどという下心があったなら、そんなことはすぐに見透かされてしまう。
 50数年前のマスコミの力は偉大だった。とくに朝日新聞の影響力は絶大だった。
 
 昭和37年10月3日の朝日新聞の「読者のひろば」に、ぼくの「妹に激励の手紙」の投稿文が載らなかったら、『ぼくどうして涙がでるの』の本も生まれなかっただろうし、昭和40年(1965年)の芸術祭参加作品の日活映画『ぼくどうして涙がでるの』の映画も製作されることはなかっただろう。
 
 当時の新聞、雑誌のスクラップ帳をめくっていくと、昭和37年12月25日の朝日新聞には「紀子さん、よかったね・心臓手術、無事終わる」の大きな記事が……。
 さあ、それからその記事を読んだ、各マスコミへと波紋は大きくひろがっていく。
 まず「女性自身」そして「少女フレンド」「マーガレット」月刊誌の「美しい女性」そして今度はテレビ、東海テレビが川口知子さん主演で、シャープ月曜劇場に。
 NHKのラジオ・ドラマに。そして日活で映画化。文部省選定・青少年映画審議会推薦・中央児童福祉協議会推薦となり、映画はヒットし、本はベストセラーになった。
 
 日活で映画化されてから、なんと50年になる。それを記念してこの映画をみなさんに見てもらおうと企画した。
 
 8月22日(土)11時30分開場・12時開演
 場所は〒155-0032 世田谷区代沢5-30-10 アール下北沢2F
「art R'eG cafe」(電話03-6413-8588)
 飲み放題・食べ放題・サイン本進呈・会費¥5000 
 下北沢南口下車 徒歩5分。
 
 ぜひ、感動的な映画を見に来てください。『ぼくどうして涙がでるの』は、百田さんの教えのとおり、見たまま、感じたものを書いていて、フィクションはまったくない。
 死に直面してつづった妹の日記は胸はうつ。「読売新聞」が「甘やいだ文章にもかかわらず、ドキュメントには珍しい文学性が全編にキラキラしていて、不思議な感動をよぶ書物である。」と、うれしかった。
 
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NHKでラジオドラマ化されたときの十朱幸代さんと妹・紀子とぼく

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