日活で映画化されて50年も過ぎたとは!
人間の出会いって不思議なものだ。妹の紀子が心臓手術のために入院していた、東京女子医大病院の心臓病棟、401号室、女性ばかりの6人部屋だ。
子供の部屋が満員なので、一番扉に近いベッドが空いたところへ、5歳の坊や、田中和雄君がお父さんとお母さんに連れられて入院してきた。
ファロー四微症という生まれつきの心臓奇形で、唇が紫色、手先も血の気がなかった。この坊やが入院してこなければ、ぼくと妹で書いた『ぼくどうして涙が出るの』は生まれなかった。
ぼくと坊やはすぐに仲良しになってしまった。ぼくのいちばん小さい友人というところだ。ぼくは病院に行って退屈している田中君と遊んでくるのが楽しみだった。
「兄さんは私のところにくるの。それとも田中君のところにくるの」と、妹に皮肉まじりに言われてしまった。
ぼくは坊やとの交流を下手くそな詩に書いた。
カンニング
3時と7時の検温の時間
君がいちばん、いやがる時間さ。
看護婦さんが、体温計を何本も握って入ってくる。
「ハイッ田中君!」
「ハイッ松永さん!」
一本、一本、渡して出て行く。
君はボタンをはずしてやると、
わきの下に体温計をはさんで
神妙な顔をしてすわっている。
ちゃんと計ると、君はずいぶん熱があったね。
熱があると
注射をされるのが怖いものだから、
もそもそ、からだをゆすって、
体温計をわきの下から、きまってずらしてしまうんだ。
看護婦さんも、最初はよくごまかされたね。
「田中君、今日はオネツがないわね」
だってさ。
君は学校に行くようになったら、カンニングの名人になるぜ。
日活で映画化されたのが、昭和40年。秋の芸術祭参加作品となった。今から50年も前のことだ。十朱幸代さんが初めて主役になった映画、その映画を8月22日(土)下北沢の「artRegCafe」で、50年ぶりに上映する催しを開いた。
多くの友人が集まってくれて、映画はモノクロだけど、涙ぐんでいたお客さんもいたようだ。
映画のタイトルは、ぼくが書いた文字だ。
そのバックに、キングレコードのディレクターだった、駒大時代の同期生の長田暁二君がレコード化してくれた、ヴォーチェ・アンジェリカの歌声が流れる。最高にいい気分だった。
「ぼくどうして涙がでるんだろ」
最後にそれだけ 言った君
ああ もう一度病院の
くもったガラスを拭きながら
二人でネオンを 眺めたい
あれから50年も過ぎてしまったとは。しかし、あの本がベストセラーになり、映画化されたこともあって、「全国心臓病の子どもを守る会」が発足し、後学の手術代も保険が適用されるようになった。
いい仕事を残せて幸せだった。
妹が亡くなって40数年になる。もうじき北沢八幡宮の祭礼がやってくる。お祭りが好きだった妹の紀子。一緒にみこしを見に行くか。
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