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2015年9月

2015年9月28日 (月)

ぼくが抱きしめたルーカス君のこと!

 1996年の11月号(今から19年前)に、ぼくはこんな記事を書いていた。ロサンゼルスでのゲイ・パレードに招かれて渡米した折のことだから、7月の頃だったろうか。
 この頃、アメリカではエイズが猛威をふるっていて、多くの人が亡くなっていた。
 
「僕の腕の中で小鳩のように細かった。男性のからだをこのような形で抱くなんていうことは、生まれて初めての経験であったが、それは自然なことだった。
 
 記念写真を撮るべく、パトリック・ルーカス君(40歳)と並んだとき、傷ついた小鳩を手のひらに、そっと入れたように、いつまでも抱きしめていてあげたかった。
 エイズなどというものが、この世に存在していなかったときは、ニューヨークでヘアデザイナーであり、メーキャップの仕事の第一線で活躍していた。
 ロック歌手のシンディ・ローパーのヘアデザイナーとして腕をふるい、日本にも来たことがあるそうだ。元気なときはニューヨークで華麗な生活を送っていたに違いない。
 
(中略)
 
 言葉はいらない。ルーカス君が一生懸命しゃべってくれたことはすべて理解できる。この一枚の写真が、すべてを物語っているだろう。
 彼がニューヨークで元気で働いていた、16年前からかけていた保険。それは病気になったときのために、せっせとかけていたものだ。それがエイズに感染して高額の薬代がかかるとなると、保険会社はお金を出してくれないという。
 
 現在、二人の弁護士に頼んで、保険会社に対して訴訟を起こしている。果たして日本ではどうなのかと思っていた矢先、8月20日の東京新聞夕刊にこんな記事が載っていた。「弁護士・渥美雅子の家族なんてもQ&A」という欄である。
 
 40際の男性が質問しているのだが、「今まで健康で暮らしていたのですが、今年に入って、体の具合が悪く、2週間入院しました。「肺炎」という診断でした。しかし、退院した後も体調は回復せず、再入院になって、そこで「後天性免疫不全」という検査結果が出たのです。感染する心当たりはないのに、なぜ私がと、通院しながら感染原因などを調べているところです。
 
 それで、ある保険会社の保険に入っていますので、一度目の入院費を請求したら、一週間もしないうちに振り込みをしてくれたのに、「後天性免疫不全による肺炎」おいう診断書と保険証書を提示して請求したら、2ヶ月半たった今も、保険会社の方から、お金も連絡も入ってこないのです。
 
 何回か問い合わせをしたのですが、返ってくるのは「現在処理中」という不明確な返事ばかりです。どうして払ってくれないのか」という、相談だ。
 
 弁護士の渥美雅子さんは、いつまでたっても結論が出ないのであれば裁判もすべきです、応援しますよと答えている。
 
 やはり、アメリカも日本も同じことだ。これは読者にとって大変な問題だ。エイズだって、病気の一種類に違いない。誰もエイズになろうと思って感染する人はいない。病気になったときのための保険ではないか。この問題は、これから日本でも大問題になるだろう。」
 
 この問題はすでに解決済みだと思うが不明だ。
 ルーカス君、もう、この世にはいないだろう。エイズのことマスコミも報道しなくなっているが、増え続けていることは間違いない。肛門性交する人はコンドームを付け、「ラブオイル」をぬってを必ず守ってほしいものだ。 
 
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2015年9月26日 (土)

コンビニより歯科医院の方が多いなんて?

 歯医者に何度も通わされる話をブログに書いたが、陶器とカフエの店「織部」に置かれている日本経済新聞が、それを詳しく知らせてくれた。
 ぼくは東京新聞と毎日新聞をとっているので、世の中の出来事を知ることはできるし、株というものを買ったことがないので、日本経済新聞は必要ないと思ってきた。それでも日本経済新聞って、すばらしい新聞だということは実感できる。日本の経済の動きがよく理解できるからだ。
 
 長い間、息子がお世話になったソニーが、オリンパスと組んで、医療器具の部門で動き出しているという記事を読むと、ソニーも頑張っているなとうれしい。
 一面に「医出づる国」という連載記事が載っている。「歯医者なぜ長引く・供給過剰 無駄な治療も」の記事は、ぼくが書いたことをより正確に、数字で表している。
 
「経営のために――神奈川県で開業する50代の歯科医は「経営のために一人でも多く患者を診なければならない。すぐ治療の必要がない虫歯や歯周病で通院を長引かせるケースはある」と打ち明けた。
 
 歯科医の数は全国で約10万人。厚生労働省によると、人口10万人当りの歯科医数は、1978年の40・7人から、12年には80・4人に増えた。医師より開業する割合が高く、定年もない。
 この結果、診療所は6万8701ヶ所(13年)と、コンビニエンスストア(約5万2千店、15年)を上回る。
 
 一方、フッ素うがいの普及などで子供の虫歯は減少している。12歳の平均虫歯数は、この20年で4分の1になった。
 需要と供給が反比例するいびつな市場だ。」
 
 そういえば気をつけて街の中を見渡してみると、確かに歯科診療所がやたらと多いのに気がつく。
 設備が悪かったり、医師の人気がないと、客が遠のくのは当然のことだ。
 
 ぼくがよく通うカフエ「つゆ艸」のママ、由美さんの弟さんは、九州で歯科医院を経営している。その弟さんの話だと、歯科医の平均年収は、400万円ぐらいだという。
 普通のサラリーマンと同じぐらいではないか。歯医者がもうかった時代は過去のものなのか。
 
 厚労省が国家試験の合格者を絞るが、そうすると、歯学部を持つ私立大学の経営がなりたたなくなってくる。
 お国が40兆円を越す医療費をなんとか払っていけるうちはいいが、それができなくなってきたら大変だ。
 
 祖父や父の代から歯の診療所をやっていて、その息子が後を継ぐなら続けていけるだろうが、家賃を払って医療器具を揃え、人をやとい診療所を開業するとしたら、莫大な費用がかかる。取り戻すために、患者を何度も通わせるようにするのは当然のことだ。
 
 そうは言っても、歯をよく磨いて、半年に1回ぐらいの通院にしたいと思っている。
 
 来年の参議院選挙の調査の電話がかかってきた。ぼくは共産党に投票しますと応えた。しかし、自民党と医師会がつながっているから、40兆円もの医療費を出しているのだろうが、野党が天下をとったらどうなるのかそれも心配だ。
 歯医者だけではない。みんな生き残るために必至だ。明るい未来がくることを信じるしかない。

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2015年9月21日 (月)

麻袋に入った文通欄の手紙がどさっと!

 創刊号を出してから1年、「薔薇通信」に仲間を求めて投稿している人が341名。創刊号の時は7名だったのだから、大幅に増えたわけだ。それにこの時代は隔月刊だった。
 
「新潟県・栄・47歳、166センチ、59キロ。二人の子どもを持つ普通の中年ですが、年齢よりは若く見られます。
 自分でホモとは思っていませんでしたが、偶然『薔薇族』を見て目を覚ましました。経験はありません。お互いの生活を守り、まじめに毎日を送ろうという長い交際を。」
 
『薔薇族』を読んで、自分がホモであることを知った。地方に住んでいる人にとっては、この時代、このような人が多かったのでは。なにも知らずに一生を終えたほうが良かったのか。ある意味では『薔薇族』は罪作りな雑誌だったのかも。
 
 見知らぬ人から手紙がたくさん届いて、それが奥さんに見られて大変なことに。そのような悲喜劇は多かった。
 
「中野区・YM・色が黒くて、おとなしい感じがする20歳以下の人を希望。ぼくは23歳、167センチ、54キロ、柔道二段。静かな夕暮れの海辺で、きみの涙をそっとふいてあげたい。誠実なt気合を約束します。」
 
「涙をそっとふいてあげたい。」
 いい殺し文句だ。手紙を出してみたくなるではないか。
 
「愛知県・ふとだ 人生50に達し、ああ、年だなと、ふと寂しく感ずるときもある今日このごろです。気楽に話ができる明治生まれの65歳以上の方からのお便りを待っています。当方、2男、一女にすねをかじられている13貫、5尺2寸です。」
 
 3人も子供がいる人、この人、これからの人生がどう変わっていくのだろうか。
 
「みんなが幸せに・創刊1周年あれこれ」と題してぼくは書いている。文通欄についてもふれている。
 
「地方にいて仲間もいない。孤立している人たちに連帯感をもたせたい。そう思って創刊した『薔薇族』だが、今まで諦めていたことが夢でなくなって、中年の人が若い青年と、文通欄で知り合ったと、わざわざ関西からお礼に編集部を訪ねてくれた人がいた。こういう方がいると嬉しくなってしまって、文通欄に押し寄せる手紙の束をさばくのも苦ではなくなる。
 
 文通欄も創刊号の時はたった7人だったのが、今月号はなんと341人に達したのだから驚きである。
 それだけ、この欄が利用されているということだろう。仲間が欲しいという純粋な気持ちからだけに、最初心配していたほどのトラブルはないようで、たまにプロの人がいたり、しつこく、つきまとわれて迷惑した人もいたようだが、なんとしても文通欄を続けていきたいと思っているので、自分のことだけを考えないで、相手の立場にもなってお付き合いして欲しい。
 
 多い人は百通にも及ぶ手紙が殺到するのだから、返事を出しきれないと思うが、待っている方は首を長くして待っているのだから、文通欄に出した以上は、責任をもって返事を出してほしい。
 それにあくまでも相手に迷惑がかからないようにしてほしい。家族がいたり、家族があったりする人も多いのだから、文通欄を利用したくてもできない人も知っています。これらの人たちにも、仲間ができるように、みんなで考えて知恵をかしてください」
 
 大きな麻袋に入れられて、どさっと郵便局から届けられる手紙の束。全国の読者の仲間を見つけたいという思いがこめられた手紙の束。今、考えると夢のようだ。みんな幸せになってくれたのだろうか?

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2015年9月19日 (土)

歯科医を変えて、よかったのか、悪かったのか?

 4月の始めのことだった。最新式のレントゲンを設備した「せせらぎ歯科」が開業したという話を聞いて心が動いた。
 
 長い間通っていた歯科の診療所を見限って「せせらぎ歯科」を訪れた。大きなガラス扉を通して広い庭園が見渡せる診療所だ。
 
 レントゲンは格段の違いだ。83年も使っている奥歯の3本は、根元が痩せ細って、そのうちの1本はぐらぐらしている。
 今まで通っていた診療所では、そのままで治療していた。「せせらぎ歯科」では、3本を抜いて、部分入れ歯にしようということになった。
 抜いた歯を3本もらってきたが、これでは長くはもたないのではという状態だ。だが、それから抜いた歯のところに、入れ歯を作るのだから、型をとるまでに何回通わされたことか。
 
 75歳以上の高齢者だから、保険が適用されて、支払いは1割だから僅か何百円かで済む。しかし、お国は9割を「せせらぎ歯科」に払っているわけだ。
 何度も型をとってやっと入れ歯ができあがってきた。技工士が作るのだが、見事なできばえだ。この費用も数千円で済んだ。
 
 これが自分の歯のようになじむにはかなりの時間がかかる。食事をしたあと、入れ歯をとって歯をみがかないと、入れ歯の下に食べかすが入り込んでいるから、気持ちが悪い。
 
 夜ねるときは入れ歯をはずして、プラスチックの容器に入れ、テレビでよく宣伝している、部分入れ歯用の「ポリデント」を薬屋で買ってきて水を入れてつけておく。
 
 どれだけ「せせらぎ歯科」にご奉公したかわからないが、保険ってありがたい。
 
 9月4日の東京新聞の記事を読むまでは、それほど気にしなかったが、ショックだった。「医療費初の40兆円超へ」の記事だ。
 
「厚生労働省は3日、2014年度に病気やけがの治療で全国の医療機関に支払われた医療費が概算で39兆9千5百56億円となり、12年連続で過去最高を更新したと発表した。」
 
 大分、前の話だが、診療所がお国に請求する医療費が妥当かどうかを審査する仕事をしているという女性から話を聞いたことがある。
 審査する人員が足りなくて、とっても手がまわらず、診療所の報告する数字を認めざるをえないということだ。
 保険が適用される指圧屋さんでも、ただ膝が痛いだけなのに、ころんでけがをしたことにして保険を適用してしまうという話はよく聞く。
 
 1年間に使った医療費が報告されてくる。ぼくの場合は、今までは30数万円だったと思うが、今年はかなり増えそうだ。
 
「14年度の1人あたりの概算医療費は31万4千円(13年度より6千円増。)75歳未満が21万1千円だったのに対し、75歳以上は93万1千円に上がった」とある。
 
 ぼくは83歳になるまで、健康でこられたから少ない医療費で済んだが、75歳以上は93万とはおどろいた。
 歯科診療を批判するわけではないが、一度で済むところを何回も通わせる。内科の医師にしても、ただ薬をもらうだけなのに、血圧を測ったりして高くする。
 医師は開業するまでには、莫大な費用がかかっている。元を取らなければならない。それにしてもよくもお国は40兆円ものお金を払っているものだ。
 これは自民党が選挙のときは、医師が票を入れることを考えてのことだろう。
 
 たまに薬屋で薬を買うと、えらく高いなと思う時がある。「こうやく」もぼくが使うわけでなく、孫が野球のピッチャーでひじが痛かったり、肩がいたかったりするときに貼るために医師から処方してもらっている。こんなことしていいのかな?

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2015年9月14日 (月)

抒情画家、林静一さんの友人に選ばれて!

 いつの頃だったろうか。10センチ四方ぐらいの小さな色紙が2枚、株式会社学研パブリッシングから送られてきた。
 抒情画家の林静一さんが、古希の記念に美人画集を出版するので、「花環絵」を描いて送ってくれという依頼だった。
 おそらく林静一さんの親しい友人に色紙を送ったのだろう。林静一さんとぼくの接点を思い出してみた。
 
 ぼくの長男の息子、ぼくにとっては初孫だが、明星大学の教育学部を卒業して、今年の4月から大手の塾に勤めている。もう25歳にはなっているだろう。
 孫が1歳の誕生日の頃、近所に鳳山堂という3階建の陶器店があった。先代の社長は、結婚式の引出物に陶器を送るということを考えだした方で、それが大当たりして財を成し立派なビルを建てた。
 その3階に画廊があって、そこをお借りして「おじいちゃんの孫自慢」という、写真と詩を並べたことがあった。その画廊で林静一さんと、何度かお会いした記憶がある。
 
 25年も前のことで、それから林静一さんと出会った記憶はまったくない。その林静一さんが、ぼくを友人のひとりに選んでくれたのか、それはありがたいことだった。
 
 内藤ルネさんが描いた薔薇の絵をマネしてと思ったが、小学生以来、絵など描いたことがない。何度も描いてみたが、とても人に見せられるものではない。
 困り果てていたときに、机の引き出しの中から、今、一緒に住んでいる中学2年生の野球少年の文一の絵が出てきた。
 
 馬だか、犬だかわからない動物の背中に、鳥が乗っている。5年2組・伊藤文一とある。これを使い、ぼくの写真を入れ、「薔薇よ永遠なれ」と書き込んだ。林静一さんの画業がいつまでも続くようにと願いをこめたものだ。
 
 人との出会いって不思議なものだ。8月21日から30日まで、渋谷のポスターハリスギャラリーで、ぼくは「文ちゃんのアンティーク・コレクション蚤の市」を開いたが、その会場に林静一さんの美人画集の制作に携わった綿引由美さんが訪れてくれたのだ。
 
 9月6日14時から紀伊國屋書店の8階で、サイン会を開き「花環絵」は一階の通路のショウウインドウに展示するとのことだ。
 最近、渋谷ばかり行って、ここ数年、新宿は遠くなっていた。会場には由美さんがいて、ぼくを笑顔で迎えてくれた。
 
 画集を購入した人が、5、60人、並んで順番を待っていた。林静一さん、墨に筆でサインをしているではないか。ちょっとした絵のようなものも描いている。
 こんなに丁寧にサインをする人って見たことはない。これでは全員にサインをしたら何時間もかかってしまうだろう。由美さんにお願いして合間に写真を撮らせてもらった。林静一さん、ぼくのことを覚えていてくれたようだ。
 
 由美さんが1階のショウウインドウまで案内してくれた。宇野亜喜良さん、荒木経惟さん、嵐山光三郎さんなど、63人の「花環絵」がずらりと並んでいた。
 由美さん、「ぼくどうして涙がでるの」を購入してくれて、涙を流して読んでくれたそうだ。
 
 画集の帯に「危うさを秘めた美女の横顔」とある。ぼくも横顔の絵が好きだ。ぼくの寝室兼仕事部屋には、椅子に座った少女が窓の外を眺めていて、大きな犬がそばに寝そべっている銅版画が飾ってある。
 他の抒情画家は、少女のヌードは描かないが、ぼくは林静一さんのヌード絵に魅せられてしまった。林静一さん、ありがとう。
 
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★発売元・学研マーケティング/定価2600円(税別)
 
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2015年9月12日 (土)

素人でも開店できたゲイ・バア?

『薔薇族』の良き相棒だった藤田竜君(今はこの世にいない)が、1981年頃、新宿2丁目に後に養子にしたヨッチャンと、「ドラゴン」というゲイバアを出店したことがある。
 
 そう長くは続かなかったが、そのあとをぼくが借り受けて「リボンヌ」というレズビアンバアを開いたことがあった。
 
 1981年の9月号に、藤田竜君は「ドラゴン日記・お客さまざま」を書いている。
 
「指折って数えてみれば、バアを始めてもう9ヶ月にもなっていて、月日のたつ早さに、我がことながらエッ! と驚いてしまう。
 もう新人だのシロートだの言ってらんない。れっきとしたオッサンであります。
 
 連日深夜まで、土曜は朝まで、酒をどっさり飲んで、くっちゃべってという生活をもう2百7・80日も続けてきたかと思うとア然とする。まあ、よく持ったよ。店もからだも。でも9ヶ月ごときで感心してもいられない。よそが10周年だの15周年のと聞くと、ひたすら恐れいっちゃう。「ドラゴン」は果たしてどれだけ続きましょうか。
 
 店の造りがハデっぽくてそういうことが似合うし、もともと僕も店のヨッチャンも、ショーっぽいことが好きなので「ドラゴン」ではすでにいろんなことをやった。
 クリスマスや節分以外にも、なんの関係もない日に振袖まつりや、アリラン・カーニバルといった催しをしたりしてね。
 いちばん最初は看護婦まつりで、こういうトルコ風呂ふうの下品な感じを僕は愛しているわけ。
 
 この日、店の子3人が白い靴下、白い帽子でスケベッたらしい顔をして忙しく立ち働いている混んだ店内に、ファッと現れた二人のお客―なんと白マスクに白の上っ張り、手術中にかぶる白い帽子、さらに聴診器まで首にかけて、看護婦に合わせて、センセイになり、来てくれたわけ。
 その心づかいがとても嬉しかったけれど、彼らにしてみれば、店に入るまで不安だったという。
 われわれはとかくムラ気だから、当日、看護婦になっていないかもしれない。そうしたら医者姿の二人は笑い者になってしまうもんね。(※文学注:ぼくは看護婦さん好きだから、行きたかったな)
 
 7月は14日のパリ祭になぜか桃色女学生大会をする。白い半袖のセーラー服が4人揃ってショーをするのだが、どんなことになるやら。現役大学生のお客が学ランで揃ってくれたりすると楽しいんだけど……。―と、まあ、こんなことばかりやってりゃ、そりゃあ、あっという間に9ヶ月はたつわなあ。
 
 バーテンダーとしての勉強してなくても、調理がダメでも、つまり素人同然でもできるのがホモ・バアでありますね。であるからして、どんどこと増えるのです。ライバルが。
 素人ができるということは、それを客が許してくれるということで、客というより仲間の意識で来てくれるわけですね。(後略)」
 
 藤田竜君が毎晩「ドラゴン」でお客の相手をしていたから、『薔薇族』の方の仕事はおろそかになっていたのだろうか。
 藤田竜君、『薔薇族』の別冊で、季刊の『青年画報』をひとりで8冊も出し続けているのだから、雑誌をほったらかしにしていたわけではないようだ。本当にタフな人だった。
 
『薔薇族』は編集会議など開いたことがなくて、それぞれが自宅で原稿を作り上げている。
「編集室から」に、ぼくはこんなことを書いている。「この雑誌を作っていていつも幸せだなと思うことは、読者と一体になって作っているという気持ちがいつもする」と。
 
「ドラゴン」のヨッチャン、2丁目でバアを開いているようだ。

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2015年9月 7日 (月)

小さい出版社よ 知恵を絞って生き残れ!

 本の問屋「取次店」の中堅どころ「栗田書店」が倒産してしまったというニュースはショックだった。
 父に聞いた話だが、戦前はトラックのない時代、製本屋は出来上がった本を荷車に積んで、取次店に運び込んでいた。
 
 栗田書店の創業者(?)の社長、元気のいい方だった。ぼくの父はその頃、第一書房という文芸書の出版社に勤めていていたが、取次店に運び込む荷車の製本屋の社員が、他の取次店に先に運び込んで、栗田書店への搬入がおそくなってしまった。
 少しでも早く本を仕入れて、書店に運び込む、それが取次店の使命だった。競争が激しかったのか。
 
 栗田書店の社長、栗田確也さんは、納本がおくれたのを怒って、製本屋の社員を殴りつけたそうだ。そのくらい商売熱心だった。
 その頃、栗田書店は神保町にあり、板橋の方だったかに越した。大晦日に集金に行くと店頭に立って、ひとりひとりに頭を下げていた。
 仕入れの石橋さんという方にも、ずいぶんお世話になった。その頃の社員は大学出などいない。みんな高校を出た社員ばかりだった。
 
 今から26年前の1989年、第二書房が創業40周年、『薔薇族』200号達成記念の祝賀パーティーを新宿の「京王プラザホテル」で開いた。
 卓上に氷の彫刻まで飾られている豪華なパーティーだ。寿司コーナーの屋台まで並んでいる。
 ぼくはパーティーを開くときは必ず、このような華やかな席に招かれないだろう裏方の仕事に励んでいる人たちを招いている。
 
 この日は取次店の返本倉庫で、来る日も、来る日も返本の山を片付けている人たちを招いている。下北沢の書店「鳥羽屋書店」(今はない)の奥さんと娘さんも招いている。『薔薇族』を最初は嫌がって置いてくれなかったのが、最近は置いてくれているからだ。
 
 なんと駒大時代に片想いしていた、阿部弥寿子さん(亡くなってしまった)と駒澤学園の友達の寺西鈴子さんも来てくれている。
 シャンソンを歌ってくれたのが、「クミコ」さん。まだ売れていない時代だ。両親もきてくれている。父は手押し車で。ぼくのいちばんいい時代に両親が亡くなってよかった。家をとられるところなど見せないですんだから。
 
 アルバムを見ていると、すでにこの世にいない人が多い。國學院大學教授の親友、阿部正路君、渋谷「千雅」の社長、小泉さん。帝京大学付属病院の松田重三先生、エイズのことでお世話になった方だ。それにおすぎさん。駒大教授だった渡辺三男先生。
 法人会会長のお名前が思い浮かばない。トーハンの重役、雑誌仕入れの課長時代、『薔薇族』をとってくれた大恩人、名前が思い出せないとは。
 栗田書店の二代目の社長、伊藤さん、温厚な方で、いつもぼくのパーティーにきてくれた。
 
 ネット通販のアマゾンが出現したために、取次店が苦境に立たされてしまった。出版社が直接、取次店を通さないで、本をアマゾンに納めてしまうからだ。
 ネットなんてものがない時代、取次店に納本する卸値は、大手の出版社とそれほどの差はなかった。大手の取次店の売上一位は日販で次がトーハン。今では逆転してしまっている。それは大手の書店に、日販は卸しているからだ。小さい出版社の取次店への卸値はひどいものだ。小さい出版社が泣かされている。
 
 まだまだ、本を読むのが好きな人はいる。小さい出版社も、知恵を絞って生き抜いてほしいものだ。
 
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栗田書店の伊藤社長

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2015年9月 5日 (土)

大赤字の「蚤の市」それでも楽しかった!

 2015年8月22〜30日まで、「ポスターハリスギャラリー」で「文ちゃんのアンティーク・コレクション蚤の市」が開かれた。
 昨年の12月初旬にも開き、今回が2回めだ。わが家近くのバス停「淡島」から「東急本店行」のバスが、1時間に2本だけ運行されている。「東急本店前」で降りると、画廊まで3分ほどだ。
 
 このバスのお陰で毎日通いつめてしまった。しかし、平日は何人かしか来てくれない。土日でも20人ほどか。会期中に訪れてくれた人は、6、70人というところ。
 
 わが家にとじこもっていたとしたら、誰とも会わず話もできないが、こういう催し物を開いたから、いろんな人と出会い、話をすることが出来た。それはお金にかえられない体験だった。
 
 ブログとTwitterを見て来てくれた人も何人かいたが、画廊側があまり宣伝してくれなかったのか、画廊のお客さんは少なかった。
 お客さんの中にお金持ちだと思われるような方はいない。一流企業で働いている人、それに正社員の人も。みんなアルバイトの人たちのようだ。
 
 両親と一緒に住み、仕事をしている人はまだ余裕があるが、ひとりで下宿している人は必要な物しか買うことができない。 
 美術学校を出たという人も何人かいたが、4年間勉強してきたことを活かせる職場ではないようだ。
 それに給料が安すぎる。欲しいものがあっても見るだけになってしまう。
 
 大手の出版社に勤めている女性、ルネさんの本を出したことで知り合った方だ。40歳で男の子を出産したそうだ。生まれた時は小さかったそうだが、今は生後7ヶ月、にこにこ笑うかわいい子だ。産休をとっているそうだが、また職場に戻らなければならない。ご主人の収入だけではやっていけないからだ。
 子供を保育所にあずけて職場に戻るというつらい現実。こういう人が絵を買ってくれている。
 
 5、6年前、銀座の画廊でぼくのコレクションを並べたとき、小さな子供を連れて見に来てくれた女性、女の子がふたり、上の子は小学3年生、下の子は小学1年生。大きく成長していた。
 子どもたちに美しいものを見せるようにしているのだそうだ。生活は楽ではないと思うけれど、絵を買ってくれた。
 
 昨年の蚤の市のとき、訪れてくれて、先妻ミカのことを書いた『裸の女房』を買ってくれ
ミカが「スペース・カプセル」で踊っている写真を使ったTシャツも買ってくれた、イギリス人の男性。
 日本語も上手だし、翻訳もされているくらいの方だから本も読める。
『裸の女房』を全部読んでくれたそうで、良かったと褒めてくれた。今度は『ぼくどうして涙がでるの』を買ってくれたので、サインをしてあげた。
 
 今まで出会ったことのないような女性が、最初はゆかた姿で、最終日には豪華な衣装で現れたのにはびっくり。
 この姿で街を歩いているのだから、通りすがりの人が、みんなふりむいて見るそうだ。ご両親が美輪明宏さんのフアンだったそうで彼女の名前を「美輪」と付けたとか。
 手に持っているカバンがすごい。外国製だそうだ。壁にかけてあるパリのファッション画が気に入ったようで購入してくれた。
 
 何をしている方なのか、電話番号も教えてくれたので、おめにかかってじっくりと話を聞きたいものだ。大赤字だったけれど、いろんな人の話を聞けて楽しかった。
 
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