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2015年9月 7日 (月)

小さい出版社よ 知恵を絞って生き残れ!

 本の問屋「取次店」の中堅どころ「栗田書店」が倒産してしまったというニュースはショックだった。
 父に聞いた話だが、戦前はトラックのない時代、製本屋は出来上がった本を荷車に積んで、取次店に運び込んでいた。
 
 栗田書店の創業者(?)の社長、元気のいい方だった。ぼくの父はその頃、第一書房という文芸書の出版社に勤めていていたが、取次店に運び込む荷車の製本屋の社員が、他の取次店に先に運び込んで、栗田書店への搬入がおそくなってしまった。
 少しでも早く本を仕入れて、書店に運び込む、それが取次店の使命だった。競争が激しかったのか。
 
 栗田書店の社長、栗田確也さんは、納本がおくれたのを怒って、製本屋の社員を殴りつけたそうだ。そのくらい商売熱心だった。
 その頃、栗田書店は神保町にあり、板橋の方だったかに越した。大晦日に集金に行くと店頭に立って、ひとりひとりに頭を下げていた。
 仕入れの石橋さんという方にも、ずいぶんお世話になった。その頃の社員は大学出などいない。みんな高校を出た社員ばかりだった。
 
 今から26年前の1989年、第二書房が創業40周年、『薔薇族』200号達成記念の祝賀パーティーを新宿の「京王プラザホテル」で開いた。
 卓上に氷の彫刻まで飾られている豪華なパーティーだ。寿司コーナーの屋台まで並んでいる。
 ぼくはパーティーを開くときは必ず、このような華やかな席に招かれないだろう裏方の仕事に励んでいる人たちを招いている。
 
 この日は取次店の返本倉庫で、来る日も、来る日も返本の山を片付けている人たちを招いている。下北沢の書店「鳥羽屋書店」(今はない)の奥さんと娘さんも招いている。『薔薇族』を最初は嫌がって置いてくれなかったのが、最近は置いてくれているからだ。
 
 なんと駒大時代に片想いしていた、阿部弥寿子さん(亡くなってしまった)と駒澤学園の友達の寺西鈴子さんも来てくれている。
 シャンソンを歌ってくれたのが、「クミコ」さん。まだ売れていない時代だ。両親もきてくれている。父は手押し車で。ぼくのいちばんいい時代に両親が亡くなってよかった。家をとられるところなど見せないですんだから。
 
 アルバムを見ていると、すでにこの世にいない人が多い。國學院大學教授の親友、阿部正路君、渋谷「千雅」の社長、小泉さん。帝京大学付属病院の松田重三先生、エイズのことでお世話になった方だ。それにおすぎさん。駒大教授だった渡辺三男先生。
 法人会会長のお名前が思い浮かばない。トーハンの重役、雑誌仕入れの課長時代、『薔薇族』をとってくれた大恩人、名前が思い出せないとは。
 栗田書店の二代目の社長、伊藤さん、温厚な方で、いつもぼくのパーティーにきてくれた。
 
 ネット通販のアマゾンが出現したために、取次店が苦境に立たされてしまった。出版社が直接、取次店を通さないで、本をアマゾンに納めてしまうからだ。
 ネットなんてものがない時代、取次店に納本する卸値は、大手の出版社とそれほどの差はなかった。大手の取次店の売上一位は日販で次がトーハン。今では逆転してしまっている。それは大手の書店に、日販は卸しているからだ。小さい出版社の取次店への卸値はひどいものだ。小さい出版社が泣かされている。
 
 まだまだ、本を読むのが好きな人はいる。小さい出版社も、知恵を絞って生き抜いてほしいものだ。
 
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栗田書店の伊藤社長

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