素人でも開店できたゲイ・バア?
『薔薇族』の良き相棒だった藤田竜君(今はこの世にいない)が、1981年頃、新宿2丁目に後に養子にしたヨッチャンと、「ドラゴン」というゲイバアを出店したことがある。
そう長くは続かなかったが、そのあとをぼくが借り受けて「リボンヌ」というレズビアンバアを開いたことがあった。
1981年の9月号に、藤田竜君は「ドラゴン日記・お客さまざま」を書いている。
「指折って数えてみれば、バアを始めてもう9ヶ月にもなっていて、月日のたつ早さに、我がことながらエッ! と驚いてしまう。
もう新人だのシロートだの言ってらんない。れっきとしたオッサンであります。
連日深夜まで、土曜は朝まで、酒をどっさり飲んで、くっちゃべってという生活をもう2百7・80日も続けてきたかと思うとア然とする。まあ、よく持ったよ。店もからだも。でも9ヶ月ごときで感心してもいられない。よそが10周年だの15周年のと聞くと、ひたすら恐れいっちゃう。「ドラゴン」は果たしてどれだけ続きましょうか。
店の造りがハデっぽくてそういうことが似合うし、もともと僕も店のヨッチャンも、ショーっぽいことが好きなので「ドラゴン」ではすでにいろんなことをやった。
クリスマスや節分以外にも、なんの関係もない日に振袖まつりや、アリラン・カーニバルといった催しをしたりしてね。
いちばん最初は看護婦まつりで、こういうトルコ風呂ふうの下品な感じを僕は愛しているわけ。
この日、店の子3人が白い靴下、白い帽子でスケベッたらしい顔をして忙しく立ち働いている混んだ店内に、ファッと現れた二人のお客―なんと白マスクに白の上っ張り、手術中にかぶる白い帽子、さらに聴診器まで首にかけて、看護婦に合わせて、センセイになり、来てくれたわけ。
その心づかいがとても嬉しかったけれど、彼らにしてみれば、店に入るまで不安だったという。
われわれはとかくムラ気だから、当日、看護婦になっていないかもしれない。そうしたら医者姿の二人は笑い者になってしまうもんね。(※文学注:ぼくは看護婦さん好きだから、行きたかったな)
7月は14日のパリ祭になぜか桃色女学生大会をする。白い半袖のセーラー服が4人揃ってショーをするのだが、どんなことになるやら。現役大学生のお客が学ランで揃ってくれたりすると楽しいんだけど……。―と、まあ、こんなことばかりやってりゃ、そりゃあ、あっという間に9ヶ月はたつわなあ。
バーテンダーとしての勉強してなくても、調理がダメでも、つまり素人同然でもできるのがホモ・バアでありますね。であるからして、どんどこと増えるのです。ライバルが。
素人ができるということは、それを客が許してくれるということで、客というより仲間の意識で来てくれるわけですね。(後略)」
藤田竜君が毎晩「ドラゴン」でお客の相手をしていたから、『薔薇族』の方の仕事はおろそかになっていたのだろうか。
藤田竜君、『薔薇族』の別冊で、季刊の『青年画報』をひとりで8冊も出し続けているのだから、雑誌をほったらかしにしていたわけではないようだ。本当にタフな人だった。
『薔薇族』は編集会議など開いたことがなくて、それぞれが自宅で原稿を作り上げている。
「編集室から」に、ぼくはこんなことを書いている。「この雑誌を作っていていつも幸せだなと思うことは、読者と一体になって作っているという気持ちがいつもする」と。
「ドラゴン」のヨッチャン、2丁目でバアを開いているようだ。
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