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2015年10月

2015年10月31日 (土)

三島由紀夫さんのわきがの匂いまで思い出した話!

「加齢臭」(年をとると、老人、特有の匂いがする)気になる言葉だ。その加齢臭について、ブログに書いておられる、ぼくより1つ年上の84歳の方が「文ちゃんと語る会」に出席したいと、会場のカフエ織部の店長に電話してきたそうだ。
 
 店長がその方のことをネットで調べてくれたら、著書も何冊も出版されている方のようだ。
 今年の春のぼくの誕生日に、明治大学を卒業して、出版社の彩流社に入社した女性のHさんが、香水をプレゼントしてくれた。
 フランス製で「ダビドフクール ウォーターオードトワレ」と書いてある。ぼくは香水なんて使ったことがないが、彼女のかわいい顔を思い描きながら、ハンカチにふりまいている。
 
 2001年の『薔薇族』12月号に工藤達哉君が「男の匂いの誘惑」という特集をしている。その中に「こんなとき男の匂いにムラムラする体験告白集」があった。
 
「仕事柄いつも汗をかくので匂いには敏感になっているかもしれないね。汗の匂いは僕たちの間じゃなんの魅力にもならないって感じかも。だって運動部の汗ってわけでもないし。男だってコロンが基本的な匂いよ。
 そそられる匂いといったら、チンポかしら。くわえるときのあの鼻につく匂いには興奮させられる。それとケツ×ンコの匂いにも感じる。なんか相手の恥ずかしい部分を犯してるって感じがして。自分ではその辺にもコロンをつけている。(T君・28歳)」
 
「医療関係の仕事をしているので、クレゾールなどの匂いには生死がまつわり、性欲的な部分での興味はわきません。病院には病院のにおいがするとよく言いますが、確かにあります。
 実はレントゲン技師の体臭にすごく興奮してしまうんです。病院の中でも特別な仕事のわけで、普通の人にはわからないかもしれませんが、レントゲン室の匂いは特別で、彼らの服についた匂いに興奮します。あとは薬剤師の匂いにも感じます。薬の匂いと体臭がまじると特別になるのかもしれません。(O・32歳)」
 
「男の集団になる仕事なんで、男の匂いには敏感ですね。汗の匂い、体臭というか、とくに若い男のマラの匂いなんかには、ムラムラさせられっぱなし。
 涙とまじりあった、ほこりっぽい汗の匂いは俺のマスにはかかせないものだ。ときどき後輩が脱ぎぱなしにしたパンツのシミに顔を埋めたりして。パンツについた匂いこそ、男の匂いだと思うよ。(Mさん・38歳)」
 
「ぼくの学校は強制的に部活に入れられる。小学校のころから体が弱かったせいもあるし、運動が苦手なぼくは学校に行くのが、嫌で嫌でしょうがなかった。
 でもひとつ上の先輩が好きになってからは、熱心とまではいかないけれど、ちょこちょこ部室には出入りするようになった。マネージャーみたいなことを任されていて、夏には合宿にも参加した。
 山中湖のそばにある合宿所は古い山小屋って感じ。そこに行ったことがあるクラスの友達は、男くさくてたまらないと言っていて、それを聞いたら絶対行きたいと思っていた。
 合宿所に一歩足を踏み入れた途端、友達の言うことが本当だとわかった。今まで嗅いだことのない匂いが充満して気分が悪くなりそうだった。でも練習が終わって汗だくの部員が、ひとつの部屋で服を脱いで半裸で歩き回ると部屋の匂いがいっぺんに変わった。
 部員たちの脇から臭う汗だろうと頭では思うけど、ぼくは下半身がムズムズしてきて、その晩はみんなが寝静まったのをみはからって、オナニーをしてしまった。(N君・17歳)」
 
 匂いといえば三島由紀夫さんの腋臭の強烈な匂いがすごかったと聞いたことがある。

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2015年10月26日 (月)

臭いものに蓋をしないで、お見せする!

 汚い話で食事中の人がいたらゴメンナサイ。ゲイの人にとって公衆トイレは、どこの国でもハッテン場になっている。
『薔薇族』の読者にトイレの話をアンケートしたら、びっくりするような臭い話が集まった。
 トイレでいい男と出会えたりすると、トイレ党になり、映画館でいい男と出会えると、自然に映画館に足が向いてしまう。
 
「まだ便所が汲みとり和式の頃。おしりに入れたプラスチックのこけし人形をうんこと一緒に排泄してしまい、こえだめの便の上に乗っかってしまった。
 そのままでは家人に見つかるので、こけしを拾い上げるのに苦労した。そのあとは風呂場でこけしを使うようにした。かわいいこけしをディルドとして使用して申し訳なかった。こけしさんすみません。(東京・熟年の初恋・60歳)」
 
「小学校に上る前、祖母の家はまだ汲み取り便所で、私は怖くて用が足せなかった。仕方なく裏の畑に穴を掘っていたが、そこで実った新鮮な野菜をもらっても、どうしても食べられなかった。
 そんな私が、今では有機野菜を食べている。(宮崎・しよう丸・35歳)」
 
 戦時中から戦後にかけて、今時の若者は知らないだろうが、今のようなトイレットペーパーがなかったから、新聞紙でおしりをふいていた。空き地という空き地に野菜を植えていたが、こやしは汲み取り式のトイレから汲みとったものを使っていた。黄色く変色した新聞紙が土の上にのっているのをよく見たものだ。
 
「最近の若い子のパンツは、チャックなしも多く、ずり下げてオシッコしているから、オチンチン丸見えの子も多い。
 図書館でいつものことで、つい隣の人を見てしまう。中学生くらいの子でじっと見ていたが、嫌がる様子もない。
 そのうち俺の方のチンポが大きくなって、するとその子のも大きくなってくる。すぐに個室に誘った。
 しゃがんですぐにくわえた。イキそうだからちょっと待って、おじさんのも見せて、触ってもいい?
 なめさせてと言い、俺もイキそうになる。先にイカせて俺はその子のをくわえながらイッた。よかったよ。(大阪・雲南人・46歳)」
 
「若いころ、名画座のトイレの大のコーナーで、隣から「チンチンを入れて。尺八してあげます」のメッセージが。もちろん大きな穴で。
 今はこうしたハッテン場は、ほとんど消えてしまいました。でも、ときどき彼氏とデパートや駅のトイレを利用して、ハラハラしながら楽しんでいます。(大阪・バラ中年・48歳)」
 
「大学生のころ、当時は実話雑誌の通信欄の「三島文学ファン」ということ以外に何の手段もなく、それで知り合った紳士にデパートのトイレで初めてフェラチオをしてもらい、想像と現実の違い、天国に行く感激をしたものです。
 他人のPを拝見したのも初めてでした。自分の性、運命について毎日死ぬほど悩み苦しんでいましたが、この世界を知り生きていくことのすばらしさを発見したのです。(熊本・クール・55歳)」
 
「書店で本誌を眺めていたら、ぼくを見つめる視線に気づき、彼のあとをついていって、地下街のトイレにたどり着き、楽しんだことがあります。(あざらし)」
 
 今でもトイレはゲイの人たちの社交場では。それにしてもトイレの便器の進歩はすごい。トイレに入ると、便器のふたがすうっと開いて、「どうぞ!」と言っているようだ。
 
ーーーーーーーーーーーーーー
ラブオイルを販売しているお店
 
フリーマン新宿店
〒160−0022
新宿区新宿2−12−1
03−3351−4178
 
CHECK 新宿店
〒150−0022
新宿区新宿2−18−8 栗原ビル101
03−3351−0080

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2015年10月24日 (土)

「差別」や「偏見」をなくす闘い!

 2015年、10月12日の東京新聞朝刊に、こんな悲しい記事が載っていた。「性的少数者 無理解の根 深く・6割 職場で差別を受けた」の見出しでだ。
 
「同性愛や性同一性障害など、性的少数者(LGBT)の六割が、職場で差別的言動を受けたと感じていることが支援団体などの調査でわかった。
 
 睡眠障害や、うつなどにかかる割合も高く、当事者は今も根深い無理解に苦しむ」と、書かれている。
 
 1976年10月号の『薔薇族』に、「君はどっちの生き方」の見出しでぼくが書いた記事。
 週刊誌『アサヒ芸能』の記者だった、25歳の青年から聞いた話だ。
 
「ゲイバアに出入りしているところを誰かに見られたらしく、社内であいつはホモだということが、ささやかれだしたのです。
 ある日のこと、机の上に『週刊ポスト』のゲイホテル潜入記が書かれている頁が、開いたままで置かれていたり、わざわざオネエ言葉をつかってからかったり。
 エレベーターにひとり乗って一階に降りようとしたら、途中の階で乗る人があって扉が開きました。ところがその人と目があったら、そのまま乗らずに急いで階段をかけおりてしまったのです。
 
 彼は会社をやめようと決意しました。一番彼と親しかった人に、とうとう告白したのです。ところが彼から電話があって、「君とつきあっていると、かえって迷惑がかかるから」といって、交際をことわってきたのです。
 あくる日、彼は会社に辞表を出したのです。」
 
 これは39年も前に『薔薇族』に載った話だ。当時はこのような話は珍しいものではなく、読者からの投稿でよく聞く話だった。
 この記事を読むと、ぼくが編集長として『薔薇族』を出し続けていた時代と、今とそう変わりがないようだ。
 
「同性と付き合っていることを非難され、「仕事をやめて欲しい」と言われた(20代)
 
 小学校の職員室で、ベテラン教師がおとなしい男子児童に「おかまじゃないのか。将来が心配」と話していた。(20代)
 
 女性として勤務しているが、伸ばしている髪を切れと言われた。管理職から「男に戻ってはどうか」と言われた。(40代)
 
 勤め先に性同一性障害と思われるお客が来店した際、店長が陰で「ああいう女が一番嫌い」と言っていた。(20代)」
 
 今は各地でLGBTの人たちを理解し、支援する団体が活動しているようだ。今のゲイ雑誌がその役割を果たせなくなっているので、もっと、もっと若い人たちに頑張ってもらいたいものだ。『薔薇族』は多くのゲイの人たちの心の支えになってきたが、「差別」や「偏見」をなくすということは、10年や20年では変えられないことは承知のうえで雑誌を出し続けてきた。
 一世紀を越す時間がかかるということはわかっていて、少しでも偏見をなくそうと、叫び続けてきたということだ。
 
 先進国のアメリカでの黒人に対する差別、表向きはなくなっているように見えるが、まだまだで根深いものがある。
 アメリカに何度か行ってみて、自分の目で見てきたが、同じ人間なのになぜと思うけれど、これは生理的なものかもしれない。
 
 日本では「部落」の人たちのこと、これも長い年月がかかっている。
 ぼくのように戦前に生まれた人間は、韓国や、中国の人たちのことを人間扱いにしないひどい教育を受けてきたから、時代が変わっても人の心の奥底には偏見が残っているかもしれない。
 心ある人たちが努力して、少しずつでも「差別」や「偏見」をなくしていくしかないだろう。

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2015年10月17日 (土)

ホモか、ノンケかの見分け方は!

 1982年の『薔薇族』7月号に、こんな記事が載っていた。この時代の読者は、好みの男性と出会ったときに、ノンケかホモかを瞬時に識別したいと誰もが考えていた。「90%的中・間違いなし・体験的識別法」のタイトルで金子金太さんが、長々と書いている。長文なので肝心のところだけを紹介しよう。
 
「「目を見れば、大抵は分かるわね」と言うベテランのオカマ氏がいた。ぼくはその言葉を信用できないと思っていたが、今は反対に信用できると思っている。
 
 商人が適当な商品と価格をまず客に見せつけ、その反応で客の購買意欲、能力を知ったり、コウモリが超音波を発して、その反射音で林の木々にぶつからないように飛べるのと同様に、オカマ氏はオネエ言葉や、しぐさを撒き散らし、それを受けた男の反応=目を見てその男にホモっ気があるかを判定するのだ。
 
 1、オネエ言葉を使う
 基本的には自分がホモで、仲間を求めていることをアピールすれば良いのだから、ぼくは嫌いだがオネエ言葉や、右手の甲を左の頬にあて、ホホホと笑うオカマポーズなんか有効だと思う。
 
 2、自慢の体を見せつける
 知らない土地では、夏なんかはショーパン姿で映画館へ入る。ショーパン即ホモというわけではないが、むき出しにされた逞しい腕や脚を見る男の目は、かなり正直にホモ性をのぞかせるはずである。
 
 3、チャームポイント Pでせまる
 局部のふくらみを大きく目立たせるのも良い。もちろん大きく目立つ男をホモと決めるわけにはいかないが、それに向けてギラギラ光る視線を送ってくる男は、ほとんどホモである。
 
 4、ビキニブリーフは効果的な小道具
 全裸があ当たり前(普通)のサウナや銭湯では、逆にビキニブリーフで脱衣所やレストルームを歩きまわると、思わぬいい男がひっかかってくることがある。こんなときは不思議と、Pが中立ち以上にふくらんでくれ、ムックリふくらんだ局部がホモムードを増しているのだ。
 
 5、男らしさでひきつける
 胸毛のある人は、それをチラつかせよう。ただし、拒絶反応とホモっ気を見分ける眼力が必要―これは胸毛に限らずほかのアピールについても同様だが。
 
 6、『薔薇族』はツヨーイ味方
 ぼくは『薔薇族』をよく持ち歩く。カバアをかけたり袋に入れておいたりしておいて、狙った相手にだけ見えるようにチラリと見せるのだ。「ぼくもその趣味があるんです」と、向こうさんから寄ってきたことが2例ある。
 
 また『薔薇族』を買うときが、男さがしのグッドチャンスである。これに二通りあり、ひとつは自分が買う場合と、他は買う男を狙う場合。ぼくは自分のホモ趣味を秘密にしているので、なるべく遠くの書店で買い求める。
 
 そのときはなるべく身なりもキチンとしてゆく。土・日など混むときを狙い、ゆっくり立ち読みなどしながら、ぼくを見つめる男がいないかをときどき見ながら読む。
 
 ひまなときは本屋へ入り、『薔薇族』の置いてある場所を見渡せるところで見張る。『薔薇族』を見たりする態度、目つきでホモかどうか判断できるのである。」
 
 その反応の仕方でホモか否かが分かるだけで、こちらに好意をもってくれるか否かは別問題と、金太さんはしめくくっている。
 
 理想の男を見つけ出すには、大変な努力が必要だった。それは今も昔も変わらない。

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2015年10月12日 (月)

下北沢に一軒しか書店が残っていないなんて!

 ぼくが83年も住んでいる下北沢の駅周辺には、かつて書店が6,7軒はあった。それが次々と廃業し、今はスーパー「ピーコック」の3階にある「三省堂書店」だけになってしまった。
 
 本をまったくといっていいほど読まないぼくだが、日曜日の朝刊の書評欄だけは、どんな本が出版されているのかと目を通している。
 10月4日の毎日新聞の書評欄に、にこにこ笑っている写真が載っていた、鉄を使ったオブジェの制作で知られている篠原勝之さんの著書『骨風』の書評の見出し、「「死」を手づかみにした小説集」に注目してしまった。
 
『骨風』聞き慣れない文字だ。いつも使っている小学館刊の『新選国語辞典』には載っていない。『広辞苑』なら載っているだろうと思って、見たが見当たらない。「骨」というところを見たら「人柄」とか「気質」とあるが、そんな意味ではないのかも。なんでこんな難しい言葉を書名にしてしまったのか。
 
 文藝春秋社の本だから、三省堂書店にならあるだろうと思って、珍しくのぞいてみたが、日曜日だというのに店内に人はまばら。
 店員が調べてくれたが、置いていないので取り寄せるという。それが一週間はかかるということだ。
 
 アマゾンとかにネットで注文すれば、すぐに送料無料で届けられることは知っていたが、書店の経営は大変と思うから、取り寄せるようにお願いしてしまった。本が届いたら電話をしてくれるそうだが、これでは小さな書店がつぶれるわけだ。
 
「生きづらさを易しい言葉で、優しくすくいとる連作小説集である。幼少時の恐怖の源だった父。家族解散とネコへの愛、伝説の映画監督の素顔、スズメバチに襲われたてんまつ、哀れな弟の生きざま……。自身の身辺に材をとった、エッセーに近い私小説の味わいだ。」
 
 今年こそ短編小説を書こうと、ずっと思い続けてきたが、全く手付かずで、もう10月になってしまった。
 篠原勝之さんの本を読めば、ぼくの短編小説を書こうと思っていることの参考になるのではと思ったのだ。しかし、今年もあと2ヶ月しかない。書けないままで終わってしまうのだろうが……。
 
 やはり今朝の毎日新聞に「日歯連10年で1万人減・危機感で選挙傾倒か」の記事。
 今日、歯医者に予約していたのだが、この記事を読んで、行く気がなくなってしまったので、「体調が悪いので」と電話してキャンセルしてしまった。
 差し歯もやっとなじんできているので問題はない。すぐに歯石がたまるわけがない。ギーギー歯をみがくだけのことで、何度も通わされるのはもうごめんだ。
 
「日歯連の政治力を支えてきたのが「30万票」とも言われる集票力と豊富な資金力だ。日歯連の回避は年1万1500〜2万3000円。毎年、10億〜13億円もの資金が集められる。
 選挙では全国の会員をフル稼働させ、組織丸抱えで当選を勝ち取ってきた。
 
 だが業界を取り巻く環境は厳しい。02年に9万人余だった歯科医は、12年には10万人余に増えた。診療所も13年には約6万8000ヶ所に達し「コンビニより多い」と言われる。
 歯科医療費はこの10年間、2兆円台で横ばいが続く。競争が激化する中、12〜13年の1年間に約1400の診療所が廃業した。」
 
 書店の経営も大変、歯医者さんも大変。ぼくのところは、もっと大変。半年に1回くらい、歯医者に行くことにするか。

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2015年10月10日 (土)

キリン・シーグラムとタワーレコードのCMが!

 1998年の『薔薇族』11月号「編集室から」に、ぼくはこんなことを書いている。
 
「10月号の裏表紙に、キリンシーグラムのウォッカの広告をのせることが出来た。このことは『薔薇族』創刊以来の夢で、ゲイ産業にとっても革命的な快挙と言えるだろう。
 ありがたいことに11月号にはタワーレコードのご厚意で、裏表紙に広告をのせることが出来た。
 二社の担当者の勇気ある判断で、広告掲載を決めたことで、これから他の産業からも、広告をいただけるワンステップになったことは間違いありません。」
 
 11月号にはゲイホテル、ポルノショップ、ゲイバア、ゲイビデオの店など、282軒ものお店が広告を出してくれているので、544ページもの分厚い雑誌を出し続けることが出来た。
 それがネットや、携帯電話の普及で、世の中、あっという間に変わってしまった。それと長い間のデフレから脱出できないでいる日本。
 
 広告の世界も変わってしまった。ぼくは弱いものを少しでも応援したいという気持ちから発行部数が少なく、苦戦している東京新聞と毎日新聞を購読している。
 チラシの広告は発行部数の多い、朝日新聞や読売新聞にとられてしまって、僅かしか入っていない。
 
 9月2日の朝刊には、1ページ広告が東京新聞が2ページ、毎日新聞が6ページ、グリコがなんと2ページも使っている。朝日、読売にはもっと1ページ広告が入っているに違いない。
 昔は滅多に1ページ広告なんてなかった。どの新聞も広告料を安くしているからだろう。広告の中に入れる文字などの大きさも、決められていたが、今は「半額」なんて文字がバカでかく入っている。なりふりかまわず広告をとっているからだ。
 
 おどろくべきはテレビのコマーシャルだ。2時間ドラマなど、始まってすぐにCMを長々と入れたら、チャンネルをかえられてしまうから、15分か20分はCMを入れない。それからのCMの量は多すぎる。ドラマの内容よりもCMの時間のほうが長く感じる。見始めたら辛抱強く、CMの時間にトイレに行ったり、目をつむっているが。
 
 今時の若者は、CMをとばして録画して見ているそうだが、老人にはそれができない。これではテレビばなれしている人も多いのでは。
 なるべくCMのない、NHKのテレビを見るようにはしているが。テレビ東京の番組だけはCMが多くても見ている。「カンブリア宮殿」「ガイアの夜明け」「和風総本家」などだ。もちろん「なんでも鑑定団」も。これもCMが長いが、その間はNHKのニュース番組にかえて見ている。
 CMを見ないようにしているが、CMは昔と比べたら格段の進歩を遂げている。見ていて楽しいものが多くなってはいるが……。
 
 なんといっても時代劇専門チャンネルだ。最近は「時代劇専門チャンネルガイド」を年間購読料1800円で買い求めた。
 日曜の午前9時からは、中村吉右衛門主演の「鬼平犯科帳」10時からは、藤田まこと主演の「剣客商売」そのあとうは加藤剛主演の「大川越前」だ。
 もう同じ作品を何度も観ているが、ありがたい(?)ことにストーリーをすぐに忘れてしまうから、何度見ても飽きない。
 
「鬼平犯科帳」を何作も手がけている、東宝の監督だった高瀬昌弘さんとは親交があるので、より真剣に観ている。
 原作もいいが脚本がよく書けていて、流れるように話が進み無駄がない。45分か50分、CMが入らないので、作品を堪能できる。もう二度とこのような時代劇は作れないだろう。
 
Unnamed

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2015年10月 5日 (月)

老人にやさしい、うらやましいような若者の話

 女好きの男性、それも30代の男性で、70を越す老婆が好きという人の話は、あまり聞いたことがない。
 ところがゲイの人の中には、フケ専と言われる人がいて、年寄りの男性が好きという人が、かなりの数いるようだ。
 
 子供の頃に父親を亡くしてしまったがために、年上の男性に憧れるということも考えられるが…。
 1982年の1月号『薔薇族』の投稿欄「人生薔薇模様」に、こんな投稿が載っていた。
 
「私は2ヶ月に一度は、東京に仕事の都合で行く。そのたびごとに夜を待つように、常宿のホテルからタクシーで、上野、浅草、新宿と、飽きながらも『薔薇族』で紹介しているサウナや、ホテルへ出かけている。
 
 私は私の好みに忠実でありたいと、固い決意を持っている。誰から笑われようが、私は70歳以上の上品な太った人しか付き合わない。
 たとえ、その人の持ち物が勃起しようと、しまいと、そんなことはどうでもいいし、脳軟化の後遺症があってもかまわない。
 
 風呂に入ったり、サウナに入ったりしているとき、若年、中年から肌を触られると、ぞっとし、すぐに石けんで洗いさっと出てしまう。
 
 今年の8月に浅草のホテルで久しぶりに待望のご老体を射止めさせて頂いた。74歳の小柄な肥満体の白髪で温厚な人で、ひきあわせてくれた神仏に感謝したものです。
 個室で夜7時〜12時まで、何一つなくご老体と添寝し、深夜、誰もいない浴場で頭から足まで洗い、最後に股間、肛門とシャボンをつけて洗ってさしあげた。
 
 私の股間は膨張の最高点に達していたのだが、ご老体は私の股間のものを手にとって、ニコニコしておられるのみで、ご老体のものは少しは固くなってはいても、相変わらずだらりとしているが、なんともうれしそうであった。
 
 私はご老体に何をしてほしいかと聞くと、「ひさしぶりに放出してみたい」とのこと。ご老体のバックに指を入れ、前立腺マッサージをしつつ、片手でご老体の男根をさすりあげ、5分間で先端からポタポタと、決して白濁したとは言えない液を見るに至ったのである。
 
 私のもご老体の手の中で時を経ずして放出した。そのあとできれいに洗い流してさしあげ、ご老体の背中にまわったとき、そのご老体の後姿が、30代半ばの私には、かわいくて、かわいくて仕方のない気持ちがこみあげてきて、思わずご老体の脇から私の手を差し伸ばし、ぴったりと抱いてしまった。
 そして子供の頭をなでるような気持ちで、ご老体の髪をなでていたのであった。
 本当にかわいい。ご老体とはこんな人なのだろう、誰からも好かれて生きてきた人だからこそと、思っている。
 
 そして、こんな肉体的に淡白な付き合いでも、最高の気分を味わえる仲間もいるのだ。」
 
 ぼくもこんなご老体にやさしい人に出会った体験をブログに書いてしまったために、先日、「ぼくどうして涙がでるの」の50年ぶりの上映会のあと、二次会で、酒に酔っていたのか、友人が、ぼくの女房に、ぼくが男と寝たという話をしてしまった。
 
 さあ、大変。それから一ヶ月以上、怒り心頭の女房は口を利いてくれない。二ヶ月立って、やっとしゃべるようになったけど、女はこわい。女性と付き合っても世間によくあることだから気にしないが、男と寝たなんていうと不潔感を感じてしまう。よく読者の奥さんからも聞かされた話だ。

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2015年10月 3日 (土)

ぼくの辛抱強さは無学な母親ゆずり!

「この集に収めた私の童謡は、大正10年より主に『花籠』その他、2、3の文芸雑誌のために筆をとったものと、さらに近作を加えて、ここにただ順序に配列したのであります。
 
 大正11年2月  著者」
 
 ぼくの父、祷一が、18歳の頃自作の童謡をまとめた手描きの詩集を見つけ出した。
 
 
  小さい柩
 
  小さい柩が行きました
  雨の降る中 行きました。
  あとからマントのおじさんが
  一人 二人と行きました。
  小さい柩が行きました
  雨の降る中行きました。
  あとから可愛い 黒犬が
  ヨチヨチ歩いて行きました。
 
 ところどころに挿絵も入っていて、その絵もかなり上手だ。
 父はのちに直木賞を受賞し、演劇評論家として活躍された安藤鶴夫さんとも、若いころ、家も近くだったので、共に同人誌を出していたようで。文学青年だったのだろう。昭和7年に生まれたぼくに「文学」と名付けたくらいだから……。
 
 祖父、伊藤冨士雄が53歳の若さで病死してしまったので、早稲田実業から早稲田大学に入学していたが、長男でもあり、大学を中退して弟たちのためにも勤めに出なければならなかった。
 甲子社書房という仏教書を出版している小さな出版社に、父は入社した。
 社長の家で女中奉公していた母、くめと知り合い結婚したようだ。岩手県の山奥から出てきた母は無学で、小学校しか出ていない母を父は馬鹿にして、よく暴力もふるっていた。
 
 ぼくは母親似で頭も悪く、「文学」と名づけてくれたのに、それほど文才もない。しかし、辛抱強さは母親ゆずりかもしれない。
 父は戦後、株式会社・第二書房を興したが、社員はぼくだけ。思い出してみても父と面と向かって話をした記憶はない。出版の仕事を教えられたこともない。見よう見まねで自然と覚えて、本を出し続けたのだから、われながらすごいことだと思う。
 
 ぼくも短歌を学生時代、少しばかり作歌したがほめられるほどのものではない。しかし、ぼくはなにか事あるごとに詩のようなものを作る。
 
 心臓病の手術で32歳で亡くなった妹の結婚式の席でぼくが朗読した詩は、人々を感動させた。
 
 
  紀子!
  苦しいときはあの日のことを思いおこすんだ
  10時間におよぶ あの長い手術に耐えたお前だったということを!
  そして、芳っちゃんのぶんも 早苗ちゃんのぶんも長生きしておくれ
  死にそうな人のたいまつになっておくれ
 
  東京女子医大・心臓病棟・401号室
  苦しみ もだえ あがき それでも必至になって助けあい 励ましあって生きようとした君たち
  芳っちゃん 早苗ちゃん 守っておくれ
  みつめておくれ 一銭の貯金もなく 住む家もない みみっちい夫婦の誕生なんだ
 
  紀子
  涙でぼくは君をおくる
 
  子供だって産めたじゃない
  そういう日がくるように きっときっとなっておくれ
 
Unnamed

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2015年10月 1日 (木)

次回、「文ちゃんと語る会」のお知らせ

次回、「文ちゃんと語る会」は、10月31日(土)開催です。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

日時・10月31日(土)午後17時~19時

場所・下北沢南口から4分、カフエ「織部」

〒1550031 世田谷区北沢23 電話0354329068

会費・コーヒー代のみ

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

★初めての方、女性の方、どなたさまも大歓迎。
ぜひ、お気軽にお越しください。

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