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2015年10月 3日 (土)

ぼくの辛抱強さは無学な母親ゆずり!

「この集に収めた私の童謡は、大正10年より主に『花籠』その他、2、3の文芸雑誌のために筆をとったものと、さらに近作を加えて、ここにただ順序に配列したのであります。
 
 大正11年2月  著者」
 
 ぼくの父、祷一が、18歳の頃自作の童謡をまとめた手描きの詩集を見つけ出した。
 
 
  小さい柩
 
  小さい柩が行きました
  雨の降る中 行きました。
  あとからマントのおじさんが
  一人 二人と行きました。
  小さい柩が行きました
  雨の降る中行きました。
  あとから可愛い 黒犬が
  ヨチヨチ歩いて行きました。
 
 ところどころに挿絵も入っていて、その絵もかなり上手だ。
 父はのちに直木賞を受賞し、演劇評論家として活躍された安藤鶴夫さんとも、若いころ、家も近くだったので、共に同人誌を出していたようで。文学青年だったのだろう。昭和7年に生まれたぼくに「文学」と名付けたくらいだから……。
 
 祖父、伊藤冨士雄が53歳の若さで病死してしまったので、早稲田実業から早稲田大学に入学していたが、長男でもあり、大学を中退して弟たちのためにも勤めに出なければならなかった。
 甲子社書房という仏教書を出版している小さな出版社に、父は入社した。
 社長の家で女中奉公していた母、くめと知り合い結婚したようだ。岩手県の山奥から出てきた母は無学で、小学校しか出ていない母を父は馬鹿にして、よく暴力もふるっていた。
 
 ぼくは母親似で頭も悪く、「文学」と名づけてくれたのに、それほど文才もない。しかし、辛抱強さは母親ゆずりかもしれない。
 父は戦後、株式会社・第二書房を興したが、社員はぼくだけ。思い出してみても父と面と向かって話をした記憶はない。出版の仕事を教えられたこともない。見よう見まねで自然と覚えて、本を出し続けたのだから、われながらすごいことだと思う。
 
 ぼくも短歌を学生時代、少しばかり作歌したがほめられるほどのものではない。しかし、ぼくはなにか事あるごとに詩のようなものを作る。
 
 心臓病の手術で32歳で亡くなった妹の結婚式の席でぼくが朗読した詩は、人々を感動させた。
 
 
  紀子!
  苦しいときはあの日のことを思いおこすんだ
  10時間におよぶ あの長い手術に耐えたお前だったということを!
  そして、芳っちゃんのぶんも 早苗ちゃんのぶんも長生きしておくれ
  死にそうな人のたいまつになっておくれ
 
  東京女子医大・心臓病棟・401号室
  苦しみ もだえ あがき それでも必至になって助けあい 励ましあって生きようとした君たち
  芳っちゃん 早苗ちゃん 守っておくれ
  みつめておくれ 一銭の貯金もなく 住む家もない みみっちい夫婦の誕生なんだ
 
  紀子
  涙でぼくは君をおくる
 
  子供だって産めたじゃない
  そういう日がくるように きっときっとなっておくれ
 
Unnamed

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