老人に夢と希望を与えて!
幼いころに父親を亡くすと、父親像を求めて老人を愛するようになると言われる。それを証明するような投稿を見つけた。
「ぼくはこの道を知って2年あまりで、今は社会人。フケ専と人はいうけれど、幼いときに父を亡くし、母一人の手で育てられたからか、同年のものより年上のそれもお父さんって呼ぶにふさわしい年齢の人とばかり交際しています。
体を合わせ、しわだらけの顔をいっぱいに笑いで表現して、生きている喜びにふるえる人もいます。ぼくのことを「君と今日あえてうれしいよ。もっと長生きしようという気持ちになった。ありがとう」
「よく、こんな年寄りと遊んでくれたね。夕食をごちそうさせてくれたまえ。」
「楽しかったよ、また会ってくれないか、君の好きなシャツでも、ブルゾンでもプレゼントするよ。何がいいかな、今日のお礼にね」
「ああ、生きていてよかったよ。こんなに燃えたのは初めてだよ。君は若いのに、なかなかSEXが上手だね。私もまだまだ捨てたもんじゃない。70歳の初春はラッキーだ」
「君だけ満足させて私は申し訳ないよ。いくら気をやろうと思っても、このホースがね、小便だすだけの役しかなくて残念だ。
悪かったね。でも抱き合っているだけで私は幸福だったよ。これ少ないが何か買ってくれよ
。僅かだから気にすることはないよ。シャツ一枚買ったら終わりだ。」
そう言って、一万円くれる人もいた。
確かに全ての人がSEXに満足してくれることはなかった。アゴが疲れるぐらいにペニスをしゃぶってやっても、いっこうに勃たない人もいる。でもなかには若者顔負けのピンピンの人もいる。使い込んだ淫水焼けした、赤黒い色をしたペニスを見るたび、人生の経験を積んだ、さびがありわびがあった。
太くて長い人、太いけれど短い人、細いけれど長くて先が曲がっている人、短小の人など。
「生きてきて60年余、私はこの小さいオチンコに悩み続けてきたんだ。死ぬまでに太く長くなれたらと思い続けてきたが、このまま死ぬんだと思うと、こんなチンコつけて産んでくれた親をうらむよ。君のようにでかいチンコ持ってる人がうらやましいんだ。君は本当に幸せだな」
「そんなことないですよ。チンコの大小なんてこういうときなんでもなんでもないですよ。要は心です。ハートですよ。いくらでかくても射精する時間はみな同じだと、医者から聞きましたよ。
こうして抱き合って楽しくSEXできればそれが最高でしょう。」
「君は若いのに偉いんだね。年寄りの私をなぐさめてくれる心を持っているんだから」
そう言ってよろこんでくれる人もいる。ぼくは交際する年上の人が、よろこんでくれて明日への生きる希望の灯をともしてくれたとしたら、フケ専もまた世のため、人のためになっていることと思う。
心をこめてつくしてやる、ただそれだけのこと。あとの食事や、金や、物を買ってくれるのは、その人のかってであり、ぼくは一度もそうしたことを相手の人に要求したことはない。しかし、相手の人の好意は素直に受けている。
ぼくは社会奉仕、老人に夢を与えていると信じて、これからもフケ専に徹して生きてゆく考えである。」
老人に生きるよろこびを与えてくれる、こんな若者ばかりだといいのだが。
女性とセックスはもうできないけれど、老人のぼくとデートして、食事をしたり、お茶をのんだりしてくれる若い女性がいるということは、幸せなことだ。
」
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コメント
「相手の人に要求したことはない。」とは言うものの。無意識に要求してるんじゃないか?
「夕食をごちそうさせてくれたまえ。」「シャツでも、ブルゾンでもプレゼントするよ。」「これ少ないが、そう言って、一万円くれる人もいた。」
少しは断れよ、あるいは折半にするとか・・・。プロと言われる人に近い感じがする。
投稿: | 2015年11月14日 (土) 15時48分