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2015年12月

2015年12月28日 (月)

「週刊文春」超特大ワイド32本「消えた主役たち」の中に!

 博文館新社刊の平成23年版『5年連用日記』もあとわずかで書き終える。また5年にするか10年にするか迷ったが、思い切って『10年連用日記』を購入することにした。
 書き終える頃には93歳になってしまう。10年なんて過ぎてしまえばあっという間だ。『薔薇族』が廃刊になって、もう12年にもなるのだから。
 
 ブログも書き始めてから、10年を越している。ネットの世界って触ったことがないから理解できないが、カフエ「織部」の店長の奥村くんが、いろいろと見せてくれる。
 あらゆる情報をネットで見ることができるのだから、何時間見ていてもきりがないようだ。
 
 この原稿が2015年の最後になると思うが、どのくらいの人たちが見てくれているのか分からないけれど、見てくれている人がいると思うだけで、感謝の気持ちでいっぱいだ。
 土曜と月曜の週2回の更新だが、いつも次は何を書こうかと考えていないと、1週間ぐらいすぐに過ぎてしまう。それにしてもボランティアで更新してくれているS君にはありがたいことで、お礼の言いようがない。
 
 今の時代、本を出すということは大変なことだ。山川純一君の劇画の人気が続いているおかげで、オトナのぬりえ『やらないか!』を出版することができた。
 1月23日(土)午後2時から5時まで、友人の中嶌君のお店「まじかな」で、出版を祝う会も開けそうだ。
 
「週刊文春」の12月31日・1月7日・新年特大号の「超特大ワイド32本・消えた主役たち」の中の1本に「82歳で男を初体験『薔薇族』元・編集長・伊藤文学のアウトロー人生」の見出しで、しばらくぶりに登場した。
 週刊誌に登場するには、平凡なことをやっているだけでは駄目で、ショッキングな話でなければ記事にはならない。
 
 ぼくの女房はぼくが男と寝たということで怒り心頭で、馬鹿な男が女房に告げ口してしまったので、2ヶ月も口をきいてくれなかった。最近、やっと口をきいてくれるようになったが、何ヶ月も経っているのに思い出したように怒りをぶちまけてくる。
 慣れた家を信用金庫にとられてしまったよりもショックだと女房は言う。週刊誌は読まないからいいようなものだけど、また告げ口されたら大変なことになってしまう。
 
「日本のゲイの世界を変えた男と言っても過言ではない。39歳の時に創刊した『薔薇族』は、これまで日陰の存在だった同性愛者にとってまさに干天の慈雨だったろう。
 今や83歳になった伊藤文学氏から驚きの事実が語られた。」
 
 この後の話は430円出して、コンビニで買って読んでもらいたい。
 
『週間文春』は、『薔薇族』を創刊したときに、いち早く「ホモでない男が出したホモの雑誌」というような見出しで記事にしてくれた。そのあとも何度か記事にしてくれている。
 今度の記事は恐ろしいような話だけど、驚くようなことを話さなければ週刊誌は取り上げてくれないものね。
 
「週刊文春」編集部が総力をあげて「消えた主役たち」に登場する32人の人たちを探しだしている。
 トップは「五輪エンブレム騒動・佐野研二郎・デザイナーで食っていくしかない」と。
「自宅に引きこもり状態で、外でわずかな物音でもすると『マスコミが来た』とノイローゼのようになっていた。」
 才能のある方だから、またデザイナーとして活躍されるに違いない。
 日本で一番売れている「週刊文春」誌面から活気を感じる。コンビニでぜひ、買ってみてください。

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2015年12月26日 (土)

山川純一のフアンは、台湾にも!

 山川純一の人気は、いつまで続くのだろうか? 「文ちゃんと語る会」にイタリアから来て明治大学の大学院に留学している青年が参加してくれたことがある。『薔薇族』の研究で、修士論文を書くのだという。この青年、初対面からぼくはゲイですと、言ってくれた。
 
 日本に興味を持ったのは、日本のアニメを読んだのがきっかけで、日本語を勉強してやって来た。
 その後、また出会って、カフエで数時間も彼の質問に答えて『薔薇族』の話をしたことがある。現在、彼は大学を卒業し、東京の日本企業で働いているそうだ。
 日本のアニメが外国の若者たちに、影響を与えていることは間違いない。
 
 カフエ「織部」の店長の奥村くんが、ぼくのブログのネタをネット上から探しだしてくれている。ネットを触れないぼくにとっては、こんなにありがたいことはない。
 
 この記事を書いた人は、中国語の分かる人だろう。台湾での話だ。
 これは台湾のテレビ局が番組の中で呼びかけたものらしい。
 
「誠徴好男人 NICEMAN WANTED 票選選出好男人 1位 阿部高和」とある。
 
 阿部高和って、山川純一の劇画の中で、もっとも有名な「くそみそテクニック」に登場し、「やらないか!」と、講演のトイレの前のベンチに座って、声をかける青年の名前だ。台湾の人たちもヤマジュンの劇画を読んでくれているとは、うれしい限りだ。
 
「台湾の最高行政機関『内政部』は、台湾の内政を所管する重要な機関だ。その内政部がユニークなイベントを開催している。
 台湾の国民向けに「いい男」を投票してもらい『最優秀いい男』を決定するイベントを開催しているのだ。
 
 もっと台湾のイケメンアイドルや、俳優がクランクインしているのだろうと思ったのだが、予想外の出来事が発生して、物議をかもしている。なんと現在ダントツ1位の「いい男」の名前が、日本人名の「阿部高和」なのである。
 
 2位に2000票もの差で、トップを独走しており、このままでいくと1位のままでゴールインするだろう。
 しかもスゴイことに、2位は日本アニメ『とある魔術の禁書目録』に登場する坂田銀時。
 さらに24位には『魁 男塾』の平田島平八がランクインしている。それにしても台湾のイケメンや人気アニメの登場人物をこえる「阿部高和」とは、いったいどんな人物なのだろうか?
 
 きっと台湾の彼のフアンが多数おり、みんなで阿部高和に、「入れないか!」と口コミで広がって応募が殺到しているのだろう。
 とにかく海外のいい男ランキングに、日本人がランクインしているのは、ちょっとうれしいことかもしれない。」
 
 この記事が書かれたのは、数年前のことらしい。
 台湾って行ったことがないが、今年のゲイパレードは数万人の人が参加したそうだ。ゲイに対する偏見はないようだ。
 
『薔薇族』を台湾の人が、わが家まで何冊も購入しにきたこともあった。持ち帰って売るのだそうだ。
 台湾の人まで、ヤマジュンの劇画を読んでくれているなんて、うれしい話だ。
 
 彩流社刊の『オトナのぬりえ やらないか!』は、書店が力を入れている。郡山市のアニメイト郡山では、コーナーを作ってくれて、阿部君の顔がずらりと並んでいる。台湾でも売れるかもしれないな。
 
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2015年12月21日 (月)

日本はこんなに貧しいのか?

 「なぜそこに日本人」タイトルもよくは覚えていないが、とんでもない貧しい国に嫁いでいる女性を取材した番組がある。
 
 もうぼくは海外旅行どころか、国内旅行にも行けないので、テレビの画面から人々がどのように暮らしているのかを観るしかない。
 
 女性は強い。水道もないような国で暮らしているのだから。
 
 12月15日の東京新聞朝刊の記事が目についた。「日本の豊かさ20位・働く貧困層は8億人超え」の見出しだ。「国民生活の豊かさを示す「人間開発指数HDI」の世界ランキングでは日本が20位となり、前年の19位とくらべてほぼ横ばいだった」とある。
 
 日本は5位の中に入っていると思ったが、韓国よりも低いとは。ノルウェーが1位、2位がオーストラリア、3位がスイス、米国は8位、ロシア50位、中国は90位、中国は金持ちと、貧しい人との差がありすぎるのだろう。
 
 なぜ、こんなことが気になったのかというと、ぼくの住んでいるマンションは2階建で20数年前に建てられたらしい。
 建てられたころは、ガスを使っての床暖房だったらしく、給湯器が大きい。ガスをつけるとゴオっといううなりがして気になっていたが、ぱったりとお湯が出なくなってしまった。
 
 さて困った。寒なってきたので、水でシャワーを浴びれない。家主に話して東京ガスの職員を呼んでもらったが、給湯器をとりつけるのに10日もかかるという。
 
 4、5分歩いた所に、淡島湯があって、ここは天然の温泉をつかっているという、古くからあるお風呂屋さんだ。
 以前から行ってみたいと思っていた。世田谷から高齢者に無料の券をくれる。机の中を探してみたら券が出てきたものの6月で無効になっていた。
 
 女房とふたりでタオルなどを持って、開店時間にあわせて出かけた。ああ、「神田川」の世界だ。ふたりで風呂屋に行くなんて、はじめてのことだ。
 
 ガス、電気、水道、便利な生活をおくっていると、気がつかなかったが、お湯が出ないというだけで、こんなに困るとは思わなかった。
 
 息子の嫁が勤めている会社の同僚の女性の話だが、ガス代を払わなかったら、止められてしまった時に、レンジに水を含んだタオルを入れて温め、身体を拭いたそうだ。
 寒くなってきたので、水で身体を拭くのは辛い。レンジにタオルを入れて温めて身体を拭く。このやり方で2,3日は過ごせた。
 
 淡島湯は450円だった。まっくろなお湯で、底は見えない。段になっているが、かなり深い。つかまるところがないから、年寄りにはあぶない。
 なんとか湯船に浸かって、身体を洗おうと台の上に座ったが、その高さが10センチぐらい。わが家では、ぼくのために4、50センチぐらいの高さの台を使っている。
 
 さて困った。ひざが悪いから、立ち上がれなくなってしまった。つかまるところがない。もがいているうちに、タイルの上に尻がのり、亀が甲羅を下にして手足をばたばたする状態になってしまった。
 
 早い時間なのでお客があまりいない。見知らぬおじいさんが入ってきたので、助けを求めた。おじいさんが手を引っ張ってくれたので、立ち上がることができた。
 女房と息子の嫁は、かなり遠くの風呂屋に行きはじめた。貧しい国の人たちのことを考えれば、ぼくは身体を拭いて過ごすことにした。

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2015年12月19日 (土)

ぬらないか! ヤマジュンの劇画を君のものに!

 まさか山川純一くんの劇画が「ぬりえ」の本になるなんて、考えもつかなかった。ぼくの本『裸の女房』と、『やらないか!』を本にしてくれた彩流社が企画してくれた。
 それも編集の人でなく、営業の人からの発想だった。最初は絵の裏頁は、白紙にするつもりが、取次店(本の問屋)から絵だけだと書籍扱いにできないと、クレームがついた。
 ぼくとしてはありがたかったが、ブログの中からゲイに関する読み物を絵の裏頁に入れることになってしまった。
 33作が入れられて、本に厚みが出たと思うが、「絵だけのほうが」という人もいるかもしれない。
 
「ぼくしか知らない山川純一くんを誇りに!」と題する「あとがき」を書くことができた。
 
「わが家を訪ねてきたお客さんで、部屋にあがらなかった人はいない。そんな山川純一君、ぼくが名付け親だ。
「山」と言えば「川」、誰もが知っている合言葉。「純一」は「純粋が一番」ということだ。原稿を届けにきて、稿料を渡すと立ち話だけで、玄関先でそそくさと帰っていった。
 
 ぼくはノンケ(女好き)だから、男性に対して好き嫌いはないが、2人の編集スタッフは顔が長く、髪の毛が長い男性は好みではない。劇画の内容よりも、描かれている男の顔、髪の長さが嫌だというのだからどうしようもなかった。
 
「百合族」という言葉も、ぼくが名付け親だが、「百合族の部屋」というコーナーを『薔薇族』誌上に設けたら、読者から「女性の頁など作るな!」という声が多く、やめざるをえなかった。
 
 1982年10月号の「刑事をやれ」が最初で、1987年までに、30数篇の作品を残している。
 ヤマジュンは、わが家に訪ねてくる前はアルバイトをしていたようだが、名前も住所もあかさなかった。
 白いヨレヨレの半袖シャツにGパン。ゲイに受けそうもない顔だった。ハッテン場などで遊び歩いているようにも見えないから、彼の作品は妄想から生まれたものだろう。
 
 ぼくが支払う生活保護費ぐらいの稿料で、つつましく生活していたようだ。スタッフが彼の作品を載せるなといっても、ぼくだけが彼の生活ぶりを知っているから、意見を抑えて作品を載せ続けていた。しかし、そのような声があまりにもうるさいので作品を載せなくしたが、それでも作品を持ってくれば稿料を渡していた。
 
 何ヶ月かして彼は姿を消した。それからのことは誰も知るよしもない。
 彼の作品が多くの人に支持され、愛され続けていること、ぼくしか知らないヤマジュンを誇りに思っている。」
 
 週刊誌大の大きさで70頁。『オトナのぬりえ・やらないか!』。カバアも目立つ、いい本になった。
 新宿の紀伊國屋書店本店の一階の目立つ所に置いてくれた。80冊も仕入れてくれたということは、仕入れの人が、これは売れると思ったからだろう。
 
 ヤマジュンの作品で、色がついているものはない。この本を購入してくれた人が、着色して、君だけの作品に仕上げる。ヤマジュンの世界へ入り込む、これは楽しいことではないか。
 
 銀座のキャバレー「白いばら」で、出版を祝う会を開こうと思ったが、残念ながらやめることにした。
 友人のカメラマンの中嶌英雄君のお店「まじかな」で、1月23日(土)午後2時から5時まで、会費¥3000(ワンドリンク・おつまみつき・本を進呈)楽しい会にするつもりだ。
 
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2015年12月14日 (月)

荒木経惟さんに「お互いによく生きていたね」と!

 茶沢通り(下北沢から三軒茶屋に行く道)と、梅ヶ丘通り(淡島から梅ヶ丘へ行く道)の交差点に、『薔薇族』が誕生したマンション「ハビテーション淀川」がある。
 その向かい側に悪代官の信用金庫が。交差点から4軒目の茶沢通りに面した、7階建のマンションがある。
 平成4年だったと思うが、このビルの落成式に呼ばれて、ぼくも参列したが、このビルの設計者と出会うことができた。
 
 ちょうど、その頃、女房の古里、新潟県の弥彦村に美術館を建てようと思っていた時なので、設計者の清水さんに美術館の設計をお願いしてしまった。
 その思い出の会うビルの2階に「LACAMERA」という画廊がある。画廊のオーナーとカメラマンの荒木経惟さんと親しいのか毎月、1日から10日まで、荒木さんの写真展が開かれている。初日の1日の夜7時から「アラーキー参上」で、荒木さんのフアンの人が、狭い画廊にぎゅうぎゅうになるくらい押しかける。
 
 12月の写真展は「死走」と題するポラロイドで撮影した写真が数10点展示されている。荒木さんは75歳だそうだが、片目はよく見えないそうで、友人のカメラマン中嶌君から聞いた話だと、ガンだということだ。
 
 「死走」ぼくの使っている辞書には、そんな言葉はのっていない。何年か前にこの会に出席したことがあり、声をかけたことがあった。
 荒木さん、よくぼくの名前をフルネームで覚えていてくれた。最初の言葉が「お互いによく生きていたね」だった。
 
 そうか、「死走」とは「死にそう」という意味かもしれない。荒木さんよくしゃべる。次から次へと声をかけるお客さんと、しゃべりどおしだ。
 話のとぎれたときに「写真をいっしょにとらせてください」と、お願いしたら快くとらせてくれた。
 
 海外で刊行された『AKITITOKYO』という荒木さんの写真集をなぜかぼくは、5・6冊も持っている。どこで、なんで買ったのか覚えていないが、この写真集は日本で発禁になっていたものだ。
 ヌードの女性がなわでしばられ、またをおおびらきにしたところにバイブレーターがさしこまれている。その下の写真が、とんでもないご夫婦の写真が。なんでこのような写真を入れてしまったのかは理解できない。
 
 この写真集にサインをお願いしたら、「この本持っている人は今、いないよ」と言ってサインしてくれた。
 オーストラリアで作られた写真集で、この写真集が世界中で話題になり、それから荒木さんが有名になって、大活躍がはじまった最初の本だということだ。
 ツウショットの写真をお願いしたら、快く並んでとらせてくれた。これは貴重な写真になるかもしれない。
 荒木さんと目の前に座っていたので、もっと遠慮なく写真をとればよかったと後悔している。
 
 2月1日にもアラーキーは参上すると思う。入場料なんかとらないようだから、興味ある人は参加してみたら。ただ、下北沢の南口から歩いて10分ぐらいはかかるけれど。
 
「ペーソス」という4人のグループが歌を聞かせてくれた。クリスマスの歌は、それこそペーソスがあふれるしみじみと心にしみるいい歌だった。
 下北沢でライブをやっているし、ぼくの友人の中嶌君のお店、銀座の「まじかな」で、12月17日(木)18時開場、料金2000円(飲食代別)でも開かれる。電話03−3573−5300。予約は平日の18時過ぎに電話を。すばらしいグループだ。
 
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2015年12月12日 (土)

今度でオシマイ、ぼくの生前葬に!

 今、少し悩んでいることがある。生来、何事もくよくよしない性格なので、なんとか83歳になるまで生きてきた。
 悩みごとといっても、大げさなものではない。ぼくはなぜか15年ぐらい前から、日記をつけ出している。
 15年前に購入した日記帳は、10年間使える日記帳だ。その日に誰と会ったとか、本当に短い文章ですむので、なんとなく続けてこられた。
 10年日記を書き終えたときに、また10年日記にするか、5年日記にするか、このときも悩んでしまった。
 あと10年というと、90歳近くになるからとてもそんなに生きられそうもないと思って5年日記にしてしまった。
 それがなんと、1ヶ月で終わりになってしまう。
 
 5年日記にするか、10年日記にするか、今度は決めるのは難しい。5年日記なら元気でいられるとしたら、東京オリンピックを迎えられる。
 10年日記だとすると、93歳で亡くなられた水木しげるさんぐらいの歳になってしまう。よし、10年日記にしようと、水木さんの話を新聞で読んでいるうちに思うようになってきた。
 ぼくのおじさんもニューギニアに連れていかれて、どんな死に方をしたのかは、分からない。骨箱には小さな石がひとつ入っていたそうだ。
 
『裸の女房』と『やらないか』の2冊を出版してくれた「彩流社」から話があって、編集の人からの発案でなく、営業の人から企画を出されたそうだ。
 山川純一君の劇画を「大人のぬりえ」にしようという考えだ。ところがヤマジュンの絵の裏を白くしてしまうと、ほんの問屋、取次店の仕入れ係が、書籍扱いにしてくれない。卸値の条件が悪くなってしまう。そこで絵の裏側に、ぼくのブログの中から、同性愛に関する話だけを30数篇入れることになってしまった。「監修・文・伊藤文学 絵・ヤマジュン」ということに。ぼくは山川純一の名付け親であり、ぼくしか会っていないという、不思議な関係を「あとがき」に書き、ヤマジュンに出会えたことを誇りに思っていると。
 
 10年近くも、誰が書いたのか知るよしもないが、ネットの2ちゃんねるに、ヤマジュンのことが書かれ、それがきっかけとなって「やらないか!」の言葉も流行語になり、どんどん広がり続けている。
 
 ぼくはとにかくパーティ好きで、本を出版するたびに出版を祝う会を開いてきた。新宿の「京王プラザホテル」での会が多かったが、ここ数年は銀座で一軒だけ生き残っている「キャバレー・白いばら」で、1月23日(土)夕方5時から、4度めの出版を祝う会を開くことに決めた。
 誰にも相談しないで、やろうと決心したらすぐに実行してしまう。昨日、「白いばら」の店長(下北沢の街に住んでいる)に電話をしたら、喜んで応援してくれるという。
『裸の女房』『やらないか!』『ぼくどうして涙がでるの』と、3度も盛大に祝う会を開いてきた。
 今度で4度目の祝う会、今の時代、本を出版するということは大変なことなのだ。4度目で「オシマイ」ということなので、ぼくの生前葬にしたいと思っている。
 
 死んでしまってから、葬儀にきてもらってもうれしくはない。生きていて元気なうちに、ふだん会えない友人たちと、にぎやかに祝う会ができたら幸いだ。「白いばら」のショウは踊り子さんの踊りがすばらしい。生バンドの演奏は昭和の香りが。ぜひ、ご参加を!

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2015年12月 7日 (月)

外国人の女性に石を投げたことが!

 11月30日(月)の毎日新聞の朝刊社会面は、差別と偏見の記事ばかりだ。「ハンセン孤児傷深く」の見出しの記事は悲しい話だ。
 
「厳しい差別を受けながら、救済の枠外に置かれてきたハンセン病の元患者の家族たちが、国の責任を問うために声を上げることになった。
 
 強制隔離の根拠となったらい予防法の廃止から来年で20年が経過するが、今も差別や偏見は根強い。「ハンセン病問題は決して終わっていない」新たに起こす国家賠償を通じて家族たちはそう訴える。」
「鹿児島県奄美市で暮らす奥晴美さん(69)は、自らを「ハンセン孤児」と呼ぶ。幼いころに両親が強制収容され、一人で生き抜かなければならなかったためだ。「親から切り離され、社会で差別を恐れて生きてきた「孤児」たちの人生がどれだけ過酷だったか知ってほしい」そう思い、原告になると決めた。」
 
 ぼくの父、祷一は、ハンセン病に関心を強く持っていて、ハンセン病を世の中の人に知ってもらいたいと本を何冊も出している。
 
 草津の「楽泉園」に足繁く通い、川柳を教えていた。ぼおくも多麿の「全生園」に歌会で訪れたことがある。もう誰もハンセン病の人たちのことを語る人もいなくなり、忘れ去られているが、まだまだ奥晴海さんのように、苦しい思いで生きている人が、多数いるということだ。
 
 その記事の下に囲みで小さな記事が載っている。「同性愛に暴言ツイート」という見出しでだ。
 
「神奈川県海老名市の鶴指真澄市議(71)=無所属・3期目=が28日夜以降、同性愛者について「生物の根底を変える異常動物」などと自身のTwitterに投稿していたことがわかった。」
 
 鶴指氏は29日、毎日新聞の取材に、「酔った勢いで書いたが、いろいろと意見をいただき驚いた。迷惑をかけた方に謝罪したい。」と話した。「全然知識もなく、深く考えたこともなかった」と話した。」
 
「酔った勢い」とは言うものの、口には出さないが、こんな人たちがまだまだ多いことは間違いない。
 差別や、偏見は簡単には無くなるものではない。地道に訴え続けていくしかないだろう。
 
 その記事のとなりの記事も情けない話だ。「人種差別「許されぬ」」の見出し。
 
「短文投稿サイトTwitter上で、サッカーJI、ガンバ大阪のパトリック選手(28)に対する人種差別的な描き込みが投稿された問題で、Jリーグの村井満チェアマンは、29日Twitterの運営会社に違反通報し、投稿は削除されたことを明らかにした。」
 
 戦争中のぼくの子供の頃の話だが、近所に外国人の女性が住んでいた。「鬼畜米英」と教えこまれていた時代だ。子どもたち数人で、外国人の女性に石を投げた記憶がある。
 
 今でもそのときの黄経をあざやかに思い出す。その女性、どんな思いがしただろうか。
 
 やはり子供の頃の話だが、どこの街にも神経をわずらっている女性が、うろうろしていた。今なら病院に入院させるかしているだろうが。別にその女性、あばれたりするわけでないのに、石を投げたりしたこともおぼえている。
 
 自分よりおとると思う人のことを差別したり、偏見の目でみたりするのは、人間の持っている悲しい本能かもしれない。。
 
 社会面に載った3つの記事を読んで、いろんなことを思い出してしまった。子供のころから学校で、差別や偏見なくす教えをしていかなければと思うのだが……。
 

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2015年12月 5日 (土)

大きいの小さいの、アソコはいろいろ!

 こんなこと書いてしまっていいのだろうか。「絶対くわえたくなかった、ペニスはこんなの」
 読者の言いたい放題だ。本音で語ってくれているから貴重な話ばかりだ。
 
「一番思うのは終わった後、流さないで寝ていて、次のやつが来ても平気なチンポ野郎。終わって眠くても、ちゃんと流すくらいしないと、色々と(エイズとか病気のことが)あるでしょうがに。それとくさいやつ。(大阪・ヤスアキ30歳)」
 
「それは半包茎のオチンコだ。ちょっぴりのぞいた鈴口はピンク。皮をぐっとおろせばむけるし、亀頭のまわりにはバテのような恥垢がいっぱい鉢巻をしている。
 指でこそぎ、そっとかぐと、もう吐き気のする臭さだ。彼はよがって早くなめてとねだるけど、いくら男が好きでもカス漬けのチンコはなめる気も、しゃぶる気もしない。風呂に入って石けんでよく洗ってからしゃぶってやる。(オシャブリ好き・21歳)」
 
「裸になるまで理想の男でしたが、アレを見たら人差し指ぐらいだったので、がっかりしたことが、何度かあります。また不衛生なのはいただけません。(東京・色白ずんぐり・31歳)」
 
 モデルの撮影に何度も立ちあったが、外見とアソコの大きさは一致しないということを知らされた。
 
「学生の頃、浅草の雷門の前でデートした材木屋の社長のチンポ。小指ほどのもので、硬くなってもその張りさえもなく、毛むくじゃらな林の中でひっそりとしていた。
 ごわごわしたちぢれた毛だけが頬に痛く、ぼくが顔をそむけると、哀しそうな目をしていた。
 あんな小さなチンポで子供が3人。よく男の子ができたものだ。だけど誠実な人出、誘われると断ることができなかったあの頃。チンポの小さい、あのおじさんにまた会いたい。(長崎・海流・46歳)」
 
 短い文章だけど、しみじみとして短編小説を読んでいるようで泣けてくる。
 
「いろんなチンポをくわえてきたけど、ぼくの経験では3人いたなあ。56歳ぐらいの音楽の先生、この人のチンポは16センチぐらいあって、太くて立派だったけど、歳のせいかシミができてて、チン毛に白毛があって汚いと思った。
 二人目は29歳の人で、もう小さくて体格はいいのに10センチもなくて、ウインナーソーセージをくわえているみたいで、ぜんぜん良くなかった。
 三人目はぼくより2つ下の学生で、初めてだったこんなチンポ。カリの所にたくさんトゲみたいなものが、はえてるみたいだった。
 すごく気味悪くなって、絶対くわえられなかった。病気だったのかな?(新潟・ハートカクテル・23歳)」
 
「その人はいれずみしていた。何をジロジロ見てるんだ。いれずみが美しいからなんて、うまいこと言いやがる。こっちへこい。てな感じでシャワー室に入れられてロックされた。
 腰をつきだしたその人のペニスは、もう巨根ズバリ。その上玉をタテに2つ入れていた。唇を動かすたびに、玉があたってとても感激。
 やがて尻を出せと言われて、いっきにつらぬかれた。痛いのなんのって、でも、そのうちピストンされると、菊の芯がしびれて最高だった。(おしゃぶり青年・21歳)」
 
「少年のかわいいおチンチン、ウブ毛が生えかけていて、それでもけっこうデッカイ子がいるんだよ。そんなオチンチン大好きだよ。(山口・少年愛・39歳)」
 
 何かあの独特の匂いがしてくるような。
 彼女にプレゼントされた香水をふりまこうかな。

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2015年12月 2日 (水)

「文ちゃんと語る会」のおしらせ

次回、「文ちゃんと語る会」は、12月26日(土)開催です。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
日時・12月26日(土)午後17時~19時
場所・下北沢南口から4分、カフエ「織部」
〒155−0031 世田谷区北沢2—2—3 電話03—5432—9068
会費・コーヒー代のみ
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
★寒くなってくると集まりも悪いでしょうが、元気なうちは続けようと思います。
どなた様も大歓迎。ぜひお越しください。

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