荒木経惟さんに「お互いによく生きていたね」と!
茶沢通り(下北沢から三軒茶屋に行く道)と、梅ヶ丘通り(淡島から梅ヶ丘へ行く道)の交差点に、『薔薇族』が誕生したマンション「ハビテーション淀川」がある。
その向かい側に悪代官の信用金庫が。交差点から4軒目の茶沢通りに面した、7階建のマンションがある。
平成4年だったと思うが、このビルの落成式に呼ばれて、ぼくも参列したが、このビルの設計者と出会うことができた。
ちょうど、その頃、女房の古里、新潟県の弥彦村に美術館を建てようと思っていた時なので、設計者の清水さんに美術館の設計をお願いしてしまった。
その思い出の会うビルの2階に「LACAMERA」という画廊がある。画廊のオーナーとカメラマンの荒木経惟さんと親しいのか毎月、1日から10日まで、荒木さんの写真展が開かれている。初日の1日の夜7時から「アラーキー参上」で、荒木さんのフアンの人が、狭い画廊にぎゅうぎゅうになるくらい押しかける。
12月の写真展は「死走」と題するポラロイドで撮影した写真が数10点展示されている。荒木さんは75歳だそうだが、片目はよく見えないそうで、友人のカメラマン中嶌君から聞いた話だと、ガンだということだ。
「死走」ぼくの使っている辞書には、そんな言葉はのっていない。何年か前にこの会に出席したことがあり、声をかけたことがあった。
荒木さん、よくぼくの名前をフルネームで覚えていてくれた。最初の言葉が「お互いによく生きていたね」だった。
そうか、「死走」とは「死にそう」という意味かもしれない。荒木さんよくしゃべる。次から次へと声をかけるお客さんと、しゃべりどおしだ。
話のとぎれたときに「写真をいっしょにとらせてください」と、お願いしたら快くとらせてくれた。
海外で刊行された『AKITITOKYO』という荒木さんの写真集をなぜかぼくは、5・6冊も持っている。どこで、なんで買ったのか覚えていないが、この写真集は日本で発禁になっていたものだ。
ヌードの女性がなわでしばられ、またをおおびらきにしたところにバイブレーターがさしこまれている。その下の写真が、とんでもないご夫婦の写真が。なんでこのような写真を入れてしまったのかは理解できない。
この写真集にサインをお願いしたら、「この本持っている人は今、いないよ」と言ってサインしてくれた。
オーストラリアで作られた写真集で、この写真集が世界中で話題になり、それから荒木さんが有名になって、大活躍がはじまった最初の本だということだ。
ツウショットの写真をお願いしたら、快く並んでとらせてくれた。これは貴重な写真になるかもしれない。
荒木さんと目の前に座っていたので、もっと遠慮なく写真をとればよかったと後悔している。
2月1日にもアラーキーは参上すると思う。入場料なんかとらないようだから、興味ある人は参加してみたら。ただ、下北沢の南口から歩いて10分ぐらいはかかるけれど。
「ペーソス」という4人のグループが歌を聞かせてくれた。クリスマスの歌は、それこそペーソスがあふれるしみじみと心にしみるいい歌だった。
下北沢でライブをやっているし、ぼくの友人の中嶌君のお店、銀座の「まじかな」で、12月17日(木)18時開場、料金2000円(飲食代別)でも開かれる。電話03−3573−5300。予約は平日の18時過ぎに電話を。すばらしいグループだ。
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