« 戦後、初めてゲイバアを開いた「夜曲」のマスターは! | トップページ | LGBTの成人式に出席してみる! »

2016年1月18日 (月)

「三條新聞」で知った金子繁治さんの死!

 三條新聞2016年1月6日の新聞に新潟県燕市出身のボクサー、金子繁治さんが2日午後、肺炎のために入院先の三宿病院で亡くなられたという記事が大きく載っていた。84歳ということだ。
 東京の新聞には金子繁治さんが亡くなられたという記事は載っていなかった。
 三條新聞といったって、東京の人は知らないだろうし、新潟県の三条市は洋食器や刃物の生産地として有名なだけで、知らないのは当然のことだ。
 
 女房の古里の弥彦村に隣接する町で、弥彦村にも読者はいる。ぼくが弥彦村に「ロマンの泉美術館」を平成5年にオープンさせてから、催し物が変わったり、東京から芸能人を招いて演奏会を開いたりすると、大きく記事にしてくれた。
 社長の息子さんだと思うが、山崎洋一郎さんが、ぼくが弥彦に行くと、必ず取材にかけつけてくれた。
 
 今でも一日遅れになるが、ずっと無料で新聞を送ってくれているので、弥彦村の出来事はすべて理解している。新聞だけでなく、秋になると、大きな梨を送ってくれるし、新米がとれると、お米も。
 
 金子繁治さんとは、北沢税務署の協力団体の北沢法人会で知り合った。北沢法人会の会報の製作をぼくが手伝っていた時に、インタビューをして、写真もぼくが撮って記事にしたことがあった。もう30年ぐらい前のことだ。
 ボクサーだった人なので、ヤクザっぽい、恐い人かとおもったらとんでもない、クリスチャンで温厚な方だった。
 
 金子ジムは下北沢の駅から小田急の電車が新宿に向けて走りだすと、すぐ右手に窓ガラスに大きく「金子ジム」と書かれた建物で目に入ってきた。
 それが今では地下深く走るようになってしまったので、窓から見えなくなってしまった。
 
 金子さんとは歳も同じで、女房と同じ新潟県出身ということで親しくなった。ジムにも何度も見学に行ったり、後楽園ホールでの試合も何度も観に行った。
 長男の健太郎くんが結婚した時には、披露宴に招待されたこともあった。そのときとなりに座られたのは、公明党の代議士さんで、今では党首の次の方で、お名前が思い浮かばない。テレビにもよく登場している方だ。
 長い間、年賀状をやりとりしていたが、何度か住所が変わったので、ご縁がなくなってしまった。
 
 「昭和30年台ボクシング界のスター・昭和28年東洋フェザー級王座獲得・復興期の日本に夢と希望・現役時代から敬虔なクリスチャン」と見出しにある。
 
 「金子さんは昭和6年8月13日、燕市の生まれ。地元の尋常高等小学校を卒業したあと、両親が営んでいた青果店を手伝っていたが、ボクサーになるという自身の幼い頃からの夢を追いかけようと、18歳で上京、ボクシングジムの名門、笹崎ジムの内弟子となってボクシング人生をスタートし、同25年4月、プロデビューを果たした。
 
 階級変更を経て、28年12月、OBF東洋フェザー級王座に挑戦、初代王者のラリーバターン選手(フィリピン)を4回KOで下して王座を獲得。日本人として初の東洋チャンピオンとなり、以来6度の防衛を果たした。
 左フックを得意とし、「魅惑のハードパンチャー」とも呼ばれて人気を博し、日本のボクシング界に一時代を築いた。」
 
 金子さんの死を三條新聞で知るとは。下北沢の街を歩いていると、よく出会って立ち話をしたものだが、ここ数年お会いすることはなかったが、入退院を繰り返されていたようだ。
 下北沢の街へは、毎日のように散歩に出かけるが、最近は知っている方に出会うことがない。みんな亡くなられている。寂しい話だ。
 
F07549517db14f268f94ea34b9d32dc5

|

« 戦後、初めてゲイバアを開いた「夜曲」のマスターは! | トップページ | LGBTの成人式に出席してみる! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/101967/63055987

この記事へのトラックバック一覧です: 「三條新聞」で知った金子繁治さんの死!:

« 戦後、初めてゲイバアを開いた「夜曲」のマスターは! | トップページ | LGBTの成人式に出席してみる! »