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2016年1月 4日 (月)

 松田優作さん、「小笹寿司」で食べることは座禅だ!

 東京新聞の12月29日付朝刊に「私の東京物語」という連載コーナーがある。
 大木雄高さんという「レディ・ジェーン」のマスターが書いている。この店は松田優作さんが通っていたことで有名だ。
 
 ぼくが住んでいた下北沢マンションの筋向かいにあり、茶沢通りに面している。ぼくはお酒を飲まないので、バアにはほとんど入ったことがないが、一度だけこの店に入ったことがある。
 松田優作さんのボトルが棚に残されていた。大木さんがこんなことを書いている。
 
「『小笹寿司』は茶沢通りのほんの先にあった(現在はバーミヤンになっている)。一人で入ると、手ぬぐいを鉢巻きした強面のおやじがいた。デザイナーの東盛太郎の母君が、小笹の鮨が食べたいけど歩けないと言った時には同行した。
 
 終生の朋輩、脚本家の筒井ともみと一緒に行った時、江戸っ子同士のおやじと常連の彼女が、ネタやサビでやり合うのに灼けた。
 
 深川生まれの寺島進を連れた時も、初見客なのに気に入られて、へそを曲げた。そしてやっと、常連がおやじに認知されたぼくは、気難しい単純なおやじに松田優作を引き合わせた。
 
 優作は「小笹で食べることは座禅だ」と、握りに長い指を伸ばした。イラストレーター黒田征太郎と「小笹」で待ち合わせた初七日法要の日、おやじの鮨が優作の祭壇に供された。」
 
 優作の「小笹で食べることは座禅だ」という言葉。なんとなく分かるような気がする。鮨を注文するお客と、握るおやじと息が合わないと、おやじは客をいびってしまう。
 微妙な息づかいが大事で、お金を払っているのになんでいびられるのかと、怒るようなお客は来てもらわなくてもいいのだ。
 
 小笹寿司の岡田さんの家は、今、ぼくが住んでいるマンションから、二、三分のところにある。岡田さんの亡き後、お母さんの介護を一人娘の方が、長い間、つくしていた。
 お母さんも亡くなられて、娘さんがひとりで住んでいる。
 
 「小笹寿司」は、お弟子さんが岡田さんに教えられたことを忠実にまもって、今は茶沢通りに店を構えている。
 夕方五時開店だが、何人かのお客が開店を待っている。毎日のように店の前を通るのだが、2015年は一度だけ、息子の嫁と、友人のお金持ちの奥さんと三人で食べただけだ。
 今年は頑張って月に一度ぐらいは、小笹の寿司を食べたいものだ。
 
 先代のおやじさんのことは、2007年、8月9日のブログに「ヤクザと思われるからやめて!」と題して書いている。
 
「ぼくはおやじさんに頼まれたことがある。お父さんが刺青をしていたそうで小さい時からそれを見ていて、かっこ良く思ったそうだ。
 
 おやじさん、還暦を迎えた記念に自分のからだに墨を入れてみたいと思いついたのだ。まさか刺青なんて、そんな簡単に彫れるものではない。東映のヤクザ映画に出てくるようなかっこいい刺青を描いてくれる人がいないかとぼくに相談をもちかけてきた。
 
(中略)
 
 わが家の座敷で何時間もかけて、丹念にマジックで全身に描いてくれて、それはそれはほれぼれするような見事な出来栄えになった。
 
 おやじさんはガンで亡くなってしまった。お宅にもお邪魔したが、寝ているような安らかな顔をされていた。刺青を入れた写真も大きく伸ばして、残された娘さんが、「その写真を祭壇に飾りたい」と言ったら、お母さんが「ヤクザだと思われるから、それだけはやめてほしい」と言ったとか。」

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