戦後の日本のゲイたちは進駐軍に教えられた!
「日本最初のホモ座談会」出席者。
新宿「夜曲」マスター・芳村豊(42歳)。同店ボーイ・藤井正治(22歳)。雑貨店主・杉田等(32歳)。会社員・山本辰夫(23歳)。司会・作家・鹿火屋一彦・本誌編集部。
鹿火屋一彦さん、当時の雑誌で同性愛の記事があると必ず登場していた。伏見憲明さんの『ゲイという〔経験〕』の中に、鹿火屋さんのことがくわしく書かれている。
「かびやかずひこが遺した同性愛に関する記事は膨大であるが、そのかびやにして、自らのセクシャリティについて明確に語ることはなかった。
どう読んでみても当事者以外が記しようもない内容を語っていても、そして自宅の住所まで公開して、同性愛者の悩み相談のボランティアまで引き受けていながらも、けっして「自分は同性愛者である」という言葉は記さなかった。しかし、それが周到に避けられ明言されていないことが、かえって彼がゲイであることをあぶり出しているようにも感じる。」
鹿火屋さんは、70年台の後半に亡くなられたそうだが、このような方がいて、今とつながっているということを忘れてはならない。
当時のゲイの人たちは、女性と結婚せざるをえなかったし、ゲイであることを隠し通したのだ。
「鹿火屋 いつの世、いずれの国でも、戦後には同性愛者が増えるというわれていますが、今次大戦後の日本におけるホモの激増は、僕の知る限りでも大変なもので、地方などでは流行の観があるくらいに、増えている状態です。
芳村 うちへいらっしゃる方には、お若い方を好きだという方が多いですね。そして中年から上の方がいいという方たちは、たいてい浅草へいらっしゃるようですね。
浅草にもこういう飲み屋―喫茶はありませんけれどもゲイの集まるところはあるんです。若い人を好きな方は新宿のお店へといって、うちあたりへ来てくださるのです。(注:戦後にゲイが増えるということはなくて、いつの世でも比率は同じ。隠れていた人が表へ出てきたということです。)
編集部 山本さんはいつ頃からですか。
山本 そうですね。中学2年のころです。そのころに学校の先生から、そういうことをされたのですが、その時は別に同性愛とかなんとかということは深く意識していなかったし、わからなかったので、ただ可愛がってくれるのだと思っていたのです。
鹿火屋 セックスの交渉はどういう形で?
芳村 昨今の若い方たちはアメリカの方と付き合っていますし、あちらのほうがとても濃厚ですからね。ですから今の若い人のほうが、われわれ年輩のものがビックリするような遊びを知っています。
鹿火屋 性交渉はアヌス(肛門性交)?
芳村 終戦後あちらの人たちが来るようになってから、とても烈しくなりましたね。うちへいらっしゃるある外人の方が、若い子を連れて行って遊んだことがありますけど、あとでその若い子がうちへきて、「マスター、おどろいたよ。あの人がコップを持ってきて、オシッコをしろしろとあまり言うから、出たくなかったけどしたら、それを飲んだよ」と言っていましたね。
それからもうひとりの別の若い子がやはり外人と遊んだ時には、その外人から大便をしろと言われて、便所へ行って大便をしたらば、一緒に便所にまでついてきて、それをペロペロなめて、おいしい、おいしいと言ったというのです。」
落ちがついたところで、このへんで。(つづく)
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