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2016年1月 9日 (土)

日本で最初のホモ座談会

 1988年『薔薇族』№181に、相棒の藤田竜が珍しい雑誌を見つけ出している。戦後、雨後の竹の子のように出版されたエロ雑誌の『風俗草子』(昭和28年12月号)だ。
 
「都内で一番古い歴史をもつソドミア喫茶店「夜曲」のマスター芳村氏を囲んで、本誌は全国のホモ党諸兄のために座談会を敢行した。
 かかる本格的な企ては本誌が初めて行うもので全読者のご愛読を乞う次第です。
 出席者は新宿「夜曲」のマスター・芳村豊(42歳)、同店ボーイ・藤井正治(22歳)、雑貨店主・杉田等(32歳)、会社員・山本辰夫(23歳)、作家・鹿火屋一彦、本誌・氏家富良」
 
 藤田竜君は見出しに「34年前の日本最初のホモ座談記録!」と、日本最初と強調している。
 
 戦後のゲイの歴史を知る上での貴重な座談会なので、全部は紹介できないが、何回かにわけて書いてみたい。
 藤田竜君は、この座談会の重要性をちゃんと解説してくれている。
 
「[解説]東京にもホモ・バーがまだ10軒くらいしかなく、もちろんサウナやホテルもない。バーやハッテン場に出てくる男もごく少数……という時代の座談会。
 話の内容はびっくりするようなものではないけれど、上に引いた文章でもわかるとおり、座談会を開いたことは、画期的なことである(テレビじゃないから、座談会に出席したからといって、素性が知れるわけではないが、お客さんが二人も参加したのは、大変な勇気のいることだったろう)
 
 これを読むと、現在、誰もが当然のようにする尺八は、敗戦後アメリカ人が進駐してから広まったものだそうで、それ以前の日本のかたちとしては、バックが主流であったらしい。
 こういう時代の証人もどんどんいなくなって。もうすでに戦前、戦中のことは霧のかなただ。その頃のホモはどんな知り合いかたをしたのだろう。
 
 戦後の東京のホモ・バー第1号店「夜曲」は、当時「二幸」という食品デパートだった今の「新宿アルタ」裏の暗い小路にあった。
 この座談会の中心になっているマスターは、後年、店のボーイだった青年に頭を殴られて殺されている。マスターは金勘定しているところだったと噂されていた。
 
『風俗草子』は月刊誌。男女のSMものを中心にホモや、他の当時のアブ(アブノーマル・セックスの略)と呼ばれた特殊性向をひとまとめに編集されていた。
 ほとんどが縛られ、責められる裸の女の絵と記事で、ホモはほんのわずかしか扱われていなかったけれど、それでも目にできるものはそれしかなく、なぐさめられたり、興奮したりしたものだ。
 後発の同様の雑誌に『風俗科学』『風俗奇譚』があり、やがて18年前(1971年)の『薔薇族』創刊とともに、「ホモの時代」が訪れ、今日の各方面の隆盛に至るわけなのだ。」
 
 それにしても藤田竜さん、間宮浩さん、どうしてもう少し生きていてくれなかったのか。生き証人がみんないなくなってしまった。
 
 伏見憲明さんの『ゲイという〔経験〕』602頁もの分厚い本だが、その中の「ゲイの考古学」は、古いゲイのことが詳しく書かれているので参考にされたらいい。
『風俗草子』の読み物の中でも、ホモに関するものが一番反響が多く、地方の読者の方からの交際や、文通の斡旋、座談会開催などの要求が非常に多いので、この座談会が企画されたようだ。次回から内容を紹介させていただく。(つづく)

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