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2016年2月

2016年2月29日 (月)

ゲイは趣味ではありません!

 2016年2月23日(火)東京新聞の「こちら特報部」に、「杉並区議が発言・同性愛は趣味・当事者ら批判・理解不足」の見出しで、沢田千秋記者が書いている。
 「東京都杉並区の小林優美区議(27)が区議会で、性同一性障害について「明らかな障害として人権の保護を訴える一方、同性愛者は「個人的趣味」として、行政による支援の必要性に疑問を呈した。性的少数者の当事者らは「問題の理解が不十分すぎる」と批判している。」
 
 岩波書店刊の広辞苑で「趣味」を見たら、何通りかの意味が書かれている。その中に「専門家としてでなく、楽しみとしてする事柄。「―にピアノを弾く」」とある。そこには個人の意志が働いてのことだ。
 同性愛者の数は少ない。少ないといっても男性百人の中に、6、7人は同性愛者がいるわけだから、少数者とは言えない。女性にしてもそうだ。
 小林区議が今月15日の区議会本会議の一般質問で示された。
 
 「小林区議は「アメリカではキリスト教の教えによって同性愛は罪とされている」「ロシアでは、同性カップルが手を繋いで歩いているだけで、周囲の人々が暴言を浴びせたり、殴りかかってくる動画が話題となった」などと紹介。日本では性的マイノリティーへの差別は比較的少ない。しかし、それは、国民が彼らについての正しい知識を持っていないという裏付けでもある」とした。
 
 ピアノを弾いたり、生花を学んだり、短歌や俳句を作ったりするのが「趣味」であって好き好んで同性愛者になる人がいるわけがない。それは持って生まれたもので、本人の意志とは関係がない。
 男であって女が好きなのは、趣味ではない。本人の意志でなく、自然にそうなっただけのことだ。
 アメリカで同性愛が罪だなんて言われていた時代は、遠い昔の話だ。ロシアだって時代は変わっている。
 
 昭和の時代は、殆どの人が同性愛は「趣味」だと思っていた。当事者であるゲイの人たちも「趣味」と言っていた。
 今年に入ってからの話だが、ぼくは日曜夕方の日本テレビ「笑点」を毎週のように見ているけれど、漫才師がゲイを表現するあの手つきをすると、相方がすかさず「おれ、ゲイじゃないよ」と。
 観客も笑いこそすれ、怒る人はいない。テレビ局の人だって、なんにも考えないのでは。残念ながらゲイは「趣味」と考えている人は、まだまだ多くいるようだ。
 
 2月21日、秋葉の大きなビルで催された、山川純一のフアンの集まりに、ぼくは有田俊さんという人とのトークショウに参加した。
 ヤマジュンの劇画の中に出てくる、「くそみそテクニック」の主人公、阿部高和の顔に彩色するイベントもあった。多くの若者が熱心に用意されている色鉛筆で、夢中になって塗っていた。
 
 有田君はノンケだそうだが、会話の中でぽろっと「ゲイは趣味」と言ったので、すぐさまぼくは訂正した。
 区議会の中で、小林優美区議が発言していたとき、聞いている多くの区議たちは、なんとも思わずに聞いていたのでは。
 新聞記者があとになって、記事にしたので問題になっただけのことだろう。国会での弁護士の丸山議員の問題発言とは違うようだ。
 東京新聞の内田千秋記者が記事にしてくれたので、ゲイは趣味じゃないということが、多くの人の理解を得たと思う。
 
 小林区議も逃げていないで、勉強してほしいものだ。 
 
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2016年2月27日 (土)

男と女、どっちを愛したっていいはずだ!

 ぼくは今までに10数冊の単行本を出版することが出来た。その中でも妹の紀子との共著『ぼくどうして涙がでるの』は、ベストセラーとなり、日活で映画化されヒットした。
 心臓病で苦しむ人たちに、大きな励みになることができた。
 
 ゲイ関係の本では、2006年8月15日に九天社から刊行された『薔薇よ永遠に・薔薇族編集長35年の闘い』(九天社は倒産してしまったので、古書店で見つけるしかない)がぼくとしても気に入っている本だ。
 他人のことをほめたことがない『薔薇族』の編集の相棒だった藤田竜さんと、内藤ルネさんが珍しくほめてくれたのはうれしかった。
 
 序文にぼくはこんなことを書いている。「男と女、どっちを愛したっていいはずだ」の見出しで。
 
 「当たり前のことだから、当たり前にしたい。人を殺したわけでもない、人を傷つけたわけでもない、なんにも悪いことをしているわけでもないのに、なんで隠れているの?
 女が好きな男が、いちいちおれは女が好きだなんて言わない。それは当たり前のことだから言う必要はない。それと同じように、男が好きだということを、わざわざ告白する必要もない。
 
 人間、この世に男と女しかいないのだから、どっちを愛したっていいはずだ。
 人間を造った神さまは、最初から男百パーセント、女百パーセントに造らなかった。どんな男でも多少は女の部分を持っている。女性にしてもそうだ。だから人間社会は、うまくバランスが取れているのだろう。
 
 生まれつき女性の部分を多く持って生まれてきた人、また育った環境で女性の部分が多い人、だからといって、どこからどこまでが同性愛者だという線はひけない。
 男であって女性の部分を多く持って生まれた人がいるから、その人たちは繊細な感覚を持っていて、それに適した仕事をしている。
 
 日本は江戸時代までは、同性愛については寛容だった。明治に入ってから、日本は富国強兵の時代に突入して、人口を増やさなければならない時代になってしまった。
 子どもを生むことができない同性愛は、社会の片隅に追いやられてしまったのは当然のことだ。
 太平洋戦争が敗戦に終わっても、同性愛は異常なもの、変態という目で見られ、同性愛の人たちも自らも異常だと思い込んでいた時代が続いた。
 
 『薔薇族』を創刊したのは、1971年、それ以前の昭和20年代、30年代の同性愛の人たちが悩み、苦しんでいた時代を古い雑誌を通して、ある程度知ることができた。
 『薔薇族』は「隠れていないで、明るい太陽の下に出よう!」と旗印をかかげて叫び続けてきた。
 ぼくはことあるごとに「同性愛は異常でも変態でもない!」と叫び続けてきた35年だった。世の中の人たちもかなり同性愛者にたいする理解はできてきたようだ。しかし、まだまだ多くの同性愛者たちは、ひっそりと暮らしているのが現実だ。
 
 世の中、いろんな面で大きく様変わりしてしまった。インターネットなるものが普及して、言葉が理解できれば、世界中の人たちと心が通じ合うことが可能になってしまった。
 男が好きだということが、本当に当たり前で、自然なことだと誰しもが思えるような時代が早くくることを願っている。」
 
 22年も前に書いた文章、少しずついい方向へ世の中、変化してきたのでは……。
 
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2016年2月22日 (月)

男絵師、長谷川サダオ君が残してくれたもの!

 ぼくの仕事の発想の原点は、マスターベーションからだ。「愛の潤滑液・ラブオイル」もそうだった。
 肛門に男根を挿入するには、滑りをよくするための潤滑液がほしい。あそこは女性と違って濡れないからだ。簡単に間に合うのは唾液だが、より効果的なものが欲しいと思うのはいつの世でも同じこと。
 
 江戸時代では、紙漉きに用いているネリというもの。これはトロロアオイの根を原料にしたものだという。
 ネリ木というものを口の中で噛み砕いると、その粘膜が唾液に溶け込んで、ヌルヌルしたものになる。これは指先に当てて、肛門に塗りつけると、スルリと入るという。
 
 これからクライマックスというときに、トロロアオイの根を口の中で噛んでいたのではなんともムードがない。
 そこで乾燥させた根を細かく砕き、それを絹のふるいにかけて粉末に調整した。この粉末を薬の問屋が「通和散」という、もっともらしい名前をつけて売りだした。
  当然のように男色家が、これを使い粉末を唾液で溶かして、アヌスの貫通をなめらかにして、快感を味わったという。
 
 これは昭和49年7月に林書店刊の『異端文藝』に高田由郎さんが、「退廃と同性愛」との記事の中に書かれていたものだ。
 「ラブオイル」は肛門性交のときに使う他に、マスターベーションをするときに使っている人も多いだろう。
 バカバカしいと思うようなものだが、こんなに役に立つものはない。
 
 もう何年も前にタイのバンコックのホテルで自殺してしまった長谷川サダオ君、『薔薇族』のためにいい仕事を残してくれた人だ。
 長谷川サダオ君が、「ラブオイル」の効能を残してくれていた。発売してから30数年も経つのにいまだに売れ続けている。長谷川サダオ君ありがとう。通信販売でも購入できるから、ぜひ、手に入れて使ってみてください。
 
 
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2016年2月20日 (土)

煙草を嫌うだけでなく、いい面も知るべきだ!

 84歳になるぼくの親友ともいえる友人は、みんなこの世にいない。今、一番頼りにしているのは、カメラマンであり、MUSIC&BAR「まじかな」(〒104-0064 中央区銀座7-3-13 ニューギンザビル1号館2F 03-3573-5300)の経営者でもある中嶌英雄君だ。
 
 もう4年にもなるが、オープンしたばかりの「まじかな」で、ぼくの80歳の誕生日のお祝いの会をにぎやかに開いたこともある。
 ラテン音楽の「トリオロスペペス」の連中を招いてのにぎやかな会だった。クミコさんもかけつけてくれて、「百万本のバラ」を歌ってくれた。
 
 毎月、「まじかな」では、「水曜会」と称するパーティを催している。中嶌君がネットで呼びかけているようで、ミュージシャンも多く、用意されているドラムや、ギターを使って、ぼくにはよく分からない歌を聞かせてくれる。
 
 名刺を交換して、何人もの人と仲良くなったが、土建会社に勤める人は、ぼくにFacebookなるものをやりなさいとすすめてくれて、携帯で見せてくれる。
 いろんな友人ができて楽しそうだが、今のぼくにはできそうもない。ブログを書き続けることで精一杯だ。
 
 デザイナーのKさんが声をかけてくれた。なんとぼくの著書を3冊と、ヤマジュンの『ウホッ! いい男たち』を苦労して買い集めたのだそうだ。
 帯までちゃんと残っているのを古本で見つけるのは大変だ。「サインをお願いします」とのことだ。
 
 こんなに嬉しかったことはない。「過去の人、伝説の人」ではない。この会に集まっている人たちは、みんな『薔薇族』のことを知っている。
 「淡島」から「渋谷」までは東急バス。地下鉄の銀座線「新橋」で下車、5番出口を出て、銀座の方に向かって歩くと、5、6分か。
 地下鉄の階段の登り降りはつらい。いつまで行かれることか。
 
 下北沢のみずほ銀行へ、少しばかり残っているお金をおろしに行った。これで年金が出る2月15日まで、つなげなければ。
 
 『月刊わたしの世田谷』の2月号が置いてあった。無料の小冊子だ。ぼくの知人の東宝の監督だった高瀬昌弘さんが、「東宝映画に華を添えたスターと監督たち」のタイトルで書かれているが、連載のようだ。
 
 これも連載だが、「健康とわたし」と題する著者は、渡辺文学さんだ。文学のところにルビがふってあって、「ふみさと」と読む。
 この方、もう20年以上前のことだが、下北沢の北口にカフエ「イカール館」をぼくが経営していた頃、訪ねてきたことがあった。
 「文学」という同じ名前を気にしたのだろう。彼のお父さんはロシア文学の研究者だったので、「文学」という名前をつけたようだ。
 ぼくよりずっと若い方だから、ぼくの親父の方が、命名するのに勇気が必要だったのでは。
 
 この方、なんと『禁煙ジャーナル編集長』だ。この文学さんは20年間も煙草を吸って、最後の数年間は1日60本というヘビースモーカーだったそうだ。
 我が家にもヘビースモーカーが、2人もいる。女房と息子だ。中学生の孫のそばで吸うなというが、いうことをきかない。
 
 ぼくは煙草を吸ったことがないが、ブロンズの灰皿、キューバの葉巻のラベルを集めたことがある。鬼平犯科帳の中村吉右衛門のキセルできざみ煙草を吸うシーンはいい。
 煙草が害になることはわかるが、煙草もいい面がいっぱいあることも知るべきだ。
 
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こんなにうれしかったことはない。
 
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「まじかな」は楽しいバアだ

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2016年2月15日 (月)

仲間をみつけたい切実な叫びが!

 『薔薇族』には「少年の部屋」というコーナーがあった。今ではこんなこと絶対にできないだろうが。中学生、高校生が友人を求めてのコーナーだ。
 小さな文字でつめこんである。84歳のぼくには老眼鏡をかけてもよく見えないから、虫眼鏡で見ている始末だ。切実に仲間を見つけたい叫びがそこから読み取れる。
 
「僕は普通の16歳の男の子です。普通っていってもいろいろあって、学校はやめちゃったけど……。
 僕が『薔薇族』を知ったのは、中2の終わりごろでした。友達がこ〜ゆ〜本があるってことを教えてくれて、その子とふたりで近所の本屋を必死こいて探したけど、全然なくて……。それから少しして新宿の本屋でやっと見つけて。そのときふたりして、キャッキャ騒いで、今思うと恥ずかしいです。
 
 初めて見た時は、さすがにビックリしましたね。そのころは、この世界のこと全然と言っていいほど知らなかったしね。もちろん今でも知らないことはいっぱいあると思うけど、それなりに分かってるつもりだから。最近すごく思うんだ。この世界って寂しいっていうか。だって自分がホモであることを隠さないと周りの人から白い目で見られちゃって。
 
 僕なんか、すぐそばに友達いるし、中学の時の女の子の友達も、僕のこと知っているけど、今でも仲良くしてくれているし。
 その点すごく幸せだと思うんだ。もちろん僕みたいな人も、沢山いると思うけど、たったひとりで悩んでる子のほうが絶対多いと思うんだ。だからなんて書いていいのかよく分かんないけど、すごく寂しいと思うんだ。あっ、なんか暗くなっちゃったね。ごめんちゃ〜い。
 
 ところで僕、友達と恋人募集します。友達になってくれる人は、同じ歳か、ひとつ年上の人がいいな。恋人になってくれる人は、18歳から21歳まで。一応、理想を書いておきます。身長は170〜175センチ、体重60〜65キロ。タイプでいえば、フッくんとか、大江千里くんみたいな人。もちろん優しい人ですよ。
 
 僕末っ子のせいか、わがままで甘えん坊みたいなんだ。人によく言われます。顔は自分じゃわかんないけど、まあ、普通じゃないかなって思うけど。身長は165センチ、体重56キロ。
 まあ、こんな僕ですけど、編集部経由でてがみください。(東京都・ぶうちゃん)」
 
 ぶうちゃん、その後、どんな人生を送ったのだろうか。もう50歳近くになっているのでは。
 ぼくの経験から言うと、ゲイの人は末っ子が多いことは間違いない。上のお姉さんは、男っぽくてしっかりしているけれど、末っ子の男の子は、どうしても母親にかわいがられてしまうから、女っぽくなってしまう。
 これはアメリカでも、ヨーロッパでも同じことだ。こんなことを調査して統計をとるなんて学者もいないだろうが、確率の問題で、全部がそうなってしまうわけではない。
 
 ゲイになってしまうということは、持って生まれたものだろうが、育つ環境が影響することは間違いない。
 ネットの時代、今の子供たちは、自分が他の人と違うと思った時、ネットはどのようにして教えてくれるのだろうか。
 ネットに載っている、ぼくの経歴など、よくまあ調べて書いてくれたものと、驚くとともに感謝している。
 
 『薔薇族』を手にして「同じような人たちが沢山いることを知って安心しました。」
 30年、40年前は悩める中高生の心の支えになったが、ネットも親切な人達が、その役目をしてくれているのだろう。

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2016年2月13日 (土)

カフエ「つゆ艸」「織部」ひまであってほしい!

 2月4日、半年ごとの左膝の定期検査に東京医科大学病院整形外科に行ってきた。
 10年前に手術をしてくれた整形外科の正岡利紀先生、いい先生にめぐりあって幸せだ。左膝を、上からと横から撮った2枚のレントゲン写真を見ながら、まったく異常がないということだ。
 
 人工膝の寿命は、15年と言われているが、ぼくの場合は、あと5年は持つということか。15年経過して、再手術する人は2、3割ということだ。ぼくの寿命のほうが人工膝より先に終わってしまうかもしれない。
 正岡先生の頭もだいぶ薄くなってきている。10年なんてあっという間だ。
 
 病院の帰りに、いつも通い詰めているカフエ「つゆ艸」に寄った。開店時間は午後の1時、閉店は6時。それからはイタリアンのコックさんに貸している。
 「つゆ艸」のママの由美さんは明るい人で、カウンター越しにおしゃべりしてくれる。ありがたいことに、お客さんがほとんど入ってこない。由美さんを独占だ。
 
 我が家では40年以上も住んでいる女房とはあまり話すことはない。話すとしても必要な会話だけだ。息子と中学2年生の男の子とも必要なことしかしゃべらない。しゃべるとしたら息子の嫁さんだけだ。
 
 下北沢の南口にあるカフエ「織部」の店長の奥村君は話し相手としてもありがたいが、以前デザイナーだったので、チラシや年賀状などを製作してくれる。
 ネットで調べたいことがあると、すぐに調べてくれるし、自分の書いたブログを土曜と月曜に更新されるとそれも見せてくれる。
 
 ぼくにとってはありがたいことだが、「つゆ艸」にしても「織部」にしても、お客さんが次から次へと入ってくるようになれば、ぼくの相手などしてはいられない。
 ぼくがストレスなんてものに、縁がないのは、2軒のカフエがひまだからだ。
 毎月「織部」で「文ちゃんと語る会」を開いているので、この日もおしゃべりできる。
 
 東京新聞の「こちら特報部」に悲しい記事が載っていた。「増え続ける高齢者の万引き・二度としたくないけど、心に空洞…やめられず」の見出し。
 
 「スーパーなどで保安員を務める三浦さんはこれまでに、万引きに「生きがい」を見出そうとするお年寄りを何人も見てきたという。
 スーパーで惣菜を万引きした80代の女性は、警察が来るまでの間、夫と死別して話す相手がいない寂しさを切々と語り、「自分では万引きをやめられなかった。声をかけてくれてありがとう」と頭を下げた。
 
 レンタルビデオ店でDVDを万引きした70代の男性の車からは、30枚以上の盗品DVDがでてきた。「人の目を盗むことに成功した瞬間だけ、生きていると実感できた」と話した。
 「原題のストレス社会の一端を表している」
 と指摘する。背景にあるのは社会的な孤立。高齢になれば活動の範囲は狭まり、社会とのつながりは薄くなる。
 昔に比べると家族や親族との関係も浅くなりがちで、精神的に追い込まれやすいという。」
 
 もうひとつは高齢者の貧困問題もある。確かにその通りだ。ぼくは家計簿をつけているが、カフエで使うお金は万を越す。おしゃべりするにもお金がいるということだ。
 「イタリアントマト」は、コーヒー代220円だが、従業員の人とおしゃべりはできない。福岡の水澤さちこさんが、ぼくの名刺を200枚も作って送ってくれた。どこにでも顔を出して、この名刺を使い切り、おしゃべりすることが、ぼくの生きがいだ。

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2016年2月 8日 (月)

女性よりも女性らしいゲイの人の話

 女装をするのが趣味というのが、ノンケの男の中にもいる。1986年の5月号に、ぼくは面白い記事を書いていた。
 「スクープ! 珍ニュース 女装もここまでくればお見事 花の女子大 謝恩パーティにフテブテ潜入!」の見出しで。
 
 「わたくし、どう美しいでしょうとばかり、ニコッとほほえんできる良家のお嬢さん?
 どこも卒業式シーズンとあって、全国の一流ホテルは謝恩会の真っ盛り。女子大ともなると、500名から1000名を越す、お嬢さん方が振り袖に、ドレスに着飾って、ホテルの宴会場は花が咲いたよう。
 
 そこへなんと勇気ある女装好きがいたのです。よっぽど、その容姿に自信がなければ街中なんて歩けないし、ましてやホテルに乗り込んで、女子大生の花の卒業謝恩会パーティにもぐりこむなんてことはできるものではありません。その上グループごとの記念写真まで、一緒に撮ったというのだから、お見事と言わざるを得ません。
 
 この話はある地方都市の出来事で、地元でも一流のミッションスクールで、良家のお嬢さんばかりが集まる有名校。その謝恩会だから会費もそれ相当のお値段。当月は800名からの振袖姿が目立つ大パーティで、この女装子はちゃんと会費を払い、お料理を頂き、楽しげに語りあい、周りの人たちになんの不自然さも感じさせなかったという、2月の卒業シーズンのお話だったのです。
 
 このスクープをそっと編集部に教えてくれたホテルのあるお偉方も読者のひとりなのだから、当然、そのへんの鑑識眼は持ち合わせているはずなのに、それがまったくわからなかったというのだから、女性以上に女性的だったのでしょう。この記念写真の中にも、女子プロレスのダンプ松本が振り袖を着たような子がまじっているのだから。
 
 (中略)
 
 それがとうとうバレてしまったのです。最後にどうしても記念写真を撮らなければならない破目になってしまったからです。
 グループごとに集合写真をスタジオで撮ったのですが、最後にどうしてもこの一枚を自宅に送ってくれと、その女装子だけがいうのです。出来上がれば学校に送ることになり、それどころか卒業アルバムにのせることになっていたのです。
 女装の男性が女子大の卒業アルバムにのってしまったら、それこそ前代未聞の大珍事になってしまったでしょう。その一歩手前で女装がひとりいるということが発見されて、緊急会議がホテル内部でひらかれたのです。この写真の中にホテルの部長の娘がいて、その娘が、こんな子はうちの学校にはいませんということで大騒ぎになってしまったのです。
 
 それで全員にもう一度着物持参でホテルに集合してもらい、着付けをして、日当をおわびにさしあげて、ホテル側は大損害でしたがことなくケリとなったのです。
 
 後日談がこのあとにあるのですが、2週間後、別の謝恩会があり、またまた味をしめたその女装の男。ロビーをうろついていたので取り押さえたのですが、あまりの美しさと、同じ世界の人だからと、裏口からこっそりと人目につかないように逃がしてやったというのです。
 
 こういう心優しい読者がホテルでは働いているのだから、きっと好感をもたれるホテルとして、繁盛しているのでしょう。
 心温まる話ではあり、べつに犯罪にはならないだろうけど、美しさは鏡に映すだけにして、もう、こんないたずらはやめてほしいものですね。でも、うまくやったね。大成功!」
 
 ホテルマンにはゲイの人が多いかもしれない。よく気がつくし、心優しい人が多いから……。
 
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2016年2月 6日 (土)

年をとると、友人がみんなあの世に!

 長く生きていると、次から次へと友人、知人がこの世から去っていく。
 駒沢大学の文学部国文科の後輩の玉島勝雄君が、1月26日に他界したと、奥さま茂代さんが知らせてきた。
 
 ぼくが駒大に入学したのは、敗戦から3年しか経っていない、昭和23年の4月だ。世田谷学園の中学4年から、駒大の予科1年に入学した。
 その1年後、新制大学の1年になり、それから4年間、学生生活を送った。玉島くんは2年くらい後輩だった。
 
 その頃の駒大は全生徒が700人ほどしかいない。クラブ活動をしている学生は、2,300人ぐらい。アルバイトをしていて、学校に出てこないものもいるから、毎日、通ってくる学生は数百人というところ。
 他の学部の学生でも知らないものはいなかった。ぼくと同期の国文科の学生は、15人ほど、全部で100人ぐらいしかいない。
 学生服を着ているものはほんの僅かぼくは姉が新宿の文化服飾学園の師範科に通っていたので、学生服を作ってくれた。
 
 学徒動員で戦争に駆り出され、また戻ってきて大学に入り直した学生が多かった。年齢もさまざま。服装も海軍から戻ってきたものは、海軍の服、陸軍から戻ってきたものは、陸軍の服、教授たちもよれよれのスーツを着ていた。
 冷房や、暖房なんてない。冬の寒さはひどかった。手がかじかんでしまっていた。
 
 ぼくは文芸部を立ち上げた。部室は廊下をベニヤ板で囲って、いくつかの部屋として使っていた。その頃の写真を見ると、火鉢が机の上に置かれている。
 クラブ活動も児童教育部、演劇部、写真部など10ぐらいあって、全体の予算が10万円ほど。その10万円をみんなで話し合って分ける。文芸部は1万円もらうことに。
 その頃の1万円はかなりの価値があった。使ったお金の明細を学校に報告する制度はなかったから、5、6人の部員で温泉に1泊旅行を2度ほどできた。
 
 玉島君の知り合いの旅館があって、群馬県だと思うが猿が京温泉に行くことにした。1泊500円で2食つきだ。今ならコーヒー代にしかならない。玉島君が電話してくれたのだが、相手が聞き違えたのか、人数を間違えて、にわとりも沢山、くびをしめたそうだ。おかげで料理もたくさん出て、豪華に。
 玉島君の実家は、お兄さんがえんぴつに社名を入れたりする仕事をやっていた。そのとなりの家にミシンを踏んで、洋服を作っている女性がいた。
 玉島君が想いを寄せていた女性で、後に奥さんになった茂代さんだ。垣根越しに茂代さんが働いている姿が見えた。美しい女性だった。ふたりで垣根越しに長いことのぞいていたことをよく覚えている。
 
 戦後初の大学祭を催すことになり、ぼくが宣伝を担当した。貧弱なプログラムだが、広告も何軒かとって作った。
 玉電の中吊り広告も東横デパートの広告を入れて宣伝することができた。立て看板も何枚も作り、ぼくが文字を書いた。玉島君と一緒にあっちこっちの電信柱にくくりつけた。
 
 玉島君との思い出は、妙なことを覚えている。ズボンをハンガーに下げる方法、これは今でも玉島君に教えてもらったとおりにしている。
 お吸い物を入れたふたがどうにも取れないとき、簡単に取る方法も教えてもらった。
 学校の授業で教わったことはなんにも覚えていないが、玉島君に教えてもらったことは今でも役に立っている。
 
 玉島君、おそらく浮気なんてしまかったろう。茂代さんを困らせることはなかったのでは。安らかな死に顔だったそうだ。
 
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 看板もぼくが書いて、親友の江田君と片山君、二人ともこの世にいない
 
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 右側が伊藤、そのとなりが玉島君、左側が富倉教授

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2016年2月 1日 (月)

いろんな愛が許される「ユートピア」を!

 「もしも、自分の恋人が、突然、同性愛に目覚めてしまったら……
 ユートピア
 香港の奇才、スカッド監督の最新作は、男女の新しい愛の世界を示唆する」
 
 映画の配給元、ミューズ・プランニング製作のチラシにはこう記されている。裏面には、「三島由紀夫、ファスビンダー、デレク・ジャーマンに捧ぐ。異性愛と同性愛は、両立できるのか」とある。
 「ファスビンダー」「デレク・ジャーマン」については、カフエ「織部」の店長にネットで調べてもらったら、ドイツ人とイギリス人で、ふたりともゲイの映画監督だったようだ。
 デレク・ジャーマンは、1994年2月19日、52歳でHIVで亡くなっている。
 
 尊敬する3人のゲイの人へ捧げる作品とあるが、スカッド監督、ご自身はゲイであることを公言していないそうだ。
 三島由紀夫の作品をほとんど読んでいて、日本びいきの方だ。
 
 渋谷から明治通りを原宿の方へ歩いて行くと、右側に大きなビルがあり、映画館はココチビルの8Fにあった。映画をほとんど見ないぼくにとっては、こんなところに映画館があるなんて知らなかった。
 「ヒューマントラストシネマ渋谷」映画会社の試写室みたいで、立派な椅子で、50人ほどしか入れない。
 
 映画館にも驚いたが、香港とはいえ、中国でこんなに裸体が出てくる映画が作られていることには、さらなる驚きだ。
 中国本土では、まず上映はできないだろうし、香港では許されるのだろうか。日本が最初の上映だそうで、ボカシをかなり入れている。
 
 カトリック信者の彼女とは婚前交渉も我慢する真面目な男子大学生ヒンスが、この映画の主役だ。ヒンスを演じる男性は、中国のドラマで人気上昇中で、モデル出身の肉体美。
 写真集を復刊ドットコムから出しているが、日本で人気が出るだろうか。
 
 ある日、大学に古代ギリシャ文化を研究しているミン教授が赴任してくる。最初の授業で彼は、裸の男性と抱き合っている自分の写真をスクリーンに映し、自分はゲイだと宣言、学生たちを驚かせる。
 
 「ユートピア」のテーマは、ずばり異性愛と同性愛は両立できるか? ということだ。
 男子学生のヒンスと教授は、三島が愛していたタイにふたりで旅行し、そこで関係をもってしまう。
 女子学生と長い間、愛し合ってきたヒンスが、ゲイの教授と関係を持ち、突然同性愛に目覚めてしまった。
 
 男女の新しい愛の世界を示唆することを監督は描こうとしたのだろう。
 ヒンスのように、突然、ゲイの教授と性して同性愛に目覚めたとしても、その素質を生まれた時から持っていたとすれば同性愛に傾いてしまうが、女好きであれば、一時的に同性愛にはまりこんでも、時が経つと女性の方に戻ってしまう。
 
 昭和の時代は、レズビアンであっても、今のように女性が自立できる仕事が少なかったから、男性と結婚して専業主婦にならざるをえなかった。
 ゲイの男性にしても、女性と結婚しないわけにいかなかった。昔のゲイはよく頑張って子供を作ったものだ。
 その頃から考えれば、今の時代はゲイにしても、レズビアンにしても、住み良くはなってきたのだろう。
 
 この映画が描きたかったのは、いろんな愛が許される「ユートピア」だろう。香港ってすごい街でびっくり。
 
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