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2016年3月19日 (土)

官能の世界を描くバイロスを見てほしい!

 「侯爵フランツ・フォン・バイロス(1866−1924)は、19世紀末から20世紀のはじめに、ウィーンとミュンヘンで活躍して58歳で生涯を閉じた天才的な挿絵画家である。世界最高の蔵書票画家とも言われながら、彼の名は一般に知られていない。
 
 というのはほかでもない、彼の作品の多くが好色的で特殊な愛書家や富豪のための贅沢な秘められた少部数限定本の挿絵や蔵書票が主な仕事で、一般の人の目に触れる機会が少なかったと思われる。
 
 彼と同時代のビアズレー(1872−98年)が高い評価を受けているのに比べると寂しい気がする。
 バイロスは代々ハプスブルク家に仕えた古くからの貴族の家柄で、ウィーンとリンツで絵の勉強をして、30歳のときにウィーン社交界の花形であった、ワルツ王、ヨハン・シュトラウスの娘と結婚する。当時としては話題となった華やかな結婚であったはずであるが、どうしたことか一年で離婚している」
 
 これは山本芳樹さんという、バイロスの作品のコレクターであり、平成10年に京都書院(倒産して今はない)から『バイロス侯爵画集』と題する本と、1992年2月20日にサイン入りで頂いた『バイロス侯爵の蔵書票』と題する手の平にのるような豆本の中から引用させて頂いている。24年も前のことだ。
 
 「どうしたことか一年で離婚」と、山本芳樹さんは書いているが、その理由はバイロスはゲイだったからと、ぼくは推測している。
 バイロスはゲイだったと、ぼくが言うと、山本さんはバイロスは女好きだと信じているので嫌がっていた。その山本さんも亡くなられているので、寂しい限りだ。
 
 バイロスは末っ子で、母親にかわいがられていたこと、それにこの繊細な絵は、女好きの画家では描けない。それにバイロスは「薔薇の画家」とも言われるぐらい、絵の中に薔薇をちりばめている。それはぼくのこじつけだが。
 
 1991年3月に読売新聞社から刊行された、『アール・ヌーボー/アール・デコ』の第5集に、ぼくが「イカール追想・人との出会い、モノとの出会い」を書き、山本芳樹さんが「ウィーンの装飾画家・侯爵フランツ・フォン・バイロス」を書いていた。
 編集部の人に山本さんの電話番号を聞いて神戸から上京してきた折に、赤坂のホテルで出会い、それからお付き合いが始まった。
 バイロスの作品を集めだしたのはそれからだ。ぼくがコレクションしていた、ルイ・イカールも、バイロスもゲイだったということは、何かの因縁かもしれない。
 
 女房の古里の新潟県弥彦村の村立「弥彦の丘美術館」で、1992年11月1日から29日まで、世界初の「バイロス展」を開催した。その後、ぼくがオープンさせた「ロマンの泉美術館」でも「バイロス展」を開いている。
 そのときには山本芳樹さんも来てくれたしバイロスのフアンの人も、ウィーンからきてくれたのには大感激だった。
 
 立派なバイロスの墓も、子供がいないので無縁仏になって壊されるのをフアンの人たちが市に働きかけて残されることになったそうだ。
 
 東京でも銀座「ヴァニア画廊」で「バイロス展」を二度ほど開いてくれた。
 今度は大阪の北区堂山町「ワイアートギャラリー」で、4月6日から17日まで、「フランツ・フォン・バイロス創作版画・蔵書票展」が開かれる。
 実物を見たら、バイロスの魅力にとりつかれるだろう。ぜひ、見に行ってもらいたいものだ。
 
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