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2016年3月 7日 (月)

戦中、戦後のあの飢えの時代を!

 脚本家の倉本聰さんが、2016年3月2日の毎日新聞朝刊に「林中無策」と題して、週に1回、エッセイを連載している。今回は「恩送り」と題して。あまり聞かない言葉だが「未来永劫に対し、その恩を返してく行為を言う」そうだ(ぼくが使っている国語の辞書には載っていない)。
 
 倉本さんって、ネットで調べられないのが残念だが、ぼくと同じくらいのお年だろう(ぼくは3月19日で84歳)。戦中、戦後の食物がなかったころの話を書かれているので、同年代のお年だと思う。
 
 「戦中戦後のあの飢えの時代、食と腹の問題だった。背中と腹がくっつきそうになるのを何とか埋めてくれる胃袋の問題だった。だが今、食は胃袋から舌の問題に移り、うまい! と感謝される対象は、板前や料理屋の店主に代わって、そもそもの食料生産者は感謝の対象から外されている。
 
 1食何千円、何万円もする都会の料理屋は、その基になる第一次生産者にそれだけの対価を払っているのだろうか。
 消費者の支払う高額の金は、その何割が本来の生産者に渡っているのだろう? 高価な着物を風呂敷に包んで、必至に頭を下げ何個かの芋と交換してもらったあの飢餓の時代を経験したものにとっては、何かが狂ってしまった気がしてならない。」
 
 ぼくは日本の敗戦の年が中学1年生だったから、戦時中と戦後の食物のなかった時代を鮮明に覚えている。
 母は4人の子どもたちを食べさせるために懸命だった。世田谷もちょっと奥の方へ行くと農家が多かった。ぼくが住んでいる代沢は、米軍の空爆の被害はあまりなかった。家が焼け残り、父も兵隊にとられなかったので、あとは食物の調達だけだった。
 
 母は着物を風呂敷に包み、リュックサックをしょって、ぼくを連れて農家に買い出しに行った。近県の埼玉とか。千葉ではなく、世田谷もちょっと奥に入った烏山あたりは、一面が畠だった。
 農家のおかみさんは、いばっていたように覚えている。母は頭をペコペコ下げて、お芋と交換し、リュックを背負って帰ってきたのを思い出す。
 父は第一書房に勤めていた頃の書籍を選び出して、山形の古本屋に送り、お米と交換していた。
 
 戦後はなんでも物と物を交換する時代だった。変な話で酒や煙草を吸わない家にも配給があった。母はそれをためておいて、下北沢の駅の近くにあった物々交換のお店から、軍隊の将校がはいていた立派な革靴を手に入れてきた。
 ちょっと大きすぎたが、綿を詰めて、それをはいて学校に通っていた。かばんは祖母の弟が軍需工場に勤めていて、そこでくすねてきたカバンの布を、これも母がどこでみつけて来たのか、カバンをぬう職人に頼んで、立派な肩に下げるカバンを作ってもらった。
 背がクラスでも一番小さかったぼくにはカバンが大きすぎて、カバンが歩いていると見えたかもしれない。
 考古学で有名だった國學院大学教授の樋口清之先生が、世田谷学園の講師だったが、授業中にぼくのカバンを見て、ほめてくれたのを思い出す。
 
 倉本さんは「食うことによって我々は生きている。その食糧は自然が作る。自然と農民の労力が作る。ITも金融も食糧は作れない。にもかかわらず、人はその恩恵を忘れている。」
 
 食物を無駄にして、大量に捨てている日本。戦中、戦後の食糧がなかった時代を体験したものでないと、そのありがたみはわからないだろう。

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コメント

先日大正3年生まれの祖母が他界しました。
私は祖母に育てられたので常に「昔の人に比べれば」という思いで生きています。笑われることもあるけれど、私はこの思いを自分の子供にも教えて生きていきたいと思います。一次産業の人を軽く見ることは自分の首を絞めることだと教えていきたいと思います。

投稿: | 2016年3月10日 (木) 17時20分

コメントありがとう。
戦後の貧しかった時代を表現したかったので、「くすねた」という表現にしました。子供だったから叔父さんに悪意はありませんでした。

投稿: 伊藤文学 | 2016年3月 7日 (月) 13時51分

叔父さんの善意に報いて、「そこで調達してきたカバンの布を」にしませんか。
立派な肩に下げるカバンは、3人の善意の集まりですから、それに答えたい。

投稿: | 2016年3月 7日 (月) 00時44分

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