多くの秀れた才能に出会えたぼくは幸せ者だ!
2006年8月発行の九天社(倒産して今はない)刊『薔薇よ永遠に=薔薇族編集長35年の闘い』の序文はすでに紹介した。
「あとがき」もどうしても残しておきたい。
「30年、35年前には、FAXもなければ、インターネットなんていうものもなかった。メールで文章を送るなんていうことは、考えもしなかった。
誰もが原稿用紙や、便箋に一字一字書き綴って封筒に入れ、切手を貼って編集部に送ってきたのだ。
同性愛者であることの悩みや、苦しみを綿々と書き綴って告白してきた。書くことによって少しは心が晴れたのかもしれない。当時の読者は文章力もすばらしいものがあった。
どの手紙も心を打つものばかりで、かなり頁数の関係で割愛せざるを得なかったのは残念だった。
戦後の昭和20年台、30年台、食物もなく焼け野原から、やっと立ち直ってきた時代、その時代に生きていたゲイの人たち。古い雑誌を読むことによって、少しはその苦悩をうかがい知ることができた。
昭和29年に会員制で発行された『アドニス』写真も2、3枚載っているだけ。それも取締当局の摘発を恐れていたのか、ポルノ度も低い。それでも読者は興奮したのだろう。精液のシミのついた『アドニス』を送ってくれた読者もいた。なんとしても仲間を見つけたいという思いは、短い文章からにじみでているようだった。
「『薔薇族』的三島由紀夫考」これは『薔薇族』でなければ読むことのできないものだ。人間、三島由紀夫と三島文学を知るうえでの貴重な読み物といえるだろう。
オチンチンが小さい、大きいを論争するなんてえげつないと言われるかもしれないが、そこから三島文学を研究する上で、大事な取っ掛かりになるだろうと考える。その中でも三島さんと知り合った、大川辰次さんの文章は貴重なものだ。
ゲイの人たちの結婚の問題。今の時代でもさけて通らなければならない関所のようなもので、誰しもが悩むところだ。
古い読者は女性と結婚しないわけにいかなかったから、その生活上の苦しみは大変なものだったろう。女性の読者がこれらの告白を読んだら怒るだろうが、どうしても結婚しなければならなかった、社会的な背景を考えてほしい。
古い読者は自分の性癖を隠し通したのだ。結婚をしないで独身を通した人たちには、どうしても欲望のままに、その日、その日を過ごせばいいという人も多かったようだ。お金をためることもせずに、年をとって生活保護を受けている人も多いようだ。
なんとか結婚した人は、奥さんがしっかり者が多いから、仕事を成功させている人が多い。しかし、好きなように暮らせない悩みはどうしようもなく、どちらの道をえらぶかは本人が決めるしかない。
理想的には愛する男同士が結婚し、生活することだろうが、日本の場合は、まだまだでみんなが団結し、声をあげて勝ちとるしかない。
少年愛の問題は、35年の間でぼくが一番悩んできたし、毎号のように取り上げてきた。マイケル・ジャクソンさんは、ご自分では少年愛ではないと否定しているが、子供のための遊園地を造るなんていうことだけでも、少年が好きな人と思えてくる。
本人が好き好んで少年を好きになったわけでなく、自然にそうなったので、本人の意思で変えることはできない。」
いい読者をもって、ぼくは幸せ者だった。
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