文通欄でめぐりあえた父以上の父と!
『薔薇族』が読者に受け入れられた最大のひとつは、「薔薇通信」と名付けられた文通欄の存在だった。
ネットなんてものがなかった時代だから、かなりの時間がかかったが、仲間と出会うためには、このコーナーを使うしかなかった。
北は北海道から、南は沖縄まで、海外からの投稿も増えていた。毎号千人近い人が仲間と出会うために、短い文章の中でどうしたら目に留まるかを工夫して呼びかけていた。
どれだけの人がめぐりあったかは知る由もないが、「人生薔薇模樣」の投稿欄に、こんな微笑ましい投稿が載っていてうれしかった。
「幼い時に父をなくし、16歳で母にわかれた私は、天涯孤独の身で当年27歳、五日市のある料理屋で板前をしています。
誌上でこの人はと思った年配の人に便りを出しました。するとすぐに返事が来たのです。東京駅中央線ホーム神田寄りの階段のところで、左手にハンカチを細くたたんで巻いてくるように指示されました。
一度も会ったことのない人に会うのですから、目印が必要だったのです。その人は右手に巻いてくるとありました。
約束の夕刻5時ぴったりに、その人がにこやかに笑って私のそばに立ちました。いかにも温厚な紳士といった服装で「お待ちどうさま」そう言って肩に手をかけてきました。
まるで10年来の知己のように、そして車に乗って一路、箱根へと向かいました。
運転をしながらその人は「よく来たね。おいしい天ぷらをご馳走しよう」と言い、小田原の駅前通にある「だるま」という天ぷら屋に入りました。ビールをとってくれ、運転するからと言って、その人はジュースで二人の出会いに乾杯しました。
車窓から入ってくる風邪は、秋の箱根の匂いを私に感じさせました。ビールの酔いが頬に出て、その熱をさますような風のいたぶりにまどろんだとき、車は富士屋ホテルの玄関につきました。
フロントで鍵をもらって部屋へ。その部屋は朱塗りの橋が見下ろせる位置にあって、調度品のすべてが落ち着いたもので、私には初めてのものでした。
「お風呂にはいっておいで」
そう言ってその人は着替えをはじめました。
「一緒に入りましょう。背中を流しますから」
「本当かい、そんなやさしい言葉を聞いたのは何年ぶりかな。じゃあ遠慮なく一緒に入るかなあ」
そう言って一緒に湯船に身体を沈めました。無言のうちに手が伸びて、お互いのものを握り合いました。そしてキッスのやさしさ。石鹸をつけて体を洗い合い、私がひざまずいてその人のを含むと、その人は私の肩に両手をのせて、目をつむり楽しんでくれました。そして今度は私のを含んで舌での愛撫―私がもう限界にきたことを告げると、
「お出し、心おきなくお出し」
そう言って私の放出する精液を全部のんでくれました。
「たまっていたんだね。量が多かったよ」
ベッドの上で手枕をしてくれました。
「お父さんが恋しいと言っていたが、今夜からお父さんにはなれないけれど、心のよりどころとして私についてくればいいよ」
その夜、私とその人とは堅く結ばれました。
(中略)
私は文通で父以上の人を得ました。幸せいっぱいです。この喜びを同好の人に分けてあげたい。(東京都・YY)」
初めての出会いで、ホテル、それも富士屋ホテルで、こんなことってあるのだろうか。編集長として、こんなにうれしいことはない。二人の仲はずっとつづいているようだ。
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