たった1冊の本を届けたときのこと!
1990年の1月号の「編集室から」に、ぼくはこんなことを書いている。2ページを使って、それも老眼鏡をかけて見ても読めないぐらいの小さな文字で、原稿用紙(400字詰)で10枚近くはありそうだ。
「わざわざ1冊の本を届けるために、1時間もかけて東販(本の問屋)まで行ってきました。
それは本郷の東大生協から『薔薇族編集長奮戦記』の電話注文があったからです。
1万部印刷して千部しか売れなかった本だから、その中の1冊が売れて読んでくれるということが、言葉では言い表せられないうれしさなのです。それも東大生が読んでくれるということで……。
84歳の親父と、80歳のおふくろを車の後ろに乗せて、秋晴れの東京を東販まで走ってきました。
30年ぐらい前に紙を買っていた紙屋さんに、しばらくぶりに訪ねてみました。先代の社長さんはとうに亡くなっていて、ぼくと同じ年の息子さんがでてきて、なつかしいひとときでした。
『薔薇族』を最初の頃、活字を1本1本拾って組んでいた印刷屋さんも、いつの間にか大きなビルに変わっていました。
1冊の本を届けるために、ちょっとばかり親孝行をして、過ぎ去った昔を思い出すことができました。」
今は亡きぼくの相棒だった藤田竜君が、この本に「傍らで仕事を見てきた者として」というありがたい「あとがき」を書いてくれている。
「決して大げさではなく雑誌『薔薇族』の出現は、日本のホモにとっての夜明けだったと言える。
それまで出版物にホモが取り上げられるとき、その扱いはきまって猟奇であり、変態であり嘲笑だった。
『薔薇族』を出す1年前、伊藤さんは持ち込み原稿のホモものを出版した。その頃、同性愛関係の本は売れないと言われていたという。けれどもその本は、ホモを面白半分に扱ったものではなかったので、そう悪い成績ではなく、また読者の反響も良質で、ここで初めて伊藤文学さんは、ホモの存在に注目することになる。
と言っても伊藤さんも、当時の世間のほとんどの人と同じく、まるでホモについては知らなかった。しかし、多くの悲痛な反響を見て、ホモの人をどうにかしなければならない、という思いに突き動かされ、ホモの専門誌を創刊したいと考えるようになった。
(中略)
自分がいわば震源地であるその男たちの動きを、ホモではないから冷静に、しかし、温かく見守り続けてきたのが編集長の伊藤文学さんなのだ。(中略)
全国の読者から切れ目なく相談の電話がかかり、伊藤さんはそれのひとつずつに誠実に接する。我々のしている会議らしきものが、それで長々と中断することは一再ならず、出席者は自分はとてもああは出来ないと、嘆息するのだ。(中略)
夢見続けてきた同性との同衾は果たせないにしても、同性を恋うるのは自分だけではない、自分だけがおかしいのではない、みんなが同じ悩みを持っている、『薔薇族』でそれを知って、多くの隠れたホモは自分を解放できた」
しばらくぶりに藤田竜さんのぼくに対する好意的な文章を読ませてもらったが、いい人に出会ったぼくのウンの強さを感じることができた。
藤田竜さん、ありがとう。
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