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2016年4月 2日 (土)

「WiLL」の花田紀凱編集長どこへ行く!

 なんとも不思議な因縁と言わざるをえない。ぼくが1971年9月に創刊号を出してから33年、11月号(№382)で廃刊に追いこまれてしまった。
 その年に創刊された『月刊WiLL』は長いお付き合いの花田紀凱さんが編集長だ。
 
 花田さんは文藝春秋社の社員で、ぼくが知りあったときは週刊文春の記者の時代、たしか田中角栄総理が、ロッキード事件で大騒ぎになっていた時代だから、ずいぶん古い話だ。
 
 ぼくが日本で初の同性愛誌『薔薇族』を創刊して話題になっていた頃のことだ。花田さんから「薔薇族編集長奮戦記」を書けと依頼され、どんなことを書いたのか記憶があまりないが、その原稿はボツになってしまった。
 
 花田さんとはそれからのお付き合いだ。それから週刊文春の編集長に出世し、大活躍し、部数5割アップを達成した。
 94年にマルコポーロの編集長に就任。翌年ホロコーストを否定する記事を掲載し、雑誌は廃刊に。その翌年に退社し、かつての天敵朝日新聞社や角川書店を経て、04年から「WiLL」の編集長に。
 
 雑誌不況の時代にスリ部数は10万部前後を維持してきた。それは韓国の大統領を批判したり、中国を批判したりする記事が読者に受けたのだろう。それが韓国の大統領がおとなしくなってきたので、批判できなくなってしまい、中国も同様で批判する材料がないので、売れ行きも落ちてきたのだろう。
 
 花田さんはぼくが開く、出版を祝う会にはいつも出席して、スピーチをしてくれた。80歳の誕生日を祝う会にも出席してくれた。
 なによりもWiLLの創刊号に、「ザ・タイムスなど外誌も報じた・同性愛者のバイブル『薔薇族』と僕の青春」と題して記事を書かせてくれた。
 
 9月22日の朝日新聞夕刊に「雑誌『薔薇族』が廃刊」という小さな記事が載った。さあ、それからが大変。共同通信社、時事通信社、読売、毎日、東京新聞、フランスの新聞社と夜まで取材の電話が鳴りっぱなし。その夜のラジオの生番組にも電話で出演したりもした。
 その後の一週間は、週刊誌、イギリスのザ・タイムズやスイスの新聞まで取材にこられ、取材ぜめでしゃべりどうし。
 WiLLに書いた記事のお陰で、あの日のことを思い出すことができた。
 『薔薇族』のあとから出てきたいくつかの雑誌も廃刊になったが、記事にはならない。
 
 「悩み苦しんでいた当時、何度、カミソリを手に当てたことでしょう。伊藤さんに救われた幼い子供は、今、ある会社の社長として、しっかり生きています。本当にありがとうございました。」
 
 多くの読者からの廃刊を惜しむ、メールや手紙、忘れることはできない。こんなに廃刊が話題になったことは、かつてなかったのでは。
 
 そのときですっきりとやめるべきだった。そのあとずるずると『薔薇族』の名で、雑誌が出ていることを後悔している。
 
 心臓病で亡くなった妹の闘病記録を本にした昭和40年に、日活で映画にまでなった『ぼくどうして涙がでるの』をスペースシャワーネットワークが、2013年12月、復刻してくれた。そのときもWiLLが記事を書かせてくれた。そのぼくが書いた記事を編集部員が涙を流して読んでくれたと、花田さんから聞いてうれしかった。
 
 それからもう一度、WiLLに記事を書かせてもらったが、何を書いたのか思い出せない。週刊新潮3月31日号の、花田さんが編集長の職を解任されたという記事。花田さん、どうなるのか心配だ。
 
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『薔薇族』廃刊の年に創刊した『WiLL』
 
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ぼくの出版を祝う会でスピーチしてくれた花田さん

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コメント

悩み苦しんでいるゲイの人の大部分は、私を含めて将来幸せになることはできないと実感しています。
世の中の他の多くの人々が、幸せを求めて、それを達成しているのにです。

投稿: | 2016年4月 2日 (土) 13時10分

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