自衛隊のなかでの男同士の恋!
強いものが、弱いものをいじめる。いつの世にもあり、なくならないものだ。
太平洋戦争の末期に、ぼくは世田谷学園に入学したが、この時代、軍隊と同じで、上級生には絶対服従だった。
授業が終わると、2年生の命令で意味もわからずお説教だ。ひどい仕打ちは向い合って並ばされ、対向ビンタをさせられる。力いっぱい相手を殴らないと、どやしつけられる。
なんでそんなことをするのか。2年生に聞いてみないとわからない。
この話は1980年1月号に載ったものだ。36年前の自衛隊の中での話。作り話ではなく、真実の話だと思う。
「私は32歳で解体を仕事としています。私が高校を出たばかりのとき、仕事がなかったので、自衛隊に入隊し、3年たったころでしょうか。年下のやつに好きな奴がいて、まだマスのことも知らないらしいという話をなんとか聞き出し、正月休暇のとき、隊内の整備工場に連れ込み、無理やり奪ったものですが、以来それがツーカーの仲になり、そばに相手がいると、べつに何の事はない、しかし1日の訓練の間、一度でも逢わないものなら、もう心配でたまらない。
また誰かにいじめられてはいないだろうか。へまをやって叱られてはいないかとか、ひどくなると殴りでもした奴がいたら、ああもしてやろう、こうもしてやろうと、もう悪いことばかり浮かんできて、仕事も上の空です。
演習でおいてけぼりを食ったときなど、連日、地獄もいいところで、クラブでやけ酒ばかりのんでいました。
ぽつんと空いたベッドの上の毛布に頬ずりをして、相手を思うこともしばしば。もうひとりではどうにもならない状態でした。
しかし、相手もいまだ幼いところもあったせいか、そのころはそれほどまでではなかったようです。
除隊一ヶ月前、急に相手のやつが営内班の古参連中から暴行を受けました。急にというより、突然といったほうがいいのかも知れません。
給食班で勤務していた私は、戦友の一報で中隊に駆けつけました。ベッドの脇に紫色に膨れ上がった顔をしたあいつがころがっていたとき、私の想いは現実となり、殴った相手につかみかかりました。
私はケンカはダメな方で、あまり強い方ではありません。しかし、完全に逆上していた私は、相手の士長を見境なく蹴りまわし、そばにあったコーラ瓶で額を割ってしまいました。今思えばずいぶん無茶なことをやったと反省していますが、当時はそれくらいしか考える余裕がなかったのです。
そのあとは当直がくる、救急隊はくる、中隊のほとんどが集まるで、もう大騒ぎでした。私は刑事処分こそありませんでしたが、即退職させられました。
退職金ももらえず、見送りもありませんでした。何の未練もなかったけど、残してきたその年下の隊員のことが、長い間、頭のなかにあって、どうしようもありませんでした。
半年たって彼も依願退職をして、私のところへ帰ってきてくれたのです。初めて大分市のホテルで一緒に寝ました。
私がやめたあと、中隊長がやはり私と同じように心配してくれて、臨時勤務につけてもらったということでした。
それからの私達の逢瀬は今も同じですが、近くどうしても女性と結婚をしないといけないとこぼすのです。
私も彼が好きです。できることなら一生、とも悩みましたが、それは私自身のエゴだと思い、後ろ髪を引かれるつらさで、じゃあ結婚してからも友達としてつきあってくれるよう頼んだのです。」
福岡県の男性からの投書。今の自衛隊にも、このような話はあるのだろうか?
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