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2016年6月18日 (土)

カマキリ(弱者)が全身で大きな権力に!

 渋谷の東急本店裏の方にある松濤美術館で、「絵はがき芸術の楽しみ展=忘れられていた小さ絵」を見に行ったのは、1993年のことだ。今から23年前、それも日本人のコレクターでなく、フランス人のフィリップ・バロスさんのコレクションで、日本初の展示だ。フランス大使館が後援している。
 
 初めて蔵書票を見たときも、その素晴らしさに感動したが、明治、大正時代の絵はがきを見たときは、こんな素晴らしいものを日本人が忘れてしまっていることに、ショックを受けた。
 1869年10月1日のオーストリア・ハンガリー帝国郵便による「通信葉書」の発行が、葉書の歴史の幕開けだった。
 まもなくこの新しい経済的な通信方法は、あらゆる国で採用されることになった。日本は、絵の入ってない葉書を、2年おくれで「郵便葉書」として発行した。
 
 日本に本当の意味で葉書の黄金期がくるには、ひとつの政令の公布と、ひとつの戦争の集結を待たねばならなかった。1900年の政令によって、逓信省はそれまでの官製葉書のほかに、民間で葉書を印刷し、商品化することを許可した。
 また1904〜1905の日露戦争は、日本が勝利することによって愛国的な絵柄の絵葉書が数多く出回ることを促すことになった。
 一般に認められているように、ヨーロッパの絵葉書の黄金時代は、1900〜1920年の時期にあった。ところが日本ではそれは1906年まで、本格的に始まらず、しかも1930年まで続いているのである。
 
 日本が日露戦争で勝利して、その翌年、海軍記念日に発行された、葉書を買おうとする人々の行列はすさまじいものがあった、その行列の光景が絵葉書になっているが、子供までがまじっている異様な光景だ。
 明治の末から昭和の初期にかけて、ヨーロッパ各地ばかりでなく、日本でも起こった絵葉書の大流行だ。
 ブームの加熱はす相当なもので、絵葉書の専門誌が発行され、専門店が生まれ、人々は新作を買い求めようと、早朝から列をなした。
 発売元はより新奇なもの、人気のあるものを求めて工夫をこらし、多彩な絵葉書がつくられた。
 
 現在より情報の伝達手段に乏しかったこの時代、安価で大量に出回る絵葉書には、たんに通信手段である以上の意味を担わされていた。
 観光地・旅行の記念品としてばかりでなく、プロマイド様のもの、名画の複製、風刺や、漫画といった見て愉しむもの、デザイン性、芸術性を追求したもの、広告宣伝用、事件、出来事の記録、はてはかなりグロテスクなものまで、ありとあらゆるものが登場する。
 こうした絵葉書の流行は、写真や印刷というメディアを通して、複製文化の浸透、情報社会の発展、美術の広範な大衆化を促していった時代と軌を一にした。
 
 松濤美術館で絵葉書の展示をぼくが見たのは23年前。まだ、ネットがそれほど普及していなかった。電話もかけずにメールを送る時代、かえって今の時代を生きている人たちが、この絵葉書を見たらどんな思いがするだろうか。
 ぼくの絵葉書のコレクションは、中途半端なものだが、忘れ去られてしまっている明治大正の小さな絵、カマキリが全身で、大きな権力に抵抗している。今の時代でも同じではないか。
 
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(絵はがき芸術の愉しみ展カタログから引用させてもらった)

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