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2016年7月

2016年7月30日 (土)

大橋巨泉さん司会の「11PM」に出演したことあるぞ!

 7月19日の毎日新聞夕刊で「ナビゲート」という毎週火曜日に掲載するという、小さな興味あるコラムを見つけた。6人の人が交代で執筆するようだが、その日は粥川準二さんという科学ライターの方が、「学力差だけではない大学の格差」という見出しで書かれている。
 
 「ところで筆者は3つの私立大学で、非常勤講師として講義を担当している。当然だが、学生たちの学力や理解力には差がある。
 A大学とB大学の学生はそんなに問題はないが、C大学の学生は小学校高学年レベルの算数を使いこなせない。」
 
 粥川先生、一流大学、二流大学、三流大学で講義をされているから、自らの体験でこの記事を書かれたので、ひとつの大学だけで講義をされていたら、このような記事は書けまい。
 僕は日本の敗戦後、3年めの昭和23年に駒沢大学に入学した。明治大学、國學院大學に入れず、コネで駒大に入れてもらった。
 学徒動員で戦争に駆り出され、敗戦後、大学に入り直した学生も多かったから、年齢差もかなりあった。
 大学の事務局の人からあとで聞いた話だが、その頃の学生の方が卒業後、個性的な仕事をしている人が多いという話だ。
 戦時中に小学校、中学校を出ているから、数学など、まったく基礎ができていないので、足し算、割り算まではわかるが、分数なんてものからはまったく理解できない。
 今時の学生でも、学力の差は歴然としているようだ。
 
 「学力に差があるのは割りきることができる。同じようなテーマで90分話す場合、C大学では、教室に行くとみんな真っ暗な中でスマホをいじっている(誰も明かりをつけようとしない!)。いくら「質問ありませんか?」と聞いても、手を挙げる学生はほぼ皆無。
 毎回小さな紙に意見や感想を書かせているのだが、配布プリントから数行写すだけでの学生が大半。
 彼らからは学ぶことの価値を誰からも教えてもらえなかったのだろう。ようするにA大学やB大学とC大学とでは、学生の親たちの社会経済的地位が違うと推測せざるを得ない。」
 
 親に経済力がないと、子供に家庭教師をつけたり、有名な予備校に通わせることはできない。これで差がついてしまうのか。
 人間、生まれつき頭のいい悪いはある。頭の悪い子供をいくら塾に通わせても、ついていけないだろう。
 大学にはA大学、B大学、C大学とある。いくら勉強ができなくても、どこかの大学に入ることはできる。
 しかし、A大学を卒業しなければ、一流企業に就職することはまずできない。
 C大学を卒業しても、中小企業の正社員になれればいいが、正社員になれないことも多い。ここで格差が生まれてきてしまう。
 
 「選挙で経済格差の解消に消極的な政党や、候補者が勝てば、そのしわ寄せは社会的弱者に向かう。筆者が教える学生たちに話を限れば、C大学の学生だ。彼らはそれを自覚している気配はまったくないが、将来苦労しても彼らの自己責任なのか。その点は割り切ることができない。」
 
 ぼくは英語はまったくわからない。この先生の記事の見出しは「ナビゲート」。その意味がわからない。
 一緒に住んでいる中学3年生の孫に聞いたら「ナビゲート」って「案内」という意味だそうだが、どうもぴんとこない。
 C大学の卒業で、頭の悪いぼくでも、84歳まで生きて、亡くなった巨泉さん司会の「11PM」にも何回か出させてもらった。頭が悪くてもいい仕事はできる。自信を持とう!
 
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2016年7月25日 (月)

将来が不安だからお金を使わない!

 「伊藤文学コレクション・オールド・ロマン―歴史の小片を掻き集めて」が、幕を開けた(2016年7月12日〜7月23日まで)。
 初日12日、30度を越える猛暑の中、渋谷までバスに乗り、地下鉄銀座線に乗り換えて、新橋で下車、なんとかヴァニラ画廊にたどりついた。
 地下鉄の階段の登り降りは辛い。画廊もエレベーターなしの地下2階だ。12時にオープン、いい作品を買いたいと思う人は、初日にきてくれるものと思ったが、的外れ。
 
 2時間も待ったが、お客さんが入ってこない。やっとひとりの女性がきてくれた。ぼくよりずっと背の高い、おしゃれな女性だ。待ってましたとばかり声をかけたら、この画廊によくくるそうで、画廊のブログを見て、横浜から来てくれたのだ。
 ぼくの著書『裸の女房』『やらないか』を見せたりして、展示している作品の説明をしたりもした。
 
 何か買ってくれるのかと思ったが、何も買わずに帰ってしまった。明治時代の絵はがきが、額付きで1万円、大正時代の木版画の蔵書票は、額付きで1万5千円、悲しいぐらいの安さなのに……。
 ぼくの予想では、恐らく1点も売れないような気がしてきた。作品の価値をお客さんに理解してもらえないと思うからだ。画廊も商売にならない。
 
 お金をもっていても、必要でないものは買わない。だから景気が良くならないのだ。
 象徴的なのはぼくの住んでいる下北沢の商店街で、家賃がべらぼうに高いと噂されている店が閉じたままになっている。
 築地の「銀だこ」が店を出したが、長くは続かなかった。高い家賃を払って利益を出せる商売ってそうあるものではないからだ。
 下北沢の南口商店街では、みんなビルにして家賃で貸してしまっている人が多い。以前は八百屋さんだったが、ビルを建てて人に貸し、今ではスーツを着て革の鞄を下げて歩いているオヤジさんを見かける。
 自分で苦労して店を続けるよりも、他人様に貸してしまったほうが、楽してお金が入ってくるというものだ。
 下北沢の商店街の道路は狭いから、いつでも人が多く歩いているように見える。ただ歩いているだけで、お金を使わない人が大多数だ。こんなに人が歩いているのだからと思って店を出しても、数ヶ月でやめてしまう店も多い。
 
 女房の古里の新潟県弥彦村に、ロマンの泉美術館を平成5年にオープンさせたが、『薔薇族』が売れなくなり、美術館も閉館、今は廃墟になっている。
 美術館が華々しく活躍していた時代、地元の新聞三條新聞が、いつも取材して大きな記事にしてくれた。
 今でも一日遅れで新聞を送ってくれているので、三条市や、弥彦村の様子を知ることができる。
 
 地方の景気は最悪のようだ。毎日のように倒産する会社の記事が乗っている。7月12日の新聞に、「惣菜の高田食品停止・ジリ貧、負債9000万円」という見出しでだ。
 「圏内の食品卸業者や食品製造業社、スーパーなど小売店を得意先に、昆布巻き、佃煮、各種漬物などの惣菜製造を行い、平成17年7月期には、年商1億4千5百万円を計上していた。
 その後は景気低迷を受け、個人消費は鈍化し、売上はジリ貧となり、売上高は5千万円まで低下、従業員は5人とある。」
 
 毎日食べるようなものが売れなくなっている現実。地方はひどい状態では、将来が不安だからお金を使わない。これからどんな世の中になっていくのだろうか?

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2016年7月23日 (土)

演技で女性との結婚生活を!

 「私は女の中のひとり息子で、自分でも子供の頃から、兄か弟が欲しいといつも思いながら生きてきました。
 自分で言うのも変ですが、子供のころからかわいらしいとか、女の子みたいだとか、顔のことをほめられてきました。
 寒中水泳でも一番にとびこんだり、4キロの遠泳をただひとり泳ぎ切ったりしたものです。
 中3の時も、水泳部のキャプテンとして活躍していましたが、高校に入った年の夏に、体育の先生から初めての愛を教えられ、自分の元からあったものが燃え出したのか、それから現在まで男を愛し、男に愛されてきました。
 
 25歳の時に女性と結婚しました。ただ男相手の生活を忘れるため、結婚すれば普通の男性の生活に入れると思ったからです。
 別に好きでも嫌いでもないまま、一緒になって10年あまりですが、妻の体を憧れて抱いたことは一度もありません。
 一応、行為らしきものはありますが、演技の連続でした。私が言いたいことは、世間体のためにする結婚は、絶対にしてはいけません。
 
 今の男にかけている愛情の半分でも、奥さんに分けてあげられるなら、一応男としての結婚をするべきですし、男としての責任を家庭に対して持つべきです。そのための家庭ですから、ただ半分の愛情といってもセックスのことです。この面だけ努力してつくろえば(これが問題)大丈夫です。
 
 いくらホモでも、女性とひとつ屋根の下に住むのが嫌なわけではないでしょう。現在まで母に育てられ、姉か妹と暮らしてきたはずですから……。
 演技の連続で、10年ほどやってきた私ですが、子供もあり、一応はバレることもなく平和に両立させてきました。
 今でも若い美青年にころりと参って、夢中になってしまいます。これから結婚されるか、またはしなければと悩んでいる方、絶対にホモを女性に告白したり、バレるような行為をつつしんでください。それこそ不幸です。
 
 切実に悩んでいる若い人を何人も知っていますし、その都度、私自身の体験をアドバイスしてきました。体だけでなく、一緒に暮らせば、心の面での愛も芽生えることなどを。
 演技がだんだんと演技でなくなり、立派なご主人になれることと思います。
 適当に考えての結婚は、ぜひやめて下さい。一緒に暮らしてみれば、少しずつでも違った目で、女性を見ることができるはずです。少しでも役に立てればと思い書きました。(新潟県・35歳の一先輩)」
 
 先輩として、自分の体験を多くの読者の参考になったらという思いは伝わってくる。
 この時代、地方だったらほとんどの女性が処女で結婚したと思う。いろんな男性と性の経験がある女性だったら、この男性のような演技はすぐに見破られてしまっただろう。
 たまたまこの男性が演技が上手でうまくいったとしても、それは相手の女性次第、この人、35歳だというが、このまま10年、20年と演技を続けられるだろうか。
 
 実際のところは、女性にバレてしまって、大騒ぎになることが多かった。しかし、この時代は女性と結婚しないわけにはいかなかったのだから、女性をだますしかなかった、辛い時代だった。
 今の時代、結婚したくてもできない、女性をやしなえない、まして子供でも生まれたら、男性の少ない給料では破綻してしまう。
 
 「結婚」というものの考え方が変わってしまっている。良い時代になったのか、悪い時代になったのか、難しい問題だ。

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2016年7月18日 (月)

初体験の相手で好みが決まってしまう!

 好みの男って、初体験の時の男で決まることが多いようだ。初めての男が年輩の男だったりすると、年輩の男ばかりに目が行ってしまう。
 初体験が外人さんだったりすると、外人好きになってしまうようだ。
 この『薔薇族』への投稿は、36年も前のもので、好みの男について書いている。
 
 「江戸川上流で、ある日、突然、6尺ふんどしをして、甲羅干しをしていた中年男によって、男の世界を経験しました。
 中年の太った毛深い体格と、初めて男のモノを触った時の感触は強烈で、この世に男同士の肉体関係が存在することすら、まったく知らない当時の出来事は、今でもはっきりと脳裏に残っています。
 
 『薔薇族』が隔月発行だったころ、文通欄を利用して数人の人と交際はしたものの、どうも相手を好きになれません。この世界を好みに応じて分類すると、俺の場合、ヨゴレ好きの部類に入るようで、とにかく、こわい顔つきで短髪、短足、寸胴の中年男が理想のようで、なぜ、こんな男が好きになるのかと、自分でもわかりません。
 サラリーマンタイプの人を見ても性欲が起こらず、むしろ反発するのみで、どうも初体験ですべてが決まってしまい、雑誌から友を得るのは絶対的に無理で、こういうタイプはスナックとか、ハッテン場にいるわけがなく、探すのが大変です。
 
 当然、浅草の馬券売り場あたりが出会いの場所で、年齢も若かったから、こちらから話しかけると、案外ついてきたりして、熊みたいな男がのってくるのだから、いわば俺の青春って、土方とヤーさんで過ごしたみたいで、こういう男って単純で遊びまわることもなく、反面、中年紳士とか、知的人間のほうが遊びに関しては、心が汚れていると思う。
 
 俺は27歳になったけど、ひまなときはピアノを弾きまくっているが、ふと思うのは、世間には不思議と同じ体格と、顔つきをしたのがいて、今まで関係した人をみると、みんな兄弟みたいでおかしくなってしまう。
 
 今の親父を知って、1年ぐらいになるけど、会いたい時に会い、しかし、いつもながら俺に対して酒は2合以上は飲ませてくれない。女房役の親父のこと、気を遣っているんだなあと思い、ごっつい顔がいとしくなってしまう。
 休日出勤もときどきあり、よく大手町で乗り換えるけど、親父は冬だから防寒服で、肩にバックをかけ、現場に向かう。俺は付き添いだから、現場まで行き仕事を見ているけど、そのあとはパチンコをしたりして、とにかく何もかも隠さない性格が親父の魅力である。
 まあ、派手な交際はできなくても、2本のレールがあるように適度な間隔をおけば相手を傷つけたり、別れるケースなどおこることはなく、俺自身いろいろな男を知ったけど、この親父がいる以上、他に浮気をする気持ちはない。
 
 先日、風邪を引いて寝込んでしまったと連絡があり、行ってみたら回復に向かっているものの、ひとり暮らしだから、その苦境がどんなものかわかっている。「なんで早く知らせなかったのか」と、どなってしまった。
 「自分の手で探しあてた親父だからこそ大事にしたかった」と、そのときはっきり言ったけど、今後どんな方向にお互い進むかわからないが、東京の片隅で、ブ男な親父と俺が付き合うのもひとつの縁であり、これからも仲良くやっていきたいと思う。(埼玉県・ブ男好き)」
 
 いろんな好みがあるものだ。有名な作曲家で、好みの男は肉体労働者だと、聞いたことがある。それぞれの好みって面白い。

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2016年7月16日 (土)

ものすごい労力と時間をかけて得たもの!

 ぼくが足しげく通っている「器とコーヒー・織部下北沢店」は、毎月「文ちゃんと語る会」の会場でもある。
 路地のまた路地の奥にあり、好奇心の強い人でないと入ってこれない店だ。しかし、下北沢でこんなぜいたくな店はない。
 煙草を吸える席もあり、そこは犬を連れても入ることができる。乳母車に赤ちゃんをのせてのお母さんにとっても段差のないお店なので、ずっと座ることができる。
 
 もうオープンして2年にもなるのだろうか。店長の奥村くんと親しくなって、ネットを見れないぼくがどれだけ助かっていることか。
 以前はデザイナーでもあったので、年賀状から、催し物のチラシのデザインまで引き受けてくれている。
 ところが今までは、お客さんが少なかったので、店長に頼んでネットで調べてもらったりできたが、良い店は口コミでお客さんが増えてくるから、ぼくにとっては困りものだ。
 世田谷区の区長の保坂さんまで、お客さんを連れて入ってくるようになってきたので、ぼくにとってはつらいことだが、お店にとっては喜ばしいことだ。
 最近はメニューにも工夫して、スパゲッティも2種類食べられる。かき氷も好評だ。
 
 自分で書いたブログが見れないのだから、更新されると奥村くんに見せてもらっている。奥村くんがこんなものを見せてくれた。ブログを見てくれている人たちが、どんなものに興味をもってくれているかが、1位から10位までのっているものだ。
 祖父の伊藤富士雄の吉原お女郎さんの話は、興味を持って見てくれているようだ。
 「アクセス地域ランキング」がのっているのを見せてくれた。
 ネットのことってまったくぼくには理解しがたいが、なんでこんなことがわかるのだろうか。県別でどこの地方の人が、ぼくのブログを見てくれているかという順番だ。
 
 1位が熊本県、2位は群馬県、3位石川県、4位山形県、5位青森県、6位静岡県、7位和歌山県、8位宮城県、9位北海道、10位岐阜県だ。
 ぼくが1度でも行ったことのある県は、群馬・青森・静岡・宮城・北海道・岐阜くらいのもので、あとの県は一度も行ったことがない。新潟は女房の古里で、弥彦村に美術館まで造ってしまったのだから、知人は数多くいるのに、ランキングには入ってこない。
 
 いまどき携帯電話も持たない男って、時代に取り残されている人間であることは間違いない。そんなぼくがブログを書き続けることによって生きがいを見出し、ボケずにいられるのだから、まったく理解できないが、喜んでいいことなのだろう。
 
 ネットなんてものがない時代、ものすごく労力と時間がかかったのだろうが、それを手にした時の喜びは大きかった。
 
 「「あった、やっと見つかった」という感情のたかぶりとともに、そのとき私は、自分の男性指向の思いをはっきりと意識した。
 居ても立ってもいられない気持ちで上京し、上野駅ホームの電話帳で『薔薇族』の発行元の第二書房を探しだし、どこで売っているのかを聞いた。
 それからは一ヶ月おき(当時は隔月刊)に、今はない銀座の大雅堂書店まで、往復3時間、千円の交通費をかけて通い手に入れた。『薔薇族』の一冊はまさに至宝だった。
 『薔薇族』は、この道に孤独な私がコミュニケイトできる唯一の友人であり、鬱積するストレスのはけ口だった」
 
 便利になりすぎた今の人たちには考えられない話だろうが、どう思いますか?

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2016年7月11日 (月)

世田谷学園の同窓会総会はつまらない!

 今年も一年の半分があっという間に過ぎてしまった。子供の時は時の過ぎていくのが長いと思ったのだろうが、大人になったら、一年はあっという間、いつの間にか84歳になっている。
 思い出せば、いろんな出来事があって、楽しいこと、苦しかったことがあり、それでも他人さまが出来ないようなことをいくつもやりとげてきた。
 いつ死んでも悔いはないが、幸せなことに大きな病気はしたことがない。胆石をとったことと、左膝に人工膝を入れたことぐらいか。
 
 人間の体の中で、一番長い神経に坐骨神経がある。腰から足の指までつながっている、坐骨神経痛というやつだ。何年も前に痛みだしたことがあったが、どうやってなおしたのかは忘れてしまっている。
 今回は2ヶ月くらい前からで、洗面所で顔を洗おうとして下を向くと、お尻とふくらはぎに電流が流れるように痛みが走る。でも、痛くてがまんできないというほどでもない。
 
 20数年もお付き合いしているAクリニックに薬をもらいに行った時に、坐骨神経痛がまた痛みだしたと訴えたが、患部を触るわけでもなく、漢方薬だけを出してくれた。
 そのときA先生に不信感と頼りなさをもってしまった。
 
 ぼくはカフエ「つゆ艸」の由美さんにほれて通っているが、そこの常連の小峰さん夫婦は、病気の問屋さんみたいな人で、年中、医者通いに精を出している。「いい先生を紹介します」と、下北沢南口の横丁のこだまビル3階「下北沢整形科リウマチ科クリニック」を教えてくれた。
 
 早速、尋ねてみた。感じのいい50代と思われる先生だ。次の日が世田谷学園の同期会だったので、みんな亡くなってしまって、5人しか集まらないという話をしたら、先生の息子さんが世田谷学園の卒業生で、柔道部に所属していたそうだ。
 腰のレントゲンをとったら、腰の一番下のほうが曲がっているので、神経が触って痛むのだそうだ。レントゲンもせせらぎ歯科と同じように、テレビのモニターに鮮明に映しだされた。原因が分かったので、お尻に痛み止めの注射を打ってくれた。
 二度目に診察に行ったら、「世田谷学園の卒業生の有名人の中に伊藤さんも入っていますよ」と教えてくれた。
 何回か通っているうちに注射が効いてきたのか、痛みがなくなってきた。今日、7月2日は世田谷学園の同窓会総会がある。歩いて行ってみようと思っている。
 
 宝島社刊の『アウトロー列伝』、昭和平成の無法者を集めた中に、ぼくをとりあげてくれた。ヤクザの親分、右翼の親分などがずらりと並んだ中に入れてくれたのだから、名誉なことだった。
 ぼくが世田谷学園に入学した戦時中から敗戦後にかけては「ヨタ中」と言われていたのが、今では先生方の努力で、進学校としても有名になっている。ぼくのようなアウトローが卒業生というのは迷惑なことかもしれない。
 
 「同窓会総会の開催についてのご案内」というのが、会長・宗澤文良の名で届けられている。若い卒業生は、二度と学園に足をふみ入れたいと思わないのでは。自動車教習所と同じで、良い大学に入るための技術を教えるだけのものだから。
 こんな形式的な案内状を読んで総会に行ってみようと思うだろうか。参加したところで数字だけを聞かされて、拍手して終わり。こんなことでいいものだろうか。
 坊さんが会長では駄目だ!

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2016年7月 9日 (土)

他人を思いやる人になってほしい!

 あと10年先、20年先の日本は、若者より年寄りの数が増えてしまう時代がやってくるようだ。
 そんなことが頭から離れないので、最近、下北沢通いをしていて、目についたショックなことがあった。
 
 今、若いお母さん方の間で、電動式の自転車が人気のようだ。小さい子供を乗せるための背もたれがついていて、子供が眠ってしまっても落ちないようにベルトが付いている。
 2人の子供を育てている人は、前の方にも子供を乗せられるようになっている。たまに赤ん坊を胸に抱いて、3人も子供をのせて走っている、たくましいお母さんも見かける。
 
 下北沢近辺は、マンションもアパートも家賃が高い。ご主人だけの収入では大変だと思うが、2人も子供がいては働きにも出られまい。
 小さい子供をあずかってくれる保育園の数は少なく、入園をことわられることも多いようだ。
 保育園を建てようとすると、近所の人たちが、子供の声がうるさいと反対するという。近所にお寺さんが経営する保育園ができたが、まるで刑務所のようで、外に子供の声など聞こえないような頑丈な作りだ。
 日本の将来を考えれば、保育士の給料を上げ、保育士を増やし、安く子供を安心して見てもらえる保育所を作ってもらいたいものだ。
 
 下北沢周辺の道路はせまい。そこに自転車を置かれたら、歩行するのに邪魔になるのは当然なことだが、それをすべて禁止にしてしまったら、商店街はお客さんが減ってしまう。
 土日をのぞいて、下北沢の商店街のお客さんは確かに減っている。歩いている若者たちのふところは寂しい。それとお店の家賃が高すぎる。目抜きの商店街は、大手のチェーン店ばかりになってしまっている。
 
 個人商店の移り変わりの激しいこと。あっという間に変わってしまう。もうかるのは不動産屋とお店を作り変える工務店だけだ。
 区がやっている仕事だろうが、ときどき道路に置いてある自転車や、オートバイ、スクーターをトラックで持ち去る会社がある。
 だいぶ前のことだが、ぼくの自転車を持って行かれてとりに行ったことがある。世田谷は交通の便が悪い。自転車置き場はへんぴな所にあるので、取りに行くのにタクシーで行くしかない。その上、手数料を3千円払わされる。
 
 ショックなことを目にしたというのは、トラックの上に乗せられた多くの自転車の中に、子供を乗せる背もたれのついた自転車を見たからだ。
 その自転車の持ち主のお母さんは、子供を保育園にあずけてきた間に買い物に来て、路上に置いたのだろう。
 そんな自転車を持って行かれたら、お母さんはすぐに困ってしまう。ぼくは時代劇にはまっているが、「お上にもご慈悲がある」というセリフをよく聞く。
 自転車を路上からトラックに載せている作業員の人たち、仕事だからといっても、お慈悲の気持ちがわかなかったのだろうか。
 最近、他人の気持ちを思いやる人が少なくなってきている。
 
 参議院選挙、都知事選挙、他人の気持ちを思いやる人、弱い人たちに目を向ける人を選びたい。
 都知事にはこの人というような人格者が見当たらない。人間がみんな小つぶになってしまったのか。
 若いお母さんが子供を安心して育てられる街に、下北沢をしたいものだ。どんな都知事が誕生するのだろうか。
 

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2016年7月 4日 (月)

世田谷学園の同期会、楽しかった!

 2016年、6月25日(土)下北沢駅前の大庄水産下北沢店で世田谷学園の同期会を開いた。
 出席者はぼくを含めて6人。1年の間に何人かが出られなくなっている。ぼくがお節介役を引き受けて、20数年になるだろうか。
 
 人を集めるのが好きだからこそできることで、会場を決め、往復はがきに印刷して仲間たちに住所、氏名を手で書いて出す。
 会場も渋谷の中華料理屋が2店、三軒茶屋の銀座アスターの会も豪華だった。それよりも、もっと派手だったのは、羽田空港の宴会場での会、羽田空港ビルの副社長が仲間のひとりだったので、確か岡本君が援助してくれたのだろう。最高の料理で、アコーディオン奏者で有名な人を、名前を忘れてしまったが、招いて昭和の歌を聞かせてもらった。
 
 最初の頃は、指導を受けた先生方も元気だったのでお招きして、出席者も5、60人は集まり、賑やかだった。
 それが年を数えるごとに、あの世に旅立つ人が多くなり、出席者は減るばかりだった。何人かのお葬式にも行ったことがあったっが、さびしいものだ。
 
 下北沢駅前の大庄水産に会場を移してからも、何回かになる。社長が佐渡の出身で、魚の卸をやっているそうで、チェーン店が何軒もあり、魚が心線でその上安い。
 ランチタイムなどは、おさしみの丼が、みそしる、お新香付きの税込みで500円という安さだ。
 去年までは会費4千円で、飲み放題、料理も次から次へと運ばれてくるので、年寄りには食べきれない。
 
 今年から人数も少ないので、好きなものだけを注文するようにした。
 ぼくは烏龍茶一杯しか頼んでいないのに、ビールや、日本酒をかなり飲んでいるものもいる。
 食べ終わってから計算したら、一人分2700円ですんでしまった。ビールを何杯も飲んでしゃべりまくりの千葉から出てきた志村君。ご機嫌で煙草の吸殻が灰皿にいっぱい。
 英語がペラペラで、いろんな国へ行った時の自慢話。彼に全部払ってもらいたかった。どれだけ煙草の煙を吸い込んでしまったことか。肺がんになったら志村君のせいだぞ。
 
 写真を撮り、同窓会の事務局に文章を付けて送っておくと、会報に必ず載せてくれる。同窓会を開いている人って、あまりいないようだ。
 同期会といっても、入学したのはみんな同じで、太平洋戦争末期の昭和19年。ところが卒業時は3通りになっている。戦後、学校の制度が変わったのだ。ぼくみたいに中学4年から駒大の予科1年に、それから中学5年で卒業したもの、今の制度の高校3年で新制大学に入った人と、複雑だ。
 
 高校3年までいた人は、戦後の世の中も落ち着いてきて、塾に通って勉強したのか、ぼくを除いての5人は、東大、早大、法政とみんないい大学を卒業し、いい仕事についている。
 水野君は東大を卒業して、電気通信大学の教授になり、定年まで勤めている。その水野君、耳もぼくより悪く、頭もボケていて、スーパー「オオゼキ」の前だと、何度も教えたのに、やっと来られたようだ。
 ぼくのとなりに座ったが、鼻毛がボサボサ飛び出している。ぼくはこんな老人になりたくないと、毎日、ひげをそり、爪を切り、老人くさくないように心がけている。
 
 みんなよろこんでくれて、カフエ「織部」で2次会。5時間もしゃべってしまった。
 
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2016年7月 2日 (土)

 君と知りあえて良かった!

 「文ちゃんと語る会」に2度も勇気を出して参加してくれた、関西に住むひきこもりの青年が手紙をくれた。
 少しずつひきこもりから、脱出しようと挑戦しているようで、そんなことができないのかと思ってしまうが、彼なりに努力をしているようだ。
 
 ◯お店レジでのプリペイドカードの発行
 ◯大きめの物の徒歩でのリサイクルショップへの持ち込み
 ◯会員制のスーパーでの入会手続き
 ◯宅配ピザのお店からの持ち帰り
 ◯銀行での各種手続き
 ◯金券ショップや、貴金属買取店での商品券の買い取り
 
 「初めてのものはもちろんのこと、以前より何度か経験していることでも、かなり勇気が必要です。
 入口の近くまで行ったときも、諦めて帰ろうかと何度も考えましたが、かなり勇気を出して入りました。
 現在もなにか大変なことをしてしまった直後のような感覚(恐怖)が、ほぼ常にありました。
 前よりもかすかに良くなっているとは思いますが、話せないといけない場面で、うまく声が出ません。
 
 私の場合、決まった行いや単語ではなく、いつ声が出せなくなるかはわかりません。話そうと思う文章が頭のなかで、文章化するスピードもかなり遅く、文章化できても声が出せず、違う単語を探すことになりますから……。
 そもそも頭の中で文章化したものを、口に持ってきて声に出すということを約1秒で行い、それを卓球のように相手の方と、やりとりするのが「コミュニケーション」ですので、これは私にとっては、とんでもないことなのです。
 
 書くスピード自体が遅いということもあるのですが、一番の理由は頭の中での文章化が遅いことです。(中略)
 私は前よりはかすかに良くなっているとは思いますが、強迫性障害もありますし、精神的な意味だけでなく、身体的な意味でも、私はまともではありませんので、これまでの人生を振り返ってみても、よくこの身体で大学まで通えたなあと、考えることがよくあります。(中略)
 
 「伊藤文学のひとりごと」の6月11日の記事の人のことで、蹴りながら歩く女性のことを読みましたが、前々回の語る会に参加させていただいたとき、大阪に帰りついて商店街を歩いていました。私の前を歩いていた方が、ときどき私をチラチラ見るのです。しばらくしてその方が、突然、大声で私に
 「その音、うるさいのお〜! うっさい!」
 と何度も何度も叫ぶのです。
 その方は私が持っていたスーツケースのガラガラという音が気になったらしく、そのどなり声は商店街中に、ひびき渡りました。
 もちろん、その気持は理解できるのですが、さすがに重くて持ち上げながら歩くわけにはいきません。
 そもそも声を出すということさえも、非常に大変なことなのですから、その人にわびることもできませんでした。
 
 このような状況ではございますが、少しずつ社会に向かって歩いております。」
 
 長い長い手紙、それも一字一句、丁寧な字で書かれていて、字の間違いもない。どれだけの時間をかけて書いたのだろう。
 君のような人が世の中に、どのくらいの数でいるのかわからないが、その人たちと出会うことはできまい。語る会に出てきてくれたから知り合うことができた。近くに住んでいるのなら毎日、君を訪ねておしゃべりするのだけど、残念だ。

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