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2016年8月

2016年8月29日 (月)

お金で男が男を買うということ!

 今だから書ける、地方のゲイバアの従業員からの内部告発。これは特殊な例で、すべてのバアでこんなことをしているわけではないが。
 
 「僕は現在、ある地方都市でゲイバアに勤めています。この店はいわゆる売り専の店ではなく、お客さん同士でハントする店なのです。
 でも僕たちが売られていくこともあるのです。若いお客さんはお金が自由になりません。だから店の方も、よくお金を使ってくれる年輩のお客さんを大切にするようになります。
 経営者側としては上得意のお客さんに若い子をひっつけようと努力します。オクテの若い子は言うことをききませんが、ゲイバアに慣れていない子は、びくびくしていますから、マスターに仲良くしなさいと言われると従ってしまいます。
 
 拒否する勇気もないのです。飲み物をもらうと断るのも悪いと思い、ホテルまでついていく子もいるでしょう。結局後で後悔するだろうと思います。
 また、従業員をめあてにくるお客さんもいます。従業員も普通の人間ですから、好きなタイプがあります。自由恋愛もいいのですが、経営者から「店のいいお客さんだから」と言われると体を売る人もいます。本当にかわいそうです。
 
 ゲイバアの従業員は、人形ではありません。心があるんですよ。好きでもない男と寝て、泣くに泣けない気持ちになった人がいるのでは。また、お金で男を買っても、あとに残るのはむなしさだけでしょう。
 
 ゲイバア経営者と従業員の関係は、前近代的な雇用関係だと思います。僕たちは一日いくらという契約を結んでいるのですが、その賃金に対する以外のことも強要されています。
 「お前は売れない」と首を切られた人もいるでしょう。ホモバアで働いているということで出るところへも出られないのです。僕も以前、売上を盗んだということで、調査もしないで、一方的に解雇されました。僕があとで調べた結果、マスターのミスだということが分かったのです。
 これはひどい例ですが、「うちの店では付き出しを食べて、腹が痛くなっても、保健所に届けはしないだろう」というのです。
 社会から偏見の目で見られているということが、彼らにとっては有利に働いているのです。私たち従業員の権利も平然と踏みにじられています。このような状態を変えていくためには、僕たちがしっかりすることと、ゲイバアを利用しているみなさんが、このような状態を許さないことが必要です。
 
 金で男を買うことは、買った本人の心を荒廃させることであり、買われた人も最初は心が痛んだりはするが、捨鉢な気持ちになり、プロ化していくのではないかと思われます。
 このようなことが行われているかぎり、ホモは解放されず、陰惨な泥沼の中で、もがき続けることでしょう。
 
 僕たちは僕たち自身を開放するために、反道徳的な手段で男を買わない。またゲイバアで働いている従業員は、勇気をもって自らの権利を取り戻すために、努力することが必要だと思います。」
 
 売春防止法が完全施行されたのは、昭和32年の4月1日からだ。この法律は男女の関係だけで、男対男は適用されない。今現在でも売り専の店は存在し、お金で若い男性が買われ、人権を無視され続けている。
 『薔薇族』はこうしたお店の広告を載せていたから、批判することはできない。
 
 お金で男を買う。誰が考えてもいいことではないが、必要悪だ。この問題は解決するには長い時間がかかるだろう。

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2016年8月27日 (土)

竜君に嫌われた山川純一君は災難でした!

 なんでぼくの『薔薇族』での良き相棒、藤田竜君、スタッフたちは、山川純一君描くところの劇画の主人公たち(長髪で顔が長い)を嫌ったのだろうか。
 それはぼくの考えでは、ゲイの人たちが、自分の心の奥底にある女性的な部分を意識しすぎて、より外見を男ぽく見せたいと思うことと関係している。
 髪の毛が長い、顔が長いということに、「女性」を感じ、生理的に嫌うのではないか。
 
 1977年、№54・7月号に藤田竜君が面白いエッセイ「短髪大研究」を載せている。これを読むと、山川純一君描くところの劇画が嫌いな理由がよく分かる。
 
 「短髪否定論、とまではいかないけど、なぜ短髪だけが男らしいと断定するのか、とか、短髪でオネエ言葉は噴飯ものだ、といった文章がときおり本誌に載りますな。
 そうした意見をやむにやまれず出してしまうくらい、まったくバアでも文通欄でも、短髪、短髪とやかましい。
 
 短髪にしたら急にモテだした男を何人も知っているし、相対的にムクんできた、このおれですら男に多少でもありつけるのは、髪を刈り込んでいるからでしょう。
 そしてまたおれ自身も髪の短い男にひかれるのです。なぜ、短髪にわれわれの多くは、セックスアピールを感じてしまうのであろうかね。
 
 短髪から連想されるものは、スポーツマンとやくざで、ま、男性的要素は濃厚な人たちではありますわな。その雰囲気をちょろっといただく上で、何が手軽って、髪を刈るくらい簡単なことはない。それで頭だけの部分でそうした男っぽい男になりすまし、また、見る方もわざとだまされているのだろうか。そういう気配がないでもないが、短髪大モテの理由はそれだけではないように思われ、要するになぜいい男に見えるのか、さっぱり分からない。(中略)
 
 スポーツマンが短髪なのは、競技の際にじゃまにならないという理由の他に、とくに学校のクラブなどでは、精神統一というきわめて日本的な理由によっている。
 しからばやくざはなぜ短髪か、というと、これは必然性はないみたいだけど、すごみ、が表現できるからでしょう。
 
 では、しつこいけどね、短髪にすると、どうしてすごみが出るのかな。それはなぜか我々がやくざ=角刈りあるいは丸坊主という概念を持っているからなのでありましょう。(中略)
 近眼メガネをかけた男は嫌いってのもよく目にするけど、考えるにメガネは知的なるものの象徴だからね、知的なるものは荒々しい粗野なものの対極にあるわけでしょうが。
 そうした野生こそが男性的ならば、メガネは非男性的なものということになって嫌われるのだと考えられ、同じく短髪は知性を感じられないからこそ、男っぽいのではありますまいか。(ジャーン!! ついに短髪がモテる結論に到達した!!)(中略)
 
 考えてみれば、世間がホモを差別する以前に、自信のあるホモは自分から世間を差別し、見下しているところがあって、芸能、芸術の鑑賞力や造形力なんかにはことにすぐれ、さまざまのジャンルのデザイナーの多くが、ホモであったりするわけで、ま、ノンケにはわかんないよ、オネエじゃなきゃ駄目だよって仕事はとてもあるのです。(中略)
 
 やっぱり自らを肯定するところから我々の幸福は生まれるのである。と断定し、大いに短髪を愛してよろしいのではありますまいか。」
 
 藤田竜君、自分がオネエぽいから、山川純一君の長髪、長い顔が許せなかったのだろう。
 一緒に長いこと住んでいた内藤ルネさんが、ぼくに「本間が、相手を思いやる気持ちが少しでももてたらね」と。嫌われた山川純一君は、災難でした。
 
 「みんなヤマジュンになぜか惹きつけられる。きっとかわいくて清らかだから! よしもとばなな」
 こんなすばらしい推薦文の『ウホッ!! ヤマジュンセレクション やらないか』
 復刊ドットコムから、女性をターゲットに、有名女性デザイナーの見事な装丁で、9月半ばごろ発刊される。
 これは手元に置いておきたくなる本だ。乞うご期待!
 

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2016年8月22日 (月)

自分と同じ人間が他にもいる!

 「僕は小さいときから「差別」ということが大嫌いでした。中学生のころ、妹と一緒に街を歩いていたとき、黒人が向こうから歩いてきたのです。
 妹は指をさしながら、「黒人だ! 黒んぼだ!」と叫んだのです。僕は妹の手をはたき、「そんな言い方はよせ。お前は同じ人間を差別しているんだぞ!」と、叱りつけました。妹はその意味がよくわからなかったのか、ただ、じっと僕の顔を見つめていました。
 
 そんな僕がゲイになったなんて皮肉ですね。いや、ゲイになったという言い方は正しくないな、ゲイだということが分かったと言うべきですね。
 自分がゲイだと自覚した時は、やはり悩みました。自分は異常なのだろうか、自分と同じ人間が他にもいるのだろうか……と。
 百科事典を見たり、図書館で医学書を調べたり……。なんとか自分と同じ人がいないかと、必死でした。
 高校の時、同じ運動部の仲間が、『薔薇族』のことを話題にし、その時、初めてそういう本があることを知りました。
 そしてある日、本屋で『薔薇族』に出会ったのです。自分と同じ人間が、他にも沢山いるんだということが、分かっただけでも、どれだけ救いになったことか。(中略)
 
 僕は今度、大学の4年(23歳)になります。就職の問題があり、そして次は結婚です。
 僕の両親は、長男(男ひとり)である僕が就職し、結婚して落ちついてくれることを望んでいるでしょう。そして孫の顔をみることを楽しみにしているでしょう。そんな両親に、なんと言って納得させたらいいのでしょうか。
 一度、『薔薇族』が両親に見つかってしまったことがありました。その時、なんと言って言い訳をしようかという気持ちと、これで両親に隠れて、こそこそしなくてもすむかもしれないという、半ば開き直りの気持ちが頭の中を交錯しました。
 しかし、親というものは、まさか自分の子供だけは、という気持ちが働くものです。一時的な遊びかもしれないけれど、こんなことを長く続けると、抜けられなくなってしまうよという言葉で片付けられてしまいました。
 両親に理解してもらえなかった失望感と、理解してもらおうと努力しなかった自分のふがいなさにしばらくは、食物がのどを通りませんでした。
 
 今、両親は僕のことを疑いつつも、ちゃんと結婚してくれることを望むまなざしで見つめています。(中略)
 人間はひとりだけでは生きていけるものではありません。両親や、親類、友人、いろんな人と関わりあって生きていくものです。だからこそ、われわれの気持ちをいろんな人に理解してもらうべく働きかけなければいけないんじゃないでしょうか。
 ゲイの人の中には、ゲイのことを表に出すなという人もいるかもしれません。しかし、結婚事で多くのゲイの人たちが悩んでいるという事実がある以上、そういう人のために、力をあわせるべきではないでしょうか。
 少数者であるがゆえに、蔑視されているわれわれなのだから、そのなかでまた結婚について悩んでいる人たちのことを無視すべきではないと思うのです。
 
 両親にさえも告白できない僕が、こんな生意気なことは言えた義理じゃないのですが、社会人になるという岐路に立っている今、切実に考えざるをえないのです(千葉県・大学4年生)」
 
 35年も前の大学生の悩み。しっかりした考えをもっている大学生だから、その後の人生を強く生きぬいたと思う。

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2016年8月20日 (土)

戦争は人間を狂気にさせる!

 昭和20年、8月15日の終戦記念日がやってくる。その頃、ぼくは世田谷学園の中学1年生だった。
 前の年の19年に世田谷学園に入学したのだが、その頃は公立の新制中学はなかったので、私立の中学を受験するしかなかった。
 代沢小学校の6年のとき、6年制だけは学校に残ったが(縁故のある人は、すでにみんな東京を離れていた)5年生以下は、長野県に集団疎開していた。小さい子が親と離れて行くのだから、なんともあわれだった。
 
 サイパンやグアムなどの島々は、すべて米軍に占領されていて、それらの島々の基地から、連日のように本全土の都市にB29爆撃機が、飛来して爆弾や焼夷弾を落として、焼野原にしていた。
 終戦の年の3ヶ月ほど前の5月25日、世田谷方面にも爆弾や焼夷弾を初めて、落としていった。それまでは下町の方がやられていて、3月10日、たった1回の爆撃に、B29、324機が、約2000トンの爆弾、焼夷弾を搭載してきたというのだから驚きだ。
 ふつう1機のB29は、5トンしか積めないのだが、その頃は日本の戦闘機も、全滅しているし、高射砲も撃ってこないので、対空火器や防御用火器をとりはずして、6トンもの爆弾、焼夷弾を積んできた。
 
 その時の空爆で10万人もの人が亡くなった。324機のB29が、整然と編隊を組んで、高度1万メートルの空をうずめつくすのだからもう、そんな光景は2度と見られないだろう。
 兵隊ではない、女、子供たちまで、殺されてしまったのだから、たまったものではない。それでも戦争をやめようとしない日本の指導者たちの頭がおかしかった。
 広島、長崎に原爆が落とされ、多くの人が亡くなったというのに、それでも戦争を続けようとしたのだから、それも竹やりで。
 
 2016年8月11日の毎日新聞朝刊「証言でつづる戦争」で、6回目の「空襲」の記事は、当時に体験していたぼくにはつらい記事だった。
 「空襲が始まったころは、日本の戦闘機もB29におそいかかったが、B29の大きさに比べたら、大人に幼児がというくらいのものだった。B29の上に日本の戦闘機がのってしまったこともあった。
 「こんちきしょう、こんちきしょう」
 一人の高齢の女性が木の杖で、米兵の遺体を叩きつけていた。誰もが鬼畜米英と教えられていた時代だし、もしかしたら、おばあさんは戦争で子供を亡くしたのかもしれない。
 数年前、気になって調べてみると、地元の寺の住職が遺体を手厚く葬ったといい、現場には慰霊碑も建っていた。ほっとした。
 捕虜虐待など埋もれた歴史を掘り起こす民間の「POW研究会」の調べでは、B29だけでも計142機が日本に墜落した。容赦無い無差別爆撃への怒りの矛先は、墜落機の米兵に向かった。名古屋上空で日本の戦闘機に体当りされ、パラシュートで脱出した米兵は――。
 落下するとき、150人から200人の暴徒が迫ってくるのがわかった。殺されると思った。
 民間人が竹ざおで私の頭の横をなぐりつけ、兵士が着剣した銃で突進する。横にとんで助かったが、飛行服が破れた。銃の台尻や竹ざおでなぐられ、群衆に石を投げつけられた。」
 
 ぼくもB29gあ、高射砲で打たれたのか、白い煙をはいて飛んでいるのを見たことがあった。
 戦争はどっちがいいか、悪いかではない。人間を狂気にさせる。2度と戦争はすべきではない。

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2016年8月15日 (月)

LGBT理解しあう職場を作ろう!

 「同性愛  暴露され転落死」なんともつらい話を書いたあとに読んだ記事だけに、ああ、少しずつ同性愛に対する世の中の理解が、いい方向に変わってきたなという思いがした。
 
 転落死した学生が、同級生の男性に、恋愛感情を告白したら、相手の男性の行為はあまりにも悪かった。
 相手の学生がノンケ(女好きな男)だったとしたら(かつてこのようなことは、いくらでもあった)、
 「ぼくは女好きだから、君が愛してくれるのはうれしいけれど、その愛にこたえられないよ」と言えばそれですんだことだ。
 それをネットで、実名をあげてLINEで「お前がゲイであることを隠しておくのはムリだ。ごめん」と投稿したというのだから最悪の行動だった。相手を思いやる気持ちをもってほしかった。
 
 2016年8月8日の毎日新聞朝刊「LGBT理解しあう職場を」の記事を読んで嬉しかった。
 「13人に1人といわれる性的少数者(LGBTなど)が働きやすい職場づくりに向け、企業が動き出している。任意団体による企業の取り組みを評価する指標も完成した。従来は外資系企業が先行していたが、国内企業でも関心が高まっている。」
 
 『薔薇族』が刊行されていた時代には、会社に勤めているゲイの男性が、ゲイであることが社内でバレていられなくなり、退職してしまったという話はよくあった。
 
 「「パートナーのいない女性に『彼氏いる?』と聞くことをどう思いますか?」
 先月27日、産業機器販売の「サトーホールディングス」で、管理部門で働く約30人を対象に研修が行われた。
 講師は企業研修などを手掛けるレティビーの外山雄大さん。LGBTへの配慮を欠いた企業に対する各国で起きた不買運動や、炎上事件、LGBTをめぐる国内の動きや、課題を説明したあと、参加者たちにこう問いかけた。
 「異性愛が当たり前とされる日常生活の中で、何気ない会話に生きにくさを感じることもあります」と、外山さん。
 
 「小さなウソを重ねることで、少しずつ精神が擦り減っていく。もし彼女がレズビアンなら『パートナーはいる?』と聞き方を変えるだけで自然と答えやすくなります」。自身もゲイである外山さんの経験を交えた言葉に、参加者たちは熱心に耳を傾けた。
 
 「ホモ」「オカマ」「レズ」などのわかりやすい差別用語以外にも、無意識の偏見にもとづく言動で当事者が傷つくケースは少なくない。
 LGBT法連合会の調査では「同性パートナーの存在を隠していたところ『家族のいない人は楽でいい』など、当事者ならではの困難があることも明らかになった。
 第一生命は今年4月から職員向けにLGBTへの理解を深める研修を行ったり、個別相談に応じる体制を整備したりした。
 
 社内に当事者がいるかどうかわからなかったが、後から「勇気づけられた」と当事者であることを打ち明けてくれた社員がいたといい、柏崎美樹・ダイバーシティ&インクルージョン推進室長は「企業としての姿勢を示すことに意義がある」と強調する。」
 
 これは中村かさね記者の記事だ。
 まだまだLGBTを理解する企業は、ほんの一部だろうが、若い活動家が頑張って多くの企業の理解を深め、働きやすい職場にしてもらいたいものだ。
 「同性愛は気持ち悪い」この言葉は理屈でなく生理的なものなので、変えていくのは難しい。

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2016年8月13日 (土)

「同性愛 暴露され転落死」とは!

 2016年8月6日(土)の東京新聞朝刊「同性愛  暴露され転落死」の記事は、原爆が広島に投下され、多くの人が亡くなった71年めの記念日だった。転落死したのは、一橋大法科大学院の男子学生(25)。亡くなったのはひとりだが、ぼくにとってはショックだった。
 
 記事によると、「昨年8月、一橋大法科大学院の大学生=当時(25)=が校舎から転落死したのは、同性愛であることを同級生に暴露され、大学が適切な対応を取らなかったためだとして、愛知県在住の両親が大学と同級生に計300万円の損害賠償を求めて、提訴していたことが分かった。
 5日に東京地裁で第1回口頭弁論が開かれ、一橋大が「対応に落ち度はなかった」と主張。同級生側は暴露を認めたが、不当行為には当たらないとした。
 
 訴状によると、学生は昨年4月、この同級生に恋愛感情を告白。同級生は同年6月、無料通信アプリLINEの、同級生約10人が参加するグループに「お前がゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめん」と、実名をあげて投稿。その後、学生は精神状態が不安定になった。」
 
 両親の代理人を務める弁護士さんは、自らゲイであることを公表している南和行弁護士。記者会見し、「大学は同級生の暴露行為に何の措置もせず、学生本人が同性愛者であることを問題視した対応しかしなかったと、指摘した。」
 弁護士さんが自らゲイであることを公表しているとは、世の中、変わったものだ。ぼくが『薔薇族』を出版していた時代に、ゲイの弁護士さんがいたとしても公表した人はいなかった。弁護士という職業に、芸だということは、よくは思われなかったろうから。
 
 一橋大学、それも法科大学院の学生だ。恋愛感情を告白されたとき、その学生がノンケ(女好きの男)であったとしても、ネットで同性愛者であることを暴露してしまうなんて許せない。
 こんな人間が将来、検事や弁護士になるのかと思うと情けなくなってくる。人間として相手を思いやる気持ちがあってもいいのではないか。
 
 ぼくはネットも、携帯電話も、持っていない。LINEなんて、なんのことか分からないが、ひとりの学生を死に追いやるとは。便利なものをもっといいことに使ってもらいたいものだ。
 亡くなった学生、両親にゲイだということをカミングアウトしていたのだろうか。愛知県に住む両親と、東京に住む学生と、離れているから両親には、ゲイであることを話していないのかもしれない。
 
 この学生、悩みを話せる教師とか、仲間はいなかったのだろうか。「死」を考える前にネットを使って、相談することもできたのでは。
 それにしても、人ひとりの生命に、300万という金額は少なすぎるが、両親は金額の多い、少ないよりも、学校側と、友人に反省してもらいたいと思っているのだろう。
 
 ゲイであることを両親、友人などに公表してしまう。ぼくは以前から思っていることだが、ことさら公表する必要はないと考えている。
 ゲイであることは、異常でも変態でもないし、人間が人間を愛するのだから、当たり前のことだ。
 女好きの男が、いちいち俺は女が好きだと公表したりはしない。当たり前のことだからそんな必要はない。
 ゲイであることも、隠すのではなく、男が好きな男だということを公表する必要はない。人数が少ないだけのことだ。

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2016年8月10日 (水)

次回「文ちゃんと語る会」8月27日開催です

日時・8月27日(土) 11時~13時
場所・下北沢南口から4分、カフエ「織部」
住所・〒155−0031 世田谷区北沢2—2—3
電話・03—5432—9068
会費・コーヒー代のみ
 
★お話を聞きに来るだけでも大歓迎です。どうぞお気軽にご参加下さい。

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2016年8月 8日 (月)

暗い考えを変えた『薔薇族』!

 1989年の『薔薇族』9月号が、創刊200号・18周年の記念号で、美輪明宏さんが「自殺した友よ、いま一緒に乾杯しよう」という、素晴らしい、お祝いの言葉を寄稿してくれた。
 読者からも「『薔薇族』との自分史・18年の歩みと私」と題して、何人もの人たちから投稿が寄せられた。
 
 「暗い考えを変えた1冊」と題して、「西日の当たる下宿・岡山・19歳」から送られてきた投稿は、『薔薇族』を出し続けてきてよかったという思いにさせられた。
 
 「僕が普通の人と違うなと、考えだしたのは中学生になって間もなくのころだったと思います。女の子と話していても、あまりハッピーになれなかったのです。
 その当時、まだ『薔薇族』を知らなかったころは、真剣に悩みました。「どうして僕は普通の男と違うのだろう?」
 このことばかり頭の中に渦巻いていました。
 
 しかし、いくら考えたって答えなんて、そう簡単に出てくるものではありません。体の中から抑えきれないほど欲情したこともありました。(中略)
 ひまつぶしを兼ねて古本屋に行きました。コミックをバラバラと読んだあと、名前だけは聞いたことのある『薔薇族』を見つけました。
 
 ふるえる手でそれをとり、ページをめくると、なんと大学生ぐらいの男性の裸の写真。アソコは点々で隠しているけど、少しは見える。大変興奮しました。これが僕と『薔薇族』との最初の出会いでした。
 
 その古本屋で本を買い、家に持って帰って隠れるように読みました。その中でとくに印象に残っているのは、巻頭の写真と、男街ガイド、それに「伊藤文学のひとりごと」でした。その中に「男が男を好きになることは別におかしくはない」というような意味のことが書いてあったのです。これを見たとき、「ああ、ここに僕のエデンの園がある」と思いました。この本の世界の中だったら、僕も思いきって羽を伸ばせると。
 
 そして僕の考えは変わりました。ホモは異常ではないこと。だから他人に対してもけっして引け目を感じなくてもいいということです。この時、僕は中3でしたが、自分が精神的に一回り大きくなったように思えました。
 
 翌年、僕は目指していた高校に合格し、学校生活を楽しみにして教室に入ったのですが、ひとつ困ったことが起きました。
 それはというと、なんと、この自分のいるクラスには男らしいやつ、美男子がワンサカいたということです。
 みんな個性豊かで、スリムでハンサム、美男子ばかりでした。もう目移りして、どうしようもありませんでした。(中略)
 
 卒業はしたけれど、自分の目標の大学にふられ、1年間、浪人することになりました。予備校に入学してパッと目を引いたのが、ふたりいました。
 初めのうちはふたりとも話しづらかったけど、食物の話からなんとか話ができるようになりました。
 ついに前者の彼を家に連れて来ました。どうも彼はお仲間みたいな気が、前々からしていたので、確かめるつもりでキスをしようとすると、なんと抵抗しないじゃありませんか。そこで僕は彼のジーパンのファスナーを下ろし、ベルトを外すと、彼は白のブリーフを穿いていましたが、勃っているのが、はっきりわかりました。はじめ、パンツの上からフェラチをして、次にパンツをとって……。
 
 この時、僕も童貞をなくしたんだなあと思いました。現在、僕は岡山の大学に在籍しています。」
 
 「『薔薇族』に出会って良かった」。嬉しい言葉だった。

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2016年8月 6日 (土)

人間とっさのときに本性が!

 「オネエがバレそうな時、こうゴマかした」
 この質問に答える読者からの投稿が面白い。こうした質問を考えるのは藤田竜君だ。
 
 「物を落としかけて「イヤン!」と言ってしまった。そのときとっさに♪イヤンバカン♪(笑点の)木久蔵の歌を歌ってごまかした。(徳島・峰雄三・37歳)」
 
 人間、とっさのとき本性が出てしまうものだ。18年も前の『薔薇族』に載ったものだが日本テレビの笑点、長いこと人気を保っているのだから、すごい番組だ。
 
 「会社で後輩のジャニ系の奴のことばかり見ていたら、同僚から「年下好きのホモなんか?」と言われ、一瞬ドキッとしたけど「何でやねん!? アイツの仕事ぶりをチェックしとったん!」とフォロー。
 「なんか怪しいな!」と言われつつ何とか切り抜けた。周りに他の人間がいなくてよかったよかったと思いつつ「まだ疑われているかも……」と不安だった。でも、そいつ半年前に会社辞めたけど。(大阪・ノンケ好きの23歳)」
 
 「同じ職場の先輩に「彼氏いるの?」と聞かれ、その翌週には別の先輩に「お前ホモだろ?」と言われた。
 「違いますよ」とか言ってごまかしたけどオーラがにじみ出ているのかしら……。(千葉・HARU・23歳)」
 
 なんとなく分かってしまうのかな。今なら開き直れるけど、まだ、この時代だと、ごまかすしかなかったのだろう。
 
 「美川憲一さんとか、萩本欽一さんとかが、テレビでよくオネエ言葉でしゃべったりしているので、少々オネエが出ても何も言われません。「あら〜〜」とか、「もう、やだあ!」とか、良い世の中になってきた。(匿名希望)」
 
 良い世の中になってきた。と言いながらも匿名希望なんて書くんだから、まだまだっていう感じかな。
 
 「会社の寄席で盛り上がってハイテンションのとき、オネエがズバッと出て、一瞬、場がシーンとなって、あわてふためいたことがある。
 「美川憲一さんのマネをしただけ」と言ってトイレへ立った俺、でなくアタシ。もうイヤネェ。バレたかしら。(愛知・スーパーエンゼル・40歳)」
 
 美川憲一さんのおかげでまたも救われましたね。美川さんに感謝。
 
 「職場では無口で通っているので、たぶんヘ・イ・キ。でも飲み会とかになると、バリバリのオネエ言葉でしゃべってるらしいのね。
 次の日、何か言われても「おぼえてない」の一点張りで黙殺(ホントにおぼえてないんだもの)。これってもうバレバレ?(埼玉・アントワネット)」
 
 「あえてオネエをぶっこいて、最後に少しだけ男っぽさを見せる。そうすると、ああ、この人はオネエのふりをしているんだな、と思ってくれる。
 ポイントはサラッと男ぶること。あまり露骨だと、オフテのババアと思われます。
 ちなみに最近の僕はおもいっきり素なので、ムリに男ぶって失敗するようなことはありません。年をとるってコワイ!(東京・東洋経済・30歳)」
 
 「ごまかすなんて、そんなことはしないわ。なんせひと目でオカマってわかる私だから。ゴマかしたって見え見えでしょう? だから逆に堂々と、他人に男と言われ、指をさされようとも、オカマよッ!って開き直って普通に生きてるわ。だからアタシって人でなしって言われるのね。(徳島・人でなしオカマ・38歳)」
 
 「オネエ」って不思議な言葉だ。侮蔑的な言葉なのか。それとも自虐的な言葉とも。

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2016年8月 1日 (月)

いつの間にか「古老」と呼ばれるように!

 「消えゆく街の歴史を残そう」という会が、主催・北沢川文化遺産保存の会、共催・グリーライン下北沢、後援・世田谷区教育委員会、協力・世田谷ワイズメンズクラブで開かれる。
 2016年8月6日(土)、北沢タウンホール12階、スカイホール。会費500円。
 第1部でぼくがおしゃべりをする。
 
 「シモキタの昔を語る(古老)」
 午前10〜12時
 司会・山本裕
 
 「下北沢の戦前を語る」三十尾生彦(93歳)
 「下北沢の戦中を語る」伊藤文学(84歳)
 
 年を取れば肩が「ころう」、「古老」と言われても仕方がないが、ぼくはまだ、青年だと思っているし、若い20代の女性とも恋をしている。
 ブログを見てくれている人、下北沢の南口を出て、「タウンホール」と言えば、すぐわかるから、ぜひ、ご参加下さい。
 
 下北沢から三軒茶屋へ通じる茶沢通り。ぼくが駒沢大学に入学したのが、昭和23年敗戦から3年後のことだから、食物はないしひどい時代だった。
 道路はじゃり道で、バスなんて走っていない。我が家から三軒茶屋まで歩いて30分はかかった。
 三軒茶屋から玉電に乗って駒沢へ。4年間も通ったのだから、思い出はいっぱいある。
 下北沢の昔の話を書いてみよう。
 
 「閉じたままの扉」
 「下北沢の南口。3、4軒しか店がなかったころ、いつも扉が閉じたままの『ロリガン』というバアがあった。
 大人しか入れない店だということは、子供心にわかっていたが、その中にどんな世界があるのかと、なぞめいた扉の中を想像していた。
 昔の子供は、夜は外に出ないから、見ているのは昼間の閉じたままの扉。
 大人になったら入ってみたい。神秘の扉を開いてみたい。そう、いつも、いつも思い続けて眺めていただけの扉。
 それがいつの間にか大人になってしまったが、その時にはもう『ロリガン』は消えていた。
 あの扉の向こうにどんな世界があったのだろう。記憶の底に、閉じたままの扉だけが、今も頭の片隅に残っている。」
 
 我が家の前の通りは、茶沢通りへの通り道で、子どもたちの遊び場だった。
 
 「最初で最後の出来事」
 「我が家の前の道も、じゃり道。
 その頃、荷物を運ぶのは馬だった。重い荷物を運んだ車を馬が引く。汗に光った馬の背中。手綱をひいて、たくましい男が歩く。
 我が家の前で、荷物をひく馬が、くずれるように倒れてしまった。
 手綱をひいていた男が、馬のおしりに太い腕を突っ込んで、糞をつまみだしたではないか。出てくるわ、出てくるわ、山のように糞をつかみ出した。
 それを見ていた子どもたちはびっくり。
 まもなく馬は立ち上がって歩き出し、どの子もよかった、よかったと顔を見合わせてにっこり。
 最初で最後の70年以上も前の話だけど、へんなことだけは覚えているものだ。」
 
 我が家の前は畠だった。馬の糞って、野菜の肥やしになる。おそらくその大量の馬の糞も、肥やしに大人たちが使ったに違いない。
 茶沢通りに面して、のんき屋という和菓子屋があった。その家にすみちゃんという元気な女の子がいた。
 ぼくはその子のことが好きだった。これがぼくの初恋だったかも知れない。どこかへ引っ越してしまったが、すみちゃんどうしているかな。走り回っているすみちゃんの姿が今でも脳裏に残っている。

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