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2016年8月20日 (土)

戦争は人間を狂気にさせる!

 昭和20年、8月15日の終戦記念日がやってくる。その頃、ぼくは世田谷学園の中学1年生だった。
 前の年の19年に世田谷学園に入学したのだが、その頃は公立の新制中学はなかったので、私立の中学を受験するしかなかった。
 代沢小学校の6年のとき、6年制だけは学校に残ったが(縁故のある人は、すでにみんな東京を離れていた)5年生以下は、長野県に集団疎開していた。小さい子が親と離れて行くのだから、なんともあわれだった。
 
 サイパンやグアムなどの島々は、すべて米軍に占領されていて、それらの島々の基地から、連日のように本全土の都市にB29爆撃機が、飛来して爆弾や焼夷弾を落として、焼野原にしていた。
 終戦の年の3ヶ月ほど前の5月25日、世田谷方面にも爆弾や焼夷弾を初めて、落としていった。それまでは下町の方がやられていて、3月10日、たった1回の爆撃に、B29、324機が、約2000トンの爆弾、焼夷弾を搭載してきたというのだから驚きだ。
 ふつう1機のB29は、5トンしか積めないのだが、その頃は日本の戦闘機も、全滅しているし、高射砲も撃ってこないので、対空火器や防御用火器をとりはずして、6トンもの爆弾、焼夷弾を積んできた。
 
 その時の空爆で10万人もの人が亡くなった。324機のB29が、整然と編隊を組んで、高度1万メートルの空をうずめつくすのだからもう、そんな光景は2度と見られないだろう。
 兵隊ではない、女、子供たちまで、殺されてしまったのだから、たまったものではない。それでも戦争をやめようとしない日本の指導者たちの頭がおかしかった。
 広島、長崎に原爆が落とされ、多くの人が亡くなったというのに、それでも戦争を続けようとしたのだから、それも竹やりで。
 
 2016年8月11日の毎日新聞朝刊「証言でつづる戦争」で、6回目の「空襲」の記事は、当時に体験していたぼくにはつらい記事だった。
 「空襲が始まったころは、日本の戦闘機もB29におそいかかったが、B29の大きさに比べたら、大人に幼児がというくらいのものだった。B29の上に日本の戦闘機がのってしまったこともあった。
 「こんちきしょう、こんちきしょう」
 一人の高齢の女性が木の杖で、米兵の遺体を叩きつけていた。誰もが鬼畜米英と教えられていた時代だし、もしかしたら、おばあさんは戦争で子供を亡くしたのかもしれない。
 数年前、気になって調べてみると、地元の寺の住職が遺体を手厚く葬ったといい、現場には慰霊碑も建っていた。ほっとした。
 捕虜虐待など埋もれた歴史を掘り起こす民間の「POW研究会」の調べでは、B29だけでも計142機が日本に墜落した。容赦無い無差別爆撃への怒りの矛先は、墜落機の米兵に向かった。名古屋上空で日本の戦闘機に体当りされ、パラシュートで脱出した米兵は――。
 落下するとき、150人から200人の暴徒が迫ってくるのがわかった。殺されると思った。
 民間人が竹ざおで私の頭の横をなぐりつけ、兵士が着剣した銃で突進する。横にとんで助かったが、飛行服が破れた。銃の台尻や竹ざおでなぐられ、群衆に石を投げつけられた。」
 
 ぼくもB29gあ、高射砲で打たれたのか、白い煙をはいて飛んでいるのを見たことがあった。
 戦争はどっちがいいか、悪いかではない。人間を狂気にさせる。2度と戦争はすべきではない。

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