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2016年9月

2016年9月26日 (月)

『三島SM谷崎』すごい本だ!

 どえらいことになってきた。「彩流社」の編集部新入社員の林田こずえさん、明治大学の学生時代に「文ちゃんと語る会」に参加してくれて知り合った女性だ。
 彩流社に入社して、すでに何冊も彼女が手掛けた本が出版され、文芸評論家の鈴村和成さんの著書『三島SM谷崎』が、いま注目を浴びている。

 「本書は『村上春樹と猫の話』『村上春樹は電気猫の夢を見るか?』に続く、三冊目の彩流社から出す書き下ろしの長編評論で、同社の高梨治氏のお申し出に始まり、実際の編集の労を取られたのは、若い優秀な編集者、林田こずえ氏です。深甚なる感謝を申し述べます。」と、あとがきに鈴村和成さんが書かれている。

 大学を卒業したばかりの編集者に、著者が謝辞を述べるということは、林田さんはまれにみる才女と言っていいだろう。彩流社はいい社員を入社させたものだ。

 林田こずえさんが企画して、10月8日(土)19〜21時(18時半開場)下北沢南口のブックカフエ「B&B」で、「鈴村和成×伊藤文学 三島SM谷崎VS薔薇族」を開催する。
 「三島由紀夫はマゾだった? 谷崎作品に見えるサディズムとは? 文豪二人の従来のイメージを覆す、前代未聞の超濃厚SM対談。
 作品、評伝の分析によって三島と谷崎を比較した鈴村和成さんと、LGBTやSMについて文化的に触れてきた伊藤文学さん。『三島SM谷崎』を基点に繰り広げられる、予測不能なトークをお楽しみに!」

 鈴村和成先生は、東京大学仏文科卒、同修士課程修了、横浜市立大学教授を経て、同名誉教授。文芸評論家として活躍している方だ。
 この本を書かれるにあたって、参考に読まれた本がずらりと並んでいる。
 ぼくが読んだ本は、福島次郎さんの『三島由紀夫 剣と寒紅』だけだが、なにが書いてあったのか忘れてしまっている。
 『三島由紀夫全集』だけでも42巻、『谷崎潤一郎全集』は30巻。
 学者ってすごい。これらを全部読まれて、結論を出されるのだから、一冊の本にまとめあげるのには、どれだけの歳月を費やしていることか。

 三島由紀夫さんの『仮面の告白』だけは、10年前にひざに人工ひざを入れる手術のために、東京医大に入院した折に、やっと読んだが、すでに内容は忘れてしまっている。
 澁澤龍彦さんの訳『オー嬢の物語』は、鈴木さんの本の中にも登場しているが、フランスの地下文学の最高傑作といわれた本だ。
 ぼくの先妻の舞踊家、伊藤ミカが独立して「伊藤ミカ ビザールバレエグループ」を結成し、旗揚げ公演に選んだのが『オー嬢の物語』だ。

 1960年代、新宿に若い芸術家が競い合って熱気に満ち溢れていた時代だ。
 まったく無名の舞踊家を支えてくれたのは、舞台美術に金子國義さん、ふくろうの面に人形作家の四谷シモンさん、相手役に前衛舞踊家の石井満隆さん、ポスター・チラシ・チケットデザインに宇野亜喜良さんという、豪華なメンバーだ。
 『オー嬢の物語』を何度も読まなければと、読み始めたが、途中で投げ出してしまった。オージョウ(往生)するとはこのことだ。それでも『オー嬢の物語』は、再演されるほど話題になった。

 さて、鈴村和成さんとの対談、勝負にならない。鈴村さんのご意見を聞くだけだ。
 ぼくがどんな話をするか、自分でもわからない。林田さんが作ったチラシを他人事のように見ている。

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2016年9月24日 (土)

『薔薇族』と読者は一心同体だった!

 『薔薇族』が警視庁の風紀係から発禁処分になったことがあった。
 1975年の6月号に「盛況だった金沢旅行会」という記事が載っていた。今から41年も前のことだから、まだ大きなゲイホテルなどがなかったころのことだ。
 
 ぼくが考えて、読者が参加して仲間を見つけることができるようにと、バスによる旅行会を開いたことが何度もあった。
 我が家のご近所の人で、熱海に小さなホテルを持っている人がいたので、お願いして一晩、借りきったこともある。
 
 世田谷学園の同期生の高橋民夫(亡くなられた)君が支配人をしていた、長野県の女神湖ホテルを借りきってのバス旅行、新宿に集合して2台のバスで女神湖へ。バスの運転手が途中で景色のいいところへ寄りましょうかと言ってくれたが、全員が少しでも早くホテルへというので、女神湖の湖畔に立つホテルへ直行することにした。
 金沢市の郊外の薬師ヶ丘温泉での旅行会だ。金沢はバスでは遠いし、時間もかかるので、現地集合ということにした。
 地元のゲイバア「貴美」のマスターや、現地の読者が一切の準備をしてくれていた。
 
 金沢駅前からタクシーで、薬師ヶ丘温泉へと言ったら、運転手が「田んぼの中の一軒家ですよ。何か秘密の会をやるんでしたら、もってこいですがね。何か会があるんですか」と言われてしまった。
 ゲイの人が150人も集まるなんていうことは金沢では初めてのことだろう。なんと発禁処分のあとだけに、地元の警察に情報が伝わっていたのか、刑事がふたりで様子を見に来たようだ。
 あとで車のナンバーをひかえておいて、参加者を警察に呼び出したとか。別に悪いことをしたわけでないから、おとがめはなかったようだ。
 
 ぼくは女房と、小さかった息子も連れて行った。お風呂が茶色の泥んこで、ぬるぬるしていたのは覚えている。
 大部分の参加者は、旅館のバスに乗って、6時前に到着。開会予定の7時には、大広間にズラリと勢揃いした。
 今回は北は札幌から、南は鹿児島まで。まさに全国から集ったのには驚いた。
 宴会はぼくの挨拶のあと、間宮浩さんの音頭で乾杯し、賑やかに始まった。ゲイの人は歌もうまい、踊りもうまい、地元の人のけんらんたるショウが、舞台いっぱいに繰り広げられた。
 この日に備えて、2ヶ月前から練習をしていたそうで、男舞あり、女舞あり、鏡獅子から洋舞までとびだし、参加者一同おしみない拍手喝采のみごとなものばかりだった。
 
 初めて参加する人も多かったが、旅行会が催されるたんびに参加する常連も多い。それだけ旅行会を楽しみにしていたのだろう。
 いろんな人の隠し芸も飛び出し、宴会も乱れることなく終え、ある人はダンスホールに、ある人は温泉にと。ここのダンスホールは北陸中からダンスの好きな人が集まってくるくらい有名なホールだそうだ。
 温泉は神経痛から、胃腸病、打ち身にまで効果があり、泥湯で濁った茶色で底が見えない。温泉につかりながら、なにをしても分からない温泉だ。
 
 かなり遊びずれした人でも、「こんなに温かい、新鮮な雰囲気は、どんな発展場やバアに行っても求められない」と好評だった。
 ぼくは女房と子供ずれ。ひとりだったら、泥湯の中で、だれかに……。
 こんなことをする雑誌ってそうあるものではない。『薔薇族』のスタッフと、読者はまさに一心同体だった。

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2016年9月19日 (月)

ひきこもり54万人の中から抜けだした!

 「ひきこもり54万人・依然高水準・長期・高齢化進む・15〜39歳調査」の2016/9/8毎日新聞朝刊の記事は、ショックだった。
 
 39歳までの調査で、それより上の高齢者の数を入れれば、100万人を越しているのかもしれない。
 「文ちゃんと語る会」、月の最後の土曜日午前11時から午後13まで、下北沢南口のカフエ「織部」で続けているが、毎回、初参加の人が来てくれる。
 悩みを抱えている人もいるに違いないが、5人、10人の出席者の中では話しづらいだろう。
 ちょっとぼくに耳打ちしてくれれば、2時間の会が終わったあとで、話を聞くことはできる。遠慮無く声をかけてほしいものだ。
 
 この記事を読んですぐに思い浮かんだのは、関西に住むY君という青年のことだ。2年ほど前の語る会に、それこそ清水の舞台から飛び降りるような思いで、ひきこもりの青年が参加してくれた。
 どのくらいの時間をかけて書いてくれているのか分からないが、寺山修司君の文字と同じように、ていねいに書かれている。
 すぐに読んで返事を書こうと思うが、ぼくのへたくそな文字では、とても返事を書けそうにない。
 ブログを見てくれているようなので、「君と知りあえて良かった!」のタイトルで、君の話を書いた。
 
 「「君と知りあえて良かった!」を拝見させて頂いたとき、涙が出そうになりました。
 こちらこそ私にとって伊藤様や竜様との出会いは非常に大きく、語る会のおかげで世界が広がりましたし、気がつけば2013年から、毎年1回、東京に行っているわけですから……。
 語る会の存在を知らなかった時代を含めれば、2012年からですか、語る会が存在しなければ、それ以降、1都3県に行きたい気持ちがどれだけあっても行くことが出来なかったと思います。
 
 本当に人生が変わりました。6月11日の記事で、伊藤様が占い師の方に「あなたは90歳を過ぎても元気に過ごせる!」と言われた話を読んだときも、私はとても嬉しかったです。
 私のようなタイプの場合は、これまでの人生で出会ったほとんどの方は、私に対して良い印象を持っていないと思います。
 さらに伊藤様は素敵な考え方や、どのようなタイプの方に対しても優しく語りかけてくださったり、他の方々のとコミュニケーションの場を様々の手法、手紙、語る会のような実際の集まりなどを設けていらっしゃいますが、そのような方はほとんどいらっしゃいませんから……。」
 
 Y君は、ひきこもり54万人の中から抜けだした勇気あるひとりだ。あせることはない。時間をかけて、少しずつ自分をならしてほしいものだ。
 今度送られてきた長い手紙には、いじめられた話などはない。過去のことは忘れて、一歩一歩、歩き出してほしい。
 
 毎日新聞、同じ日の朝刊に、ひきこもりよりもっと暗い記事が載っていた。「自殺未遂経験53万人。最近1年以内・日本財団が推計」の見出しでだ。
 
 「毎年2万人以上が自ら命を絶ち、自殺率が先進7カ国で最も高い「自殺大国日本」の実態を示す調査として注目されそうだ。
 理由は健康問題や家庭問題、経済生活問題が多く、2つ以上重なることがきっかけになっている。」
 
 ぼくも2つ以上、重なっているが、くよくよしないことだ。

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2016年9月17日 (土)

イベントのお知らせ

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上記の通り開催いたします。


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日時:10月8日(土曜) 19:00〜21:00(18:30開場)
場所:本屋B&B 世田谷区北沢2−12−4 第2マツヤビル 2F
入場料:1500円+1ドリンクオーダー
詳細は下記HPでご確認下さい
http://bookandbeer.com/event/20161008_mishimatanizaki/
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ぜひお気軽にお出かけを!

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ホモの人に見栄坊が多い?

 「まゆにつばをつけて」というタイトルで、『薔薇族』の投稿欄「人生薔薇模様」に『薔薇族』の投稿欄「人生薔薇模様」に「ジャポネ・コルネイユ」のペンネームで、恐ろしい内容の投稿を載せている。
 
 「酒飲みとホモは信用しないと、あるすぐれた作家が私に言ったことがある。すかさず生意気盛りの私は、その愛煙家を前にして「煙草のみも信用出来ない」と、やりかえした。
 バアナード・ショウの「禁煙はやさしい」という逆説的なせりふを思い浮かべたからだ。性の考察領域を広げた西洋人も言っている。「ホモには虚言癖が多い」と。すべて一面の真理である。
 
 ところで割腹した作家もうそつきであった。少なくも私個人にとってはそう思われる。黒いTシャツと白いズボンに白い靴という、初対面のいでたちからして、インチキくさかったが、こちらは正反対の白いシャツと黒いズボンに黒い靴という、さえない学生の姿をしていた。
 彼は本当のことをたくさん語ったが、当たり前ながら嘘もついた。ほめたり、けなしたり、よろこんだり、ぐちをこぼしたり、不平を言ったり、虚勢を張ったりするうちに、どうしても肝心のところで、どことなく信用がおけないぞと感じさせるものが、初めからあった。
 勘の働きというやつだ。後から思い当たるふしは、会ったのは5、6回にすぎないけれども約束を守らなかった。そして、そのために前後相矛盾することをいった点につきる。
 
 ホモセクシャルには見栄坊が多い。それに真実の姿を知られたくない、という警戒心が働く。
 「かわいいと言われます。」「××(タレント名)に似ていると言われます。」こんな下手な自己PRに嘘が萌芽している。」
 鏡は真実をうつし、時は公平に経過する。ほとんど無意識のうちに嘘をついているのではないかと思われる。言い方もうまい。ただ言葉の結果や、影響を考えずに、自分のご都合主義でしゃべられるのは閉口だ。
 嘘をつかなければならないときもあるだろうが、本音とたてまえは、人によって場所によって使い分けてほしい。
 いつもごまかしていては、いつまでたっても真のホモだちができるはずがない。くよくよすることなんかあるものか。卑屈にならず他人に迷惑をかけずに、己の性癖に忠実であればよい。嘘の演技に疲れ果てて、みずからの墓穴を掘ることにもなりかねまい。
 
 『一粒の麦もし死なずば』を書いた作家と切腹した作家とでは、文学的な根本姿勢においてまったく異なるものがあるようだ。
 最初会った時、彼がサングラスをかけていたか、手に持っていたかなんぞは、もう記憶がはっきりしない。ただ、次のように言ったのを、本当かどうかあやしんでみることはある。ちなみに私は彼の作品をほとんど読んでいない。読みたいと食指も動かない。
 「トオマス・マンの『ファウスト博士』からルディという名前を借りて、ニックネームに使ってみたよ。どうだったかな。」」
 
 読者からの投稿にタイトルはつけてこない。「まゆにつばをつけて」は、ぼくがつけたものだろう。
 三島由紀夫さんは、『薔薇族』創刊の前の年に亡くなられている。美輪明宏さんのリサイタルの会場で、ちらっとお姿を見ただけだ。
 この投稿者、5、6回、三島さんと出会って話をしているとあるが、具体的な話は出てこない。三島さん、好みじゃない学生と何度も会うわけがない。
 見栄坊の人が、ホモの人に多い。虚言癖の人も。一面にそういうひとがいるかもしれないが、それはどうだろうか。
 多磨霊園に平岡家の立派なお墓がある。

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2016年9月12日 (月)

素晴らしい人間なら性の区別はない!

 「伊藤文学様へ。過日、「伊藤文学の談話室・祭」(今はない)にてお会いしたときに、お話した両性具有者の彼女の手紙をあずかったのでお送りします。
 
 彼女と僕は一風変わった友情関係にあり、いま一番大事な友達のひとりです。手紙の内容、また外面は非常にユニークで、強い女印象を与えますが、本当の彼女は繊細で傷つきやすい、やさしい女の子です。そんな彼女と知り合い、友達になれたのは幸運でした。
 
 手紙では両刀という立場を誇りに感じ、積極的に男、女にかかわらず、色んな人に接しているようですが、実際の彼女は、とても男にもてるため、というか、女と出会う機会がないため、女とは付き合っていないようです。
 時おりやさしい年上の女の人と付き合いたいと言っていますが……。そういう機会がないため、また少なからず女と寝ることに対して、表面では割りきっているように見えますが、心のなかでは疑問を感じ、悩みもあるようです。」
 
 これは今から39年も前の『薔薇族』の1977年7月号「百合族の部屋」に載せた投稿だ。
 この女性はレズビアンの方だと思うが、ネットのない時代、好みの女性を見つけることは難しかったのでは。男同士であればゲイバア、ゲイホテル、トイレや映画館のハッテン場があったから、地方の人でも相手を見つけることはできたが、女性同士だと好みの女性を見つけることは難しかっただろう。
 ネットの時代とはいえ、男同士の場合は、行動さえ起こせば、知り合うチャンスはいくらでもあるだろうが、女性同士の場合はチャンスは少ないのでは。
 
 横浜に住むペルシャ猫さんの投稿は、「私は女ながらにも、男と男が互いを尊重し、愛しあう気持ちは、子孫繁栄の精神を除いては、人間として生涯を通じて大変素晴らしいことだと思っている。
 もしも自分が男として生まれたのなら、男性の永遠性のある愛情に身を投じたことだろうと、今もなおかつ強く思っている。
 とにかく男として生まれたのなら、男に求めなくては損だとも思う。博識あり、力もある男は、やはり同性である男の最高峰(自分にとって)を求めるのは当然ではないだろうか。
 
 私の一番身近な男友達が偶然にも同性愛者である。彼と私は不思議ながらも、完全な友情を保守してきている。互いの性に関する苦悩を誰よりも理解しあえるだけでなく、素直に人間同士という意識がおのずから心のなかで働くからだ。
 私は両性具有者というより両刀である。そして私は、それを恥じてはいない。むしろ人間として生まれたからには、女として生まれおちたからには、最高に幸運な立場にあると思う。男、女に対して二通りずつのつきあい方ができるからだ。(中略)
 
 私は20歳になるが、それら性の困難さはけっこう体験したり、思考してきたように思える。それだけ自分を尊重し、大切にしているのだと思う。(中略)
 
 愛せる相手、とことん命がけで愛せる相手が一生に1人でもいるのなら、それは自分にとって宝だ。
 女として生まれて幸か不幸か。私は中間点の立場からその信念を胸に抱き続けてゆく。素晴らしい人間、きっとそれには性の区別などありうるはずがない!」
 
 根本的にはバイセクシャルってないと思うけど、性に対する考え方が変わってきている。性に快感を求めるだけなら、男でも、女でもいい、何も我慢して男と女が長いこと住むこともないのかも知れない。

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2016年9月10日 (土)

吃音を武器にして闘った祖父!

 吃りという言葉は使ってはいけない。「吃音」というようだ。
 大正時代に吉原などから、苦界にくるしむお女郎さんを救い出す仕事をしていた、ぼくの祖父、救世軍の伊藤富士雄は、吃音者だったようだ。
 
 日本に吃音者がどのくらいいるのか知らないが、ぼくが84年生きてきて、出会った人の中に吃音者はいなかったから、その数はそう多くはないのでは。
 新聞の報道によると、吃音者の半数以上が差別されたり、いじめられたりしているようだ。
 
 ぼくの一族の中で、祖父以外に吃音者はいないから、遺伝ではないようだ。こんなときにネットで調べられないのはつらい話だ。
 
 沖野岩三郎さんが、祖父から聞き出して昭和5年に中央公論社から出版した『娼妓解放哀話』によると、「伊藤富士雄氏は、信州松代の真田藩士、伊藤録の二男で測量機製造の熟練工だったが、若いころなんとかして社会のためにつくしたいのだと思っている矢先、片山潜氏の「労働世界」かなにかを読んで、同氏と一緒に社会事業でもやろうかと考えたことがあったようだが、そっちへは行かないで、救世軍にとびこんでしまった。
 「あの男は何かやるよ!」片山氏は始終言っていたそうだが、一時、救世軍をとびだしたが、明治43年に15歳の長女を亡くしたので、再び救世軍士官となり、婦人救済係として、大正12年6月2日、下谷救世軍病院で亡くなるまで、11年3ヶ月間、専心娼妓自由廃業のために努力して、987人の娼妓に自由を與えたのである。」
 
 祖父、伊藤富士雄が、吃音者であったということ、生まれつきであったのかは分からない。どの程度どもっていたのかは知るよしもないが、救世軍に救いを求めてきた、お女郎さんを救うべく、廓の楼主に話し合いに行く。お女郎さんの親にお金を払っているのだから、救い出されてしまったら、楼主は損をしてしまう。
 話はこじれて、喧嘩腰になりかねない。そんなときに祖父は労働運動をやっていたので、経営者と渡り合いをした経験が役に立ったようだ。
 それとどもりが役に立った。話の途中でどもったりすると、喧嘩腰だった楼主が笑い出したりして、そのあと話がうまくいったようだ。
 どもることで緊張がほぐれる役になった。
 
 ぼくの親父は川柳家で、多くの作品を残したが、祖父も川柳というより狂歌を残している。
 楼主が廃業した女性の親のところに差し押さえの執達吏をさしむけたが、何も差し押さえする物品がなかった。
 
  差押え無念ばらしの玉手箱あけてくやしきあばら屋の中
 
 自由廃業のすすめを読んで、廃業した女性に。
 
  なさけあるすすめを読んでかごの鳥今日より自由の空にさえずる
 
 娘の廃業を望む親心を歌った作品。
 
  悪銭の身につくはずはけしてなし娘の嘆き聞くにつけても

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2016年9月 7日 (水)

次回「文ちゃんと語る会」9月24日開催です

日時・9月24日(土) 11時~13時
場所・下北沢南口から4分、カフエ「織部」
住所・〒155−0031 世田谷区北沢2—2—3
電話・03—5432—9068
会費・コーヒー代のみ
 
★お話を聞きに来るだけでも大歓迎です。どうぞお気軽にご参加下さい。

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2016年9月 5日 (月)

父にもこんな気持があったのか?

 9月12日から4、5日、新潟県弥彦村の別荘に息子が運転する車でしばらくぶりに行ってきた。ダンボールに入れたままの荷物の片付けに、ぼくは行ったようなものだったが。
 
 山川純一くんの劇画、「夏色転校生」(1983年10月号)16頁分を探し当てた。ひと月ぐらい滞在して、片付ければまだ探し出せるかもしれないが、ちょっと無理な話だ。
 ぼくの父、祷一(平成3年9月8日、86歳で没)が、祖父、富士雄(大正12年6月2日、53歳で没。関東大震災の数カ月前)への「亡き父に捧ぐ」という一文も見つけ出した。
 
 祖父の富士雄は、息子の祷一に仕事の出張先からはがきを送り、
 「きゅうりの安いのには驚いたが、持ち帰るには重くてだめだ」
 と書いている。
 ぼくの親父は旅行先から、ぼくに手紙などよこしたことはない。母親が肺炎で入院していたときも、一度も病院に行かなかったし、妹が心臓病で長いこと入院生活を送っていたが、一度も病院には行かなかった。
 そんな親父が、祖父が53歳で亡くなった2ヶ月後に書かれた「亡父に捧ぐ」という文章は別人かと思うぐらい、父親に対しての悲しみを書いている。
 
 「父上、あなたと永遠のお別れをして、はや2ヶ月が過ぎ去ってしまいました。くるべき運命とは知りながら、急速に現実になったことゆえ、私はまだあなたのお別れがうたがわしくてなりません。
 最後にあなたにお目にかなったのは、下谷の病院の一室でした。かなり悪性で、(葉を抜いたところへ貝を食べたので、ばいきんが入ったと祖母が語っていた)それが原因で亡くなった。
 あなたの写真と、哀悼の記事が、2、3の新聞紙上に出ました。
 あなたの大好きな小さい弟(和平、太平洋戦争中、ニューギニアで30歳で戦死)は、「お父さんの写真だ」と言って、私や母の前にその新聞をひろげました。私たちは新しい涙をその上に落とさねばならなかったのです。
 
 父上、あなたは私の卒業後の就職口について、いろいろとお心にかけてくださいました。
 A会社の課長さんを訪ねたり、M会社の知人にお頼みくださったりして、八方、私のためにつくしてくださったのです。
 私はあなたの死後、その事を知って、心からありがたみを感ぜずにはおられませんでした。
 あなたの手によって、みじめな境遇に悩む多くの女性を解放されました。ある人はあなたのことを「人道の戦士」だと言われました。
 あなたは、社会のためにつくしたのです。生命をかけてまで戦ったのです。
 
 あなたは可憐な、悲しみのどん底をさまよう女性(女郎)たちのために、何物をも惜しまなかったのでしょう。(中略)
 父上、私が声をからしてあなたをお呼びしても、もう永久にあなたの声を聞くことはできないのです。
 想像だにも及ばぬ奇蹟が、何千年の昔に行われたとするならば、今の世の中に行われないはずがない。私はあなたの御名を呼び続けます。私は奇蹟を信じていますから……。」
 
 ぼくの親父にこんな気持があったなんて考えられない。
 月に一度は、救世軍の小隊の女性が訪ねてお祈りにくるのだが、親父は救世軍を嫌がって顔を出さなかった。
 86歳で病院で亡くなったが、ぼくは悲しみもなにもなかった。ああ、死んだかと思っただけだ。
 女に狂って、母親を苦しみ続けさせた父。最後は母に頼らなければ生きていられなかった。父にもこんな気持があったのかと、不思議な心地がする。
 
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祖父、富士雄に捧げた父・祷一の愛の言葉

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2016年9月 3日 (土)

母親に見つかりたたきつけられた『薔薇族』!

 『薔薇族』の文通欄で、レズビアンの女性が知り合い、うれしい手紙を送ってくれた。
 
 「薔薇通信のおかげで、すばらしい百合族の方と知り合えました。ところがその人とはあまり長く続かず、今は同じ年の本当になんでもわかりあえる恋人がいます。
 
 今、一緒にいる人、よく一緒に街へ行ったりして、とても幸せです。先日も二人で映画を見てきました。それにお互いが素敵な恋人でいようとして、服装などにも今まで以上に気をつけたり、化粧品もよいものを選んでつかったり……。
 
 ところが私の母が、その人とばかり会ったり電話したりしているので心配していたのですが、この前、私の机の下に隠していた『薔薇族』を見つけて、その夜、2、3冊の貴誌を机にたたきつけて泣くのです。
 その後、父も帰ってきて、とても情けなさそうでした。ふだんから私の父は理解はあるのですが、やはり同性愛という自分とは違う世界には理解はありませんでした。
 
 それからというものは、それとなく私を監視しているようです。電話もとりついでくれないので、映画に行った時も、外の公衆電話から連絡したのです。
 
 このままでは家の中がどうなってしまうかわからないので、誰か男友達を作ることを考えたのです。でも、普通の男だとひどく心に負担がかかるし、嫌悪感で毎日悩んでしまうので、誰か薔薇族の方と友達になりたいのです。
 
 それにしても同性愛しか感じられない私たちは、まるで人間としてかたわのように人から言われるのは、一種の人種差別ではないでしょうか」
 
 この投稿は、1979年(今から37年も前)のものだ。神戸に住む女性からの手紙だ。百合族の人たちも文通欄を使って、友人ができたということは大変うれしいことだ。
 机に叩きつけられた薔薇族の痛みはぼくの痛みとも感じられる。叩きつけられた、この痛みは忘れてはいけないのだ。
 
 鹿児島と沖縄の中間にある小さな町に住んでいる、24歳の青年の話も書いている。
 この青年は学校を卒業してからの数年間は東京に出て働いていたが、今は田舎に帰って大島つむぎを織っている。ひとり息子でもある彼は、そうせざるを得なかったのだ。
 東京にいる時は『薔薇族』をずっと読んでいたのに、田舎に帰ってからは、読みたくても手に入れるすべがなかった。
 
 いつか、この青年から、ぼくに電話がかかってきたことがあった。人口が少ない島なので、本屋は2,3軒あっても顔なじみなので買えないという。郵便で送っても母親にあけられるかもしれない。
 その後、いつの間にか、我慢できずに注文して本を送ってもらったようだ。それが母親に見つかり、その上、本の間にはさんでいた自分のヌード写真(東京にいたとき友人に撮ってもらったもの)も、見られてしまった。母親は泣くばかりだった。
 
 父親は80歳を過ぎているし、その後妻に入った母親に生まれた、一人っ子なので、母親にとっては、その嘆きは言うに言えないものがあった。
 こんな悲劇って、この世にあっていいものか。彼が悪いわけではない。まして何にも知らない母親にも罪はない。
 彼はぼくにこんなことを言う。嫁をもらって子供をつくらなければならないし、もうこうなったら生きていられないと。そう嘆く。
 
 この二人の人生、その後、どうなっただろうか。うまく生きぬいてくれていればいいのだが。
 
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