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2016年9月 5日 (月)

父にもこんな気持があったのか?

 9月12日から4、5日、新潟県弥彦村の別荘に息子が運転する車でしばらくぶりに行ってきた。ダンボールに入れたままの荷物の片付けに、ぼくは行ったようなものだったが。
 
 山川純一くんの劇画、「夏色転校生」(1983年10月号)16頁分を探し当てた。ひと月ぐらい滞在して、片付ければまだ探し出せるかもしれないが、ちょっと無理な話だ。
 ぼくの父、祷一(平成3年9月8日、86歳で没)が、祖父、富士雄(大正12年6月2日、53歳で没。関東大震災の数カ月前)への「亡き父に捧ぐ」という一文も見つけ出した。
 
 祖父の富士雄は、息子の祷一に仕事の出張先からはがきを送り、
 「きゅうりの安いのには驚いたが、持ち帰るには重くてだめだ」
 と書いている。
 ぼくの親父は旅行先から、ぼくに手紙などよこしたことはない。母親が肺炎で入院していたときも、一度も病院に行かなかったし、妹が心臓病で長いこと入院生活を送っていたが、一度も病院には行かなかった。
 そんな親父が、祖父が53歳で亡くなった2ヶ月後に書かれた「亡父に捧ぐ」という文章は別人かと思うぐらい、父親に対しての悲しみを書いている。
 
 「父上、あなたと永遠のお別れをして、はや2ヶ月が過ぎ去ってしまいました。くるべき運命とは知りながら、急速に現実になったことゆえ、私はまだあなたのお別れがうたがわしくてなりません。
 最後にあなたにお目にかなったのは、下谷の病院の一室でした。かなり悪性で、(葉を抜いたところへ貝を食べたので、ばいきんが入ったと祖母が語っていた)それが原因で亡くなった。
 あなたの写真と、哀悼の記事が、2、3の新聞紙上に出ました。
 あなたの大好きな小さい弟(和平、太平洋戦争中、ニューギニアで30歳で戦死)は、「お父さんの写真だ」と言って、私や母の前にその新聞をひろげました。私たちは新しい涙をその上に落とさねばならなかったのです。
 
 父上、あなたは私の卒業後の就職口について、いろいろとお心にかけてくださいました。
 A会社の課長さんを訪ねたり、M会社の知人にお頼みくださったりして、八方、私のためにつくしてくださったのです。
 私はあなたの死後、その事を知って、心からありがたみを感ぜずにはおられませんでした。
 あなたの手によって、みじめな境遇に悩む多くの女性を解放されました。ある人はあなたのことを「人道の戦士」だと言われました。
 あなたは、社会のためにつくしたのです。生命をかけてまで戦ったのです。
 
 あなたは可憐な、悲しみのどん底をさまよう女性(女郎)たちのために、何物をも惜しまなかったのでしょう。(中略)
 父上、私が声をからしてあなたをお呼びしても、もう永久にあなたの声を聞くことはできないのです。
 想像だにも及ばぬ奇蹟が、何千年の昔に行われたとするならば、今の世の中に行われないはずがない。私はあなたの御名を呼び続けます。私は奇蹟を信じていますから……。」
 
 ぼくの親父にこんな気持があったなんて考えられない。
 月に一度は、救世軍の小隊の女性が訪ねてお祈りにくるのだが、親父は救世軍を嫌がって顔を出さなかった。
 86歳で病院で亡くなったが、ぼくは悲しみもなにもなかった。ああ、死んだかと思っただけだ。
 女に狂って、母親を苦しみ続けさせた父。最後は母に頼らなければ生きていられなかった。父にもこんな気持があったのかと、不思議な心地がする。
 
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祖父、富士雄に捧げた父・祷一の愛の言葉

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