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2016年9月12日 (月)

素晴らしい人間なら性の区別はない!

 「伊藤文学様へ。過日、「伊藤文学の談話室・祭」(今はない)にてお会いしたときに、お話した両性具有者の彼女の手紙をあずかったのでお送りします。
 
 彼女と僕は一風変わった友情関係にあり、いま一番大事な友達のひとりです。手紙の内容、また外面は非常にユニークで、強い女印象を与えますが、本当の彼女は繊細で傷つきやすい、やさしい女の子です。そんな彼女と知り合い、友達になれたのは幸運でした。
 
 手紙では両刀という立場を誇りに感じ、積極的に男、女にかかわらず、色んな人に接しているようですが、実際の彼女は、とても男にもてるため、というか、女と出会う機会がないため、女とは付き合っていないようです。
 時おりやさしい年上の女の人と付き合いたいと言っていますが……。そういう機会がないため、また少なからず女と寝ることに対して、表面では割りきっているように見えますが、心のなかでは疑問を感じ、悩みもあるようです。」
 
 これは今から39年も前の『薔薇族』の1977年7月号「百合族の部屋」に載せた投稿だ。
 この女性はレズビアンの方だと思うが、ネットのない時代、好みの女性を見つけることは難しかったのでは。男同士であればゲイバア、ゲイホテル、トイレや映画館のハッテン場があったから、地方の人でも相手を見つけることはできたが、女性同士だと好みの女性を見つけることは難しかっただろう。
 ネットの時代とはいえ、男同士の場合は、行動さえ起こせば、知り合うチャンスはいくらでもあるだろうが、女性同士の場合はチャンスは少ないのでは。
 
 横浜に住むペルシャ猫さんの投稿は、「私は女ながらにも、男と男が互いを尊重し、愛しあう気持ちは、子孫繁栄の精神を除いては、人間として生涯を通じて大変素晴らしいことだと思っている。
 もしも自分が男として生まれたのなら、男性の永遠性のある愛情に身を投じたことだろうと、今もなおかつ強く思っている。
 とにかく男として生まれたのなら、男に求めなくては損だとも思う。博識あり、力もある男は、やはり同性である男の最高峰(自分にとって)を求めるのは当然ではないだろうか。
 
 私の一番身近な男友達が偶然にも同性愛者である。彼と私は不思議ながらも、完全な友情を保守してきている。互いの性に関する苦悩を誰よりも理解しあえるだけでなく、素直に人間同士という意識がおのずから心のなかで働くからだ。
 私は両性具有者というより両刀である。そして私は、それを恥じてはいない。むしろ人間として生まれたからには、女として生まれおちたからには、最高に幸運な立場にあると思う。男、女に対して二通りずつのつきあい方ができるからだ。(中略)
 
 私は20歳になるが、それら性の困難さはけっこう体験したり、思考してきたように思える。それだけ自分を尊重し、大切にしているのだと思う。(中略)
 
 愛せる相手、とことん命がけで愛せる相手が一生に1人でもいるのなら、それは自分にとって宝だ。
 女として生まれて幸か不幸か。私は中間点の立場からその信念を胸に抱き続けてゆく。素晴らしい人間、きっとそれには性の区別などありうるはずがない!」
 
 根本的にはバイセクシャルってないと思うけど、性に対する考え方が変わってきている。性に快感を求めるだけなら、男でも、女でもいい、何も我慢して男と女が長いこと住むこともないのかも知れない。

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