« 男で、こんな大失敗を! | トップページ | 三島由紀夫さんの幻の名作を映画化! »

2016年10月10日 (月)

戻ってきた『薔薇族』の中に!

 1960年代に『オー嬢の物語』『愛奴』を舞踊化、赤坂のクラブ「スペース・カプセル」でのショウなどで話題になった、ぼくの先妻ミカとの出会いから、33歳で事故死するまでのことを書いた『裸の女房』を出版してから、もう7年にもなる。
 
 ミカが風呂場で事故死したとき、多くの週刊誌が取り上げてくれた。それを読んだ作家の丸川賀世子さんが、ミカのことを小説にしたいというので、日記、アルバム、週刊誌、新聞などを貼ったアルバムなどを貸していた。
 
 昭和46年8月号の『小説現代』に「被虐の舞踏家」というタイトルで掲載された。
 資料を貸していたことなど忘れていたが、30年以上もたって、丸川さんが古里に帰るので資料をお返ししたいという電話があり、ダンボール2箱もの資料が戻ってきた。それがなければ『裸の女房』は書けなかった。
 
 『薔薇族』の「2代目編集長」を名乗る竜超君に50冊ほどの『薔薇族』を貸してあった。
 もう5、6年もまえのことだったろうか。ぼくの部屋は狭い。引っ越したときに、きちっと創刊号から382号まで、並べておけばよかったが、荷物が多くなってきて、必要な『薔薇族』を取り出せなくなっていた。
 かなりの大仕事だが、整理しようと思い立って、竜君に返却するように頼んでいたのが、やっと語る会の日に持ってきてくれた。
 
 8月8日の夜のカフエ「B&B」での鈴村和成さんとの対談のときに参考にしようと思っていたので、1983年の12月号の「三島由紀夫の地下ポルノ「愛の処刑」の特集号を探していたのだ。
 それと『薔薇族』の大スクープ「エイズ患者に単独会見!!」これはテレビ、新聞、週刊誌、どのマスコミもなしえなかったことで、1985年の8月号だ。
 これが掲載されたとき、その患者を教えろと、マスコミがぼくのところに押し寄せて大変な騒ぎになってしまった。
 
 当時の厚生省が初のエイズ患者、5人を公表したのだが、入院していたり、亡くなっていたりで、ぼくが出会って話を聞き出した男性ひとりだけが、自由の身だった。
 彼はもっと多くのエイズ患者が公表されると思っていたのが、5人だけということで、勤め先に知れてしまうと思ったのだろう。
 もっと長い対談記事になるはずだったが、あそこをけずれ、ここをけずれということでかなり短くなってしまった。
 
 彼の住んでいたマンションは、ぼくの著書『ぼうどうして涙がでるの』に登場する5歳の坊や、芳ちゃんと東京女子医大の病棟の窓から見えた「お城、お城」と呼んでいた料理屋のあとのマンションだ。
 
 何階だか忘れてしまったが、藤田竜君と2人で部屋を訪ねた。かなり広い部屋でひとりで住んでいた。
 佛壇のお線香から、かすかな煙が上がっている。ひと目見て、あの新興宗教に入らされたなと思った。佛にすがるしかなかったのだろう。
 
 かなりのクラシック好きらしく、レコードが棚にずらりと並んでいる。ウィーンにも演奏会を聞きに行ったこともあるとか。
 お茶を出してくれたが、竜君は手をつけなかったが、ぼくは平気でのんだ。
 あの頃のマスコミは異常だった。アメリカのエイズ患者のからだにブツブツができている悲惨な姿をこれでもかとばかり、映しだしていた。
 竜超君に『薔薇族』を貸していたのが戻ってきて、またブログに書く材料が増えたというものだ。
 
 「ラブオイル」の売上が、去年より多かった。まだまだ『薔薇族』を応援してくれている人たちが、沢山いるということだ。本当に感謝している。ありがとう。
 
Img_3304
Img_3305

|

« 男で、こんな大失敗を! | トップページ | 三島由紀夫さんの幻の名作を映画化! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/101967/64287791

この記事へのトラックバック一覧です: 戻ってきた『薔薇族』の中に!:

« 男で、こんな大失敗を! | トップページ | 三島由紀夫さんの幻の名作を映画化! »