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2016年11月12日 (土)

ぼくのご先祖は幸田家の用人だった!

世田谷学園の卒業生で、一番活躍していて有名なのは、NHKの大河ドラマ「真田丸」の脚本を書いている三谷幸喜君だろう。
 
今朝の毎日新聞で報じられていたが、『蛍の河』で61年、直木賞を受賞された、大先輩の伊藤桂一さんが、99歳で死去された。
 
「真田丸」は12月で終わってしまう。ぼくのご先祖は長野県の松代に住み、真田幸民の家臣であったので、どうしても書いておきたかった。
 
「真田丸」の1回目は見たが、いろんな人物が登場してきてよくわからず、それからは1度も見ていない。
 
父が残してくれた、虫食いだらけの「安政武鑑」(今でいうなら神士録みたいなもので全国の各藩主、そして主だった家臣の名が記されている)その中で祖父のまた祖父の名があり、「用人」とある。
 
石川新八とあるのがご先祖のようだ。なんで「伊藤」になったのかは分からない。
 
真田幸民は信州松代藩の第10代(最後)の藩主で、嘉永3年に生まれ、明治36年に亡くなっている。
 
ぼくの祖父、富士雄の末娘・宇佐美マサの長男、三郎さん(中学の校長)が、ご先祖のことを調べてくれている。
 
祖父、富士雄の父は、禄といい、真田藩表御用人とある。禄さんは松代で漢学塾を開いていて、毎夜一里も遠いところから通ってくる門人に、小林みつるがいた。小林は後に府立第3高女(現・都立駒場高校)の校長を長く勤めた方だ。
 
今も駒場高校の校庭に、小林校長の胸像が建っている。ぼくの『薔薇族』の良き相棒だった藤田竜君は、駒場高校の卒業生だから、なにかのえんかもしれない。
 
三郎さんは松代の菩提寺に行き、また小学校校長をした古老にも、祖父のことを聞いたが何も得られなかった。菩提寺に祖父の碑があるという話だったが、見つけることはできず、長野県の図書館にも行ったが、手がかりはつかめなかった。
 
ぼくも松代の菩提寺に行けば、過去帳が残っていて、わかるかもしれないと思ったが、三郎さんが調べてくれていたのだ。
 
赤坂に盛徳寺というお寺があり、そこは真田家の江戸での菩提寺でもあった。お寺の屋根には、真田家の六文銭のマークが屋根瓦についていた。
 
子供のころ母によく連れられて墓参りに行ったが、途中、乃木神社のガラス越しに、明治天皇の大葬当日、自邸で妻、静子と共に殉死した、乃木希典大将の血に染まった白い着物が飾られていたのをこわごわ見たのを覚えている。
 
盛徳寺の先代の住職は、まともな方だったが、後を継いだ坊さんは駒大の何年か前の先輩で柔道部出身のなまぐさ坊主、お寺の近所にあったでっかいキャバレー「ミカド」の女性に入れあげてか、それだけではないと思うが、手形を乱発し、サギのようなことをしたりで、お寺が倒産してしまった。
 
幸いなことに父の友人が多摩墓地の権利をゆずってくれたので、ご先祖のお骨を掘り出して多摩墓地に移してしまった。大きなかめにお骨が入っていた。
 
背の高い石柱に何か記されていたのだろうが、それはそのままになってしまった。もしかしたら松代の菩提寺にあった石柱かもしれない。
 
六文銭が掘られた屋根瓦が、ぼくの手許に残っている。盛徳寺がこわされたときに、もってきたものだろうが、記憶にない。
 
救世軍でお女郎さんを千人近くも救い出した富士雄さん、その父の禄さんまではわかるが、その前のご先祖のことは知りようがない。
 
わが家で佛壇に手を合わすのは、ぼくしかいない。お墓も草ぼうぼうになってしまうのか。

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