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2016年11月19日 (土)

日本最初のホモビデオ製作秘話!

1981年の『薔薇族』11月号に、今は亡き『薔薇族』誕生の立役者だった、間宮浩さんと、ぼくとが対談をしている。
 
「ノンケのモデルって、大胆なのだ! 撮りも撮ったり、150人! ホモビデオ製作うらばなし」と題して。
 
ぼくも忘れてしまっているが、日本最初のホモビデオのことを記録に残しておきたい。
 
『薔薇族』でフェスタ・ビデオおとして、最初に製作したのが「薔薇と海と太陽と」だ。
 
これは映画としても作られ、映画館でも上映されたが、主役の青年の長友達也という人、この人がすごく人気があって、初めてのビデオということで、とぶように売れた。
 
そのときの値段が、30分ものでなんと3万2千円、昭和56年の9月発売で、それがいちばん最初だった。
 
じつはそのひと月前に、ある有名な映画監督と、女優さんとの間に生まれた人というのが、ホモビデオを作りたいということで、ぼくのところに訪ねてきた。
 
昭和56年に春頃だった。その人が作ったのが「純の夏」(どんな内容だったか、まったく覚えていない)というタイトルで、純という男の子の海辺での出来事のようだ。
 
この人は中野に事務所があって、訪ねて行ったら、ちょっと美しい、助手みたいな女の人がいて、その監督がちょっと席を立ったときに、この人は有名ななんとか監督の息子ですよと、ぼくに耳打ちした。
 
なにかおかしいなと思ったが、契約、契約といって、すごく契約を迫るのだ。どんどん作品を作るから、作品を売ってお金をくれということだが、そんなことできるわけがない。
 
一本だけ作ったが、お金に困っていたのか、その後、なんと夜逃げしてしまった。
 
そんなことがあって、大変なスタートをしたわけだが、その後に現れた人が「薔薇と海と太陽と」を作った人だ。
 
この人はワールド映画といって、男女のポルノ映画を作っていた人で、ご自分も最初は役者だった。
 
大蔵映画で役者をやっていて、後に監督もやり、作ったのがこの映画だった。
 
これはちゃんとした劇映画で、ストーリーもあり、よく出来た作品だった。評判もよく、売れ行きも良かった。
 
そのあとの「白い牝鹿たちと「薔薇の星座」も、3本とも同じ監督だった。
 
新宿の東映の映画館でも上映されたが、大盛況だった。
 
その後、ビデオカメラが普及し、素人の人がホモビデオを作り出すようになってきた。
 
『薔薇族』の表紙絵を描いたり、イラストも描いていた木村べんさんが、ビデオの製作に乗り出した。
 
べんさんは若いころから映画が好きで、映画を作りたいという願望を持ち続けていた人で、「ちょっといい休日」と「誘惑がいっぱい」の2本を製作した。カメラは間宮浩さんだ。
 
間宮さんの話だと、製作の費用がかかりすぎてしまったそうだ。
 
「ちょっといい休日」は、水兵さんと青年将校のラブ・ロマンスだが、将校の制服だけでも7万円もかかってしまった。ズボンは別で―。
 
横須賀ロケに3、4回行っているから、大変な費用がかかってしまった。全部で150万円以上もかかって、それとは別に編集の費用もあり、大変だったようだ。
 
お客さんの求めているものは、何かというと、だんだんに露骨なものを要求するようになってきた。
 
見えるか、見えないかが問題で製作する人も増えてきて、それからホモビデオの戦国時代になっていった。
 
最初にホモビデオを出したということは、少しは自慢してもいいことなのか!

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