弱いものいじめは、今も昔も!
「今の世の中でもいじめは存在し、いじめられた子が自殺にまで追いやられることもある。
「宇野鴻一郎の小説に『縄目の快楽』(講談社刊)がある。
旧制中学時代「解剖の恥辱」に何度も泣いたおとなしい少年が、長じて自由を束縛されて辱めを受けることに快楽を覚えるようになっていくのである。
少年は解剖によってはじめての精通を迎え、全てが終わったあと、ショックに1人机に顔伏せ、忍び泣きに泣くのである。
しかし、大抵そうであるように、嫌がれば、嫌がるほど面白がって仕掛けるものである。
彼もその後、教室で校庭の隅で、備品倉庫の中でと、所構わずしかけられる。
押さえつけられ組み伏せられて目的を達せられる。
ただ顔真っ赤にして、気の遠くなるような凌辱に耐えるだけなのである。
確かに昔、旧制中学ではよくあったことだという。
今、社会問題になっている学校における「弱い者いじめ」で、小学生から高校生まで、平均していじめの20%を占めるまであり、特に中学生では30.6%もあるというのです。
一番恥ずかしい年頃だけに大変なことです。
特に昔と違って、男女共学であり、女子も見ている教室でもやるというのです。
発毛しかけの性器を女子にまで見られたり、それどころか木の枝のようになったところを見られたりといった、赤面では済まないようなはめにあっている子も少なくないのです。
今『網目の快楽』の主人公そのままの生徒が確実にいるはずです。
観衆が去った後、自らの体から出た物を拭ってパンツをつけ、机にもたれてシクシク泣いている子が。
今のいじめは特定の1人か2人に集中して、繰り返され、しつこく行われています。
いじめにも段階があるようで、最初は何気ない事から始まり、「シカト」(無視)とかの意地悪程度だが、だんだん物隠しとか暴力的なこととなります。
弱い子同士をけんかさせたり、使いパシリをさせたりします。
このへんで強く出れば、それでやむのだが、いいなりになり、ベソをかいたりすると、さらに次のいじめをされる。
雑巾の水を飲めとか、便器をなめろとか、おしっこを飲ませる。いじめっ子のチンポコを舐めさせるなどの、生理的、恥辱的、屈辱的であって、とても出来そうにないことを強要する。
それでも拒否できないで、その場逃れにベソをかきながらしてしまうものもいるのです。
そういう子はもうからかいおもちゃです。次なるいじめは、いじめの最終形態ともいえる「辱め」なのです。
男なら男子として耐えられない恥辱、つまり、異性の前で性器を見られる、解剖、ストリップ、そして秘密の行為(オナニー)の公開などです。
「くじびき」というのもあります。クジを引かされ、これから自分がされることを自分で選ばされるというおもちゃみたいな扱いです。
クジには何が当たっても、みないやなことばかり。
「マジック化粧」(顔にマジックで落書きされ、ピエロのようにされる)はまだいいほうで、「ハンスト」(下半身裸)「オカマ」(肛門にコーラ瓶などを仕込まれる)、それに解剖まであるのです。(中略)
反撃できないのが、そもそもいじめられっ子。問題は大きいようです。
とにかく教室はもう聖なる場ではなく、恥辱の場でもあるのです。」(埼玉県・少年愛)
この投稿者、教師ではなかろうか。
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コメント
それってレイプですね。
イラクの収容所で、アメリカ軍の女性兵士がイラク人収容男性に行なった性的虐待と同じです。
今の日本では、いじめに対して不登校で戦っている学生は判断が正しいことになります。
ケンカをできないなら、そんな学校に行っても、勉強の環境ではありませんから。
投稿: | 2016年11月30日 (水) 03時32分