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2016年11月25日 (金)

三島由紀夫原作「愛の処刑」が見れるなんて!

日本最初のホモビデオは、ぼくが世に出したが、なんと映画まで製作してしまった。
 
社員が何人もいる会社では、会議を開いてやるか、やらないかを決めるのに時間がかかってしまうが、わが第二書房は、父とぼくだけの出版社、父は女性に夢中になっていて、仕事はぼくに任せっきり。
 
ぼくが決断すれば、何でも実現してしまうことができた。
 
1983年『薔薇族』12月号は三島由紀夫の地下ポルノ「愛の処刑」の特集号になっている。
 
三島由紀夫が書いたのではないかと、言われていた「愛の処刑」は、それよりも10年も前に『薔薇族』に掲載してしまった。
 
その予告を誌上に載せていたら、三島由紀夫のお父さんからだと思うが、「のせないでほしい」という電話があった。
 
この作品は『薔薇族』が創刊された1971年よりも20年も前に非合法で、会員制で出されていた『アドニス』の別冊「アポロ」に載った作品だ。
 
3人の方の短編小説が載っていて、もう1人の方は、NHKの職員で、音楽関係の仕事をされていた方だ。
 
仁科勝のペンネームで、小説を『薔薇族』誌上に何編も寄せられている。
 
男性同士の関係を描いた映画は、かつてなかったから、この映画が日本で最初ということだ。
 
映画が落ち目になってきて、東宝、松竹、日活などで活躍した監督たちは、テレビのほうへ仕事を移していたが、三流の映画会社の監督は仕事がなかった。
 
「愛の処刑」の監督の野上正義さんとの出会いは全く記憶にない。
 
最上さんから持ち込まれた話に、ぼくは映画化を即座に決断した。
 
千葉県の勝浦の江戸時代に建てられた、網元の家が残っていた。そこを借りれたことが、この映画に重みを増すことができた。
 
カメラマンは有名な方だときいたが、 撮影風景をぼくは二度ほど見に行っている。
 
たった4、5日で1時間の作品を撮り終えた。
 
映画の配給会社の「ENKプロモーション」の社長の駒田達郎さんは、ぼくの原作で映画化された日活の昭和40年度の秋の芸術祭参加作品になった「ぼくどうして涙がでるの」の宣伝のために、主役の十朱幸代さんと大阪を訪れた時に、お世話になった方だ。
 
その頃は日活の関西支社に勤めておられた。不思議なご縁だった。
 
駒田達郎さんは亡くなられて、息子さんが跡を継いでいる。
 
「愛の処刑」33年も前に製作された映画を今見られるなんて夢のようだ。
 
「愛の処刑」上映&禁断のトークイベントを企画された方々に感謝するばかりだ。
 
この機会にぜひ、下北沢の南口のカフェ「B&B」にお出かけください。
 
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コメント

載せれば、お金になるのでしょうが、

投稿: | 2016年11月26日 (土) 06時09分

三島由紀夫氏のお父さんが「薔薇族に掲載しないでほしい」と電話してきたのなら、載せないでほしかった。
三島氏のお父さんもお母さんも、さみしい余生を送って亡くなられたようです。
その方々のお願いだったのなら。

投稿: | 2016年11月26日 (土) 06時06分

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