火葬場の煙突から立ち上る煙を見ると!
「この女なんか、体格が丈夫だったから、意地も張り通せたんですが、体の弱い連中には、ずいぶん困らされてましたよ。これはずっと後の話ですが…。
伊藤くんは、また一つの憐れな話をした。
上野公園の花見客が、騒いでいた頃、年の頃、二十歳ばかりと見える世にも稀な美人が訪ねてきた。
会ってみると、秋田県雄勝郡のもので、洲崎弁天町のある座敷で、しん子と名乗っている娼妓だった。
なるほど、小野小町の生まれたところですね。と言って伊藤くんは、しん子の顔を見て、重い病気にとりつかれていることを知った。
しん子ははたして病気であった。4、5日前から休業して養生していると、楼主から仙台の方へ住み替えするようにとの話が出たので、今、住み替えさせられては命に関わるから、何とかしてくれというのであった。
早速、救世軍病院の医師に来てもらって、診察を受けさせると、肺病も肺病、もう第3期だから、婦人ホームのような多人数のいるところへ置くわけにいかないと言った。
さて、困ったことだと思っているところへ、楼主がたずねてきて、今朝から本人が見えないので、多分こちらへお邪魔に上がったのだろうと、思っておりました。健康なものならともかく、病院でございますから、いろんな心配をいたしまして、と温厚なものの言いようであった。
そこでしん子を引き合わせると、楼主はしきりに帰るようにすすめた。
だがしん子はなかなか承知しない。
あなたは私が容易ならぬ病気だということを承知の上で、気管支炎だから、うがいをすればすぐなおると気休めを言って、うまく私を住み替えさせようとなさったのです。そうすればあなたはお損がなくなって、よろしいでしょうが、私は呼吸が苦しくて、もう1日も稼業ができません。
あまりしん子の態度が明瞭だったので、楼主もとうとう廃業に同意して、即日、その手続きを済ませた。
そこで伊藤くんは、救世軍病院に連れて行って入院させたが、非常に賢い女性で、日曜ごとに熱心に説教を聞き、とうとう救世軍の兵士に入隊式まで済ませたが、その年のクリスマスの朝、病院で感謝のうちに死んでしまった。
しん子の本名は芳子というのであった。両親に早く死に別れ、叔父の所で育てられたが3人姉妹とも、叔父に売り飛ばされて、悲惨な境遇にいたのであった。
死ぬ三日前に涙で滲んだ手紙が、伊藤君の手に届いたので、早速駆けつけてみると、骨と皮とに痩せ衰えながらも精神だけは実に確かであった。自分が亡くなったら、遺骨は埼玉にいる妹の所へ取りに来るように言ってくれと遺言した。
亡くなった時、すぐに電報で妹に知らせてやったが、何の返事もなかった。そこで伊藤君は柳原川岸の助葬会に頼んで火葬にし、遺骨は院長室に保管を頼んでおいたが、翌年の7月に、その妹というのが、5円の金を工面して、ようやく姉の遺骨受け取りに来て持って帰った。
火葬場の煙突を見るたびに、ぼくは姉の遺骨を抱えて、泣く泣く病院を出て行った、あの妹の事を思い出す。今頃はもう姉と同じ運命に落ちてるかもしれない。
伊藤君は静かに立ち上がった。私も元気なく戸口まで伊藤君を見送った。」
この話は中央公論社刊の『娼妓解放哀話』沖野岩三郎著による。
貧乏人を食い物にする悪い奴は、いつの世にもいるものだ。
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