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2017年1月30日 (月)

短歌は万葉集の時代に戻そう!

戦後まもない昭和23年に駒沢大学の文学部国文科に入学し、万葉集の研究者でもあり、歌人で「白路」を主催する森本治吉教授に出会ったことで、ぼくは短歌を作り始めた。
 
学生時代に作った短歌をまとめた「歌集 靴下と女」(1993年4月)の序文に、親友だった阿部正路君(当時は國學院大学生で、後に国学院大学教授)が、「伊藤文学君と初めて会ったのは、昭和25年の5月、東京大学の構内の三四郎池のほとりだった。」と、ある。
 
各大学の短歌を作歌する学生たちを集めて、阿部君と2人で運営した。
 
ぼくが催しを企画し、画期的な催し物を何度も開催した。
 
 
 
大学を卒業して、ぼくは間もなく、短歌とおさらばしてしまい、それから60数年、短歌とは縁がなくなってしまった。
 
大学歌人会の仲間たちで、今もなお作歌を続けている人は、歌壇でもかなりの地位を占めているのは嬉しいことだ。
 
いまさら短歌がどう変わろうが、ぼくには関係のないことだが、2017年1月14日の新聞に.新春恒例の宮中行事である「歌会始めの儀」が13日、皇居宮殿であり、天皇皇后両陛下や皇族方が詠まれた歌が披露された。
 
今年の題は「野」で、一般応募で2万205首から入選した10人の歌も詠み上げられた。
 
5人の選者の作品も出ていた。
 
 
 
その中の1人S 君は、大学歌人会の時の2年ほど後輩だ。
 
60年以上も作歌を続けているのだから、歌集も何冊も出しているのだろうが、目にしたことはない。
 
宮内庁の仕事をするようになってからは、ぼくとのお付き合いは途絶えている。
 
それは当然のことだ。
 
アウトローのぼくのようなものを避けるのは、S 君だけではない。
 
都立高校の校長にまでなった、クリスチャンのA 君にも敬遠されてしまった。
 
そんなことはどうでもいいことだが、選者のS君の作品の酷さを読んで.短歌を作歌している多くの人たちに苦言を呈したいと思ったのだ。
 
 
  書くためにすべての資料揃ふるが慣ひとなりしきまじめ野郎
 
 
これが選者の作品とは情けない。
 
作歌と60数年離れたとはいえ、作品の良い、悪いはわかる。
 
「きまじめ野郎」は、S 君、自分のことを言っているのだろうが「野郎」という言葉は下品な言葉で、「この野郎」と、怒って相手を罵る言葉だ。
 
ぼくがこの作品を添削すると、「きまじめな人」くらいにするだろう。
 
それにしても何の感動も呼ばないつまらない作品ではないか。
 
お題が「野」。下品な言葉の「野郎」。
 
たしかに「野」が入っているが、あまりにもこじつけ、「この野郎!」と、ののしってやりたいぐらいだ。
 
 
 
「俵なんとか」という女性の作品が話題になって、短詩というべき作品が、はんらんしているが、短歌はあくまでも、5・7・5・7・7の定型を守るべきだ。
 
もう一度、万葉時代の作品に戻るべきではないだろうか。
 
規則を守って、その中でいかによく表現するかが大切だ。
 
昔から口語短歌を作る人はいたが、いずれも成功していない。
 
5・7・5・7・7、誰が考えたのか知らないが、リズム感が良く、自然に定着したのだろう。
 
それに文語体のほうが格調がある。
 
絵画でも、その基礎になるデッサンをしっかり学ばなければならない。
 
短歌でも「写生」を勉強すべきだ。
 
これは正岡子規の言葉だったか。
 
文化勲章受章者で大学歌人会の先輩、万葉集研究の権威、中西進君はこの作品をどう評価するだろうか。

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