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2017年1月 9日 (月)

佐伯彰一さんとの出会い!

Img_9419 東京新聞夕刊の文化欄に「大波小波」という、週に一回載る小さなコーナーがある。
 
おそらくベテランの記者が書いているのだろう。2016年の12月28日「大波小波」に、「点鬼」という筆名で「今年逝った人々」の見出しで書かれている。
 
 
 
太宰治の書いたものなど読んだことはない。その娘さんが津島佑子さんという方で、父と同じ作家になっていて、68歳で亡くなられたが、太宰治より30年も長く生きたことをもって霊を慰むべきか。とある。
 
世田谷学園の大先輩の伊藤桂一さんも、99歳で大往生だと。
 
「今年亡くなった文筆家の名を記し、冥福を祈ろう。
 
長寿化は世の東西を問わず、古希(70歳)はもはや死語となりつつあるかのようだ。藤原てい98歳、佐伯彰一93歳」
 
 
 
佐伯彰一さん。携帯電話を持たない僕にはこの方がどんな方かを確かめられない。
 
その日、カフエ「織部」で、待ち合わせて20代の女性と出会ったので、携帯で調べてもらった。
 
やはりぼくが一度だけ出会ったことのある文芸評論家で、世田谷文学館の初代の館長さんだった。
 
 
 
世田谷文学館がオープンした頃、友の会を作ろうということで、ぼくもその世話役の1人になっていた。
 
その頃、出会ったのが、東宝の映画監督の高瀬昌弘さんで、テレビの時代になって「鬼平犯科帳」などの作品の監督をされている。
 
 
 
2001年の12月に、ぼくは文芸春秋社の子会社の「文春ネスコ」から『編集長「秘話」』を出すことができた。
 
「文春ネスコ」の社長さんは、文藝春秋社の創立者、菊池寛さんのお孫さんで、菊池夏樹さんという方だった。
 
「文春ネスコ」は子会社とはいえ、週刊文春の書評欄にぼくの写真入りで、1ページを使って紹介してくれた。
 
文藝春秋社から刊行されているすべての雑誌に広告を入れてくれたのだから、ありがたかった。
 
世田谷文学館の館長、佐伯彰一さんの目にも触れたのだろう。
 
「本を読みたい」という電話がかかってきた。
 
 
 
佐伯さん78歳ぐらいの時だった。本にサインをして約束の時間に館長室を訪れた。
 
館長室は広い。ソファに座っておられた。
 
館長ってどんな仕事をされているのだろう。文学館の格付けみたいなもので、世間的に名の知れた館長がその役目を果たしている。
 
毎日、文学館に出勤されるわけでなく、週に1、2度、顔を出すだけのお飾りみたいなものだろう。
 
こんな広い部屋に、ぽつんと1人座ってはいられないだろう。
 
 
 
16年も前のことだから、お顔も思い出せないが、温厚な方だった。
 
佐伯さん、著書もたくさん出されているが、同性愛のことに触れるときは、必ずといっていいほど「私は女好きだけど」とことわり、それから同性愛の問題を書かれている。
 
三島由紀夫さんと、親交があったようだが、すべての文芸評論家は、三島さんがゲイだったということは、タブーだったようだ。
 
佐伯さん、耳が少し聞こえないようなので、くっつくようにそばに座って話を始めた。
 
16年も前のことだから、何をしゃべったのか全く忘れているが、佐伯さん、ぼくとしゃべっていることで、本音が出てきて、だんだんに目が輝き、以前からの友人だったようになっていた。
 
時間のことなど忘れて、しゃべり続けた。
 
たった一度しか、お会いしたことはなかったが、文春から本を出すことができたので、この出会いに結びついたのだろう。
 
佐伯彰一さんのご冥福を祈りたい。
 

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