三島由紀夫さんは、若い私たちに優しかった!
「両先輩は、すでに面識があり、くだけた会話をしていたが、私は初めて三島さんを見るわけで、何も言えず、話を聴いただけである。
まだ独身で、ボディビルをはじめていない頃だったと思うが、三島さんは、白い和服姿で、色白く細身、それほど大きな目ではないが、眼光の鋭い人で、目があったりすると、怖い感じもした。
動作などもキビキビとしていて貴公子風な青年、同行してくださった、樫村、寺山達の薄汚れたボヘミアン風なムードとは、まるで違った人間に見えた。
それまでに梅崎春生とか坂口安吾のところへも、樫村さんに連れられて行ったことがあるのだが、その二人の文学者とも、イメージは異なり、三島さんの対応は、若い私達に実に優しく、言葉遣いもていねいだった。
紅茶とエクレアを供され、二時間ぐらい相手をしてくださった。
その後、樫村さんと、再度訪れたが、その時は、岸田今日子さんなど、文学座の若い役者さんが来ていて、私たちはあまり話もできなかったけど、三島さんの対応は変わらず、親切だった。
その折に拝見させて頂いた書架に、私の好きな谷崎や、鏡花の本が、かなり多くあったのを覚えている。
次に三島さんに逢ったのは、5、6年後。
私は才能のないことに見切りをつけ、『青銅文学』からも脱退して、映画を観ることに夢中になった。
前記した『禁色』が話題となり、私は三島さんを、文学者としてより、ホモの先輩と考えるようになっていた。
夏のことだった。
熱海伊豆山にあった父の会社の寮に、付き合っていた三つ年下の高校生と、私は何日か滞在していた。
伊豆山には、谷崎潤一郎が住んでいた。
私たちは、前日、熱海の映画館で、初めて映画化された、轟夕起子や、高峰秀子が演じた『細雪』を観たので、谷崎さんの家を見物しようということになり、朝食を済ませて、高台にある谷崎邸に向かって、坂道を登った。
湯河原方面の海が見える絶景の地にあり、瀟洒な門の近くには、一台のタクシーが停車していた。
朝早いのに、文豪谷崎はお出かけにでもなるのだろうか。
実物を見たことがなかったから、何か心騒ぐものがあった。
ただ家を見たいと思っただけで、谷崎邸を訪問する気持ちなどなかったから、門前を徘徊し、庭をのぞいたりして、門を背景に写真を写したりした。
谷崎邸は、音ひとつせず静寂だったが、しばらくすると、玄関が開き、あいさつの声など聞こえ、出てきたのは、文豪ではなく三島さんだった。
白い麻のスーツで、キチンとネクタイを着用していた。
ウロウロしていた私たちふたりを見ると、明るい笑顔を見せ、私はかつてお目にかかったことがあるから、ていねいに頭を下げた。
「よう・・・。先生は今日はごきげんななめだよ」と言い、待たせていた車に乗り、あっという間に去っていった。
三島さんが、私に気づいたのではないだろう。
谷崎フアンの若者と映じたにすぎない。
『禁色』の俊輪は、谷崎をモデルとしたと言われていたし、熱海ホテルに宿泊の折にはよく谷崎邸を訪れたことを三島さんは書いている。
それから間もなく、サンケイホールで『黒蜥蜴』が初演された。」
まだまだ続くが、三島さんの人となりがよく分かる。
三島フアンや、これから三島さんの作品を読もうと思っている人たちには、参考になるのでは。
ぼくもなんとしても『禁色』を読もうと思う。
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