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2017年2月20日 (月)

三島由紀夫さんは、鍛えられた肉体を賛美されることが快楽!

「「黒蜥蜴」は三谷八重子、明智探偵は芥川比呂志、他に大空真弓、田宮二郎・賀原夏子など、ぜいたくな配役だった。
 
明智探偵の手下の役で、私のホモの友人も出演したので、私は初日に観に行った。
 
この手下役には、石坂浩二も出演していた。
 
 
 
ロビーには三島さんもいて、その時の服装は、白いなめし革で作ったシャツ、胸もとが大きく開き、ヒモで綾に結ばれているのだが、ボディビルで鍛えた筋肉の盛り上がりと、胸毛を強調するデザインのものだった。
 
その時も、私は挨拶をしたけど、三島さんは、ニコッと笑っただけで、何の言葉もかけてはくれなかった。
 
 
 
初めてお目にかかったときの三島さんは、気品のある美青年という印象だったが、ボディビルや剣道で、男らしさを強調する容姿作りをされ、すっかりイメージチェンジした。
 
ホモとして私の好むタイプでなくなり失望したが、そういう三島さんを好きなホモの友人もいた。
 
 
 
彼は三島さんに、ファンレターというより、ラブレター染みた手紙を出した。
 
しばらくすると、三島さんから巻紙に筆で書かれた返事が、細江英公撮影の『薔薇刑』という、三島さんの裸身をモデルにした豪華な写真集と共に、彼の所へ送られてきた。
 
彼は有頂天になり、私たちに見せびらかしたが、その後、一度だけ三島さんと会食したようだけれど、彼は三島さんの好むタイプではなかったらしく、あっけなく終わってしまった。
 
 
 
三島さんの死後、2丁目あたりで、三島さんからの手紙を持っているという人を何人か見かけたが、実物をみたわけではないから、真実かどうかわからないけれど、筆まめな人だったし、古書展などに、三島さんの手紙は、かなり出回っているから、熱心なファンには対応していたのだろう。
 
自分できびしい鍛錬を課して作り上げた肉体だから、それを賛美されることは、三島さんには限りない快楽だったのだろう。
 
 
 
私は20代の後半から、2年ほど名古屋に居住していた。その頃、大須観音の参道に「よしだ」という喫茶店があった。
 
古びた小さな店で、当時すでに大須観音は、さびれた盛り場だった。
 
戦前までは、見世物小屋など立ち並び、浅草のような感じの街だったらしい。
 
 
 
「よしだ」は、ホモの溜まり場だった。
 
男同士で、気軽に入れるホテルなどない時代だから、ホモのセックスをやれる場所でもあった。
 
1Fはカウンターに4席ぐらい、あとはボックスで、そちらも6、7人座れるスペースがあるだけだが、カウンター裏の急な階段を上がると、2階には3畳くらいの小部屋がふたつある。
 
そこにはせんべい布団が敷かれていて、枕もとにチリ紙が置いてあるだけ。
 
むろんシャワーも、トイレもない。
 
トイレは1階にあるだけだ。
 
その部屋で男たちは、セックスするわけだけれど、廊下もないし、部屋と部屋は、ふすまで仕切られているだけだ。
 
 
 
2組のカップルが、それぞれの部屋でセックスしたとすれば、お互いのよがり声などいやでも聞こえてくる。
 
奥の部屋の人が終わって帰るには、手前の部屋を通らなければ、階段を降りられないのだ。
 
 
 
シーツなども、客が入れ替わって交換することもなく、しみや体臭のついた布団でやるしかないが、常連客の中には、それがいいんだと言っていた人もいた。」
 
 
 
今のゲイホテルの清潔さは完璧だ。
 
「よしだ」の話は、あまり知られていないので、貴重な話と言えよう。

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