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2017年2月 4日 (土)

1通の手紙がこなければ『薔薇族』は!

昭和46年7月30日印刷発行/編集発行人・伊藤文学/組版・金子印刷所/刷版・大曲印刷所/発行所・株式会社第二書房/定価230円
 
『薔薇族』第1号は、刷り部数1万部で、雑誌コード7581、トーハン・日販・栗田書店・大阪屋・中央社などの取次店(本の問屋)から、北は北海道から南は沖縄までの書店に配本された。
 
日本で最初のゲイ雑誌の誕生だ。
 
誕生に至った貴重な手紙をゲイ雑誌の歴史として残しておきたいと思う。
 
昭和46年(1971年)3月1日とある。
 
 
 
「前略 貴社益々ご隆盛の様子に、一読者としておよろこび申し上げます。
 
そしてホモ文学出版の旗頭(『薔薇族』を創刊する前は、ゲイの人向けの単行本を数十冊出していた)として、話題を投げかけて、その性向者の間に感謝されていることは間違いありません。
 
小生もそのひとりです。
 
私もかつて『風俗奇譚』という雑誌に連載、そして短編と掲載した経験もあります。
 
『薔薇ひらく』(第二書房刊)のあとがきに知らないことがあるので、ぜひ、手紙をください。(ぼくの呼びかけ)の一文を拝見して、お手紙を書いている次第です。
 
 
 
すでにご存知のように、ホモとひと口にいっても、種々多々とあるわけで、文面にて細々と書いても限りのないことは、ご存知と思います。
 
小生の住んでいるビルは、新宿御苑からすぐ近くです。
 
お電話でも前もってくだされば、貴社にお邪魔してもよろしいです。
 
もちろん、私なりの意見しか申し上げられませんが、それなりの参考になると思います。
 
雑誌が発刊になるということのうれしさに、ついお手紙を書いてしまった次第です。
 
ご発展をお祈りしています。」
 
 
 
この手紙は、ぼくの呼びかけに応えるようにくれた手紙ではなく、二度目の手紙のようだ。
 
間宮浩さんが手紙をくれ、ゲイ雑誌創刊に協力したいと言ってくれなければ、創刊号は出せなかったろう。
 
間宮さんと同じように、『風俗奇譚』の執筆者だった、雑誌づくりの名人 藤田竜さんとの出会いがなければ、3月にふたりと出会って、7月には創刊号を出すなんてことは出来なかったろう。
 
人との出会いって、運みたいなものだ。
 
ふたりとの出会いは、ぼくの運の強さだった。
 
第二書房には社員は、ぼくしかいない。
 
親父はぼくにまかせっきりだったから、ぼくが決断し、実行すればいいことで、会議なんか開くことがなかったから、ゲイ雑誌を創刊できたということだ。
 
『週刊文春』がすぐに取材してくれて、記事にしてくれたのはありがたかったが、まあ、当時としては、若い記者がゲイのことを知らずに書いているのだから、間違いだらけでも仕方がないことだ。
 
「ホモでない男が創刊したホモ雑誌『薔薇族』は世の中をよくするためにあるの?」という見出しだから、変なことを書かれても感謝しなければ。
 
 
 
先妻の舞踊家、ミカのことを「金粉ダンサーとして名を売った」とあるが、これはミカの名誉のために訂正しておかなければ。
 
ミカは「裸」で踊り、皮膚という衣装をつけて踊った。
 
金粉ショーは、土方巽さんのお弟子さんたちがアルバイトで、キャバレーで踊るときに体に金粉を塗っていた。
 
 
 
「それにしても、この雑誌の売れ行きは、ホモ族の数がふえるかどうか、にかかっているのだが、その点はどうか」と、心配してくれている。
 
今まで隠れていていた人が、表に出てきただけのことで、いつの世でもその率はかわらない。
 
廃刊になったときも、文春さんが。
 
文春さん何度もとりあげてくれてありがとう。

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