小林亜星さん「世の中動かす才能を待て!」
「「歌は世につれ、世は歌につれ」といわれる。
だが、どの世代からも愛され、世相を映し出すような流行歌をめっきり耳にしなくなった。
流行家はどこへ行ってしまったのか。
数々のCMソング、アニメ主題歌、歌謡曲などを手がけてきた作曲家の小林亜星さん(84)に聞いた。」
2月2日の毎日新聞に、森本英彦さんが聞き手で話をまとめている。
大晦日のNHK紅白歌合戦、ぼくはブログで見ないと書いたのに、全部見てしまった。
NHKもお金をかけている番組だから、視聴率をあげなければならない。
スタッフはいろいろと工夫している。
照明が進歩しているので、歌っている歌手のバックをさまざまに変えられる。
いまや踊れない歌手は少ない。
昔の歌手のように直立不動で歌う歌手なんていなくなってしまった。
踊りを見せているのか、歌を聞かせているのか分からなくさえなっている。
亜星さん、いいことをしゃべっているが、同じ世代なので同感することが多い。
とくに共感したのは、ぼくも同じことを考えていたからだ。
「ぼくたちの若い頃は、テレビ局にもレコード会社にもふらっと入れたんです。
プロデューサーに「何か仕事ないかね」というと、「誰か亜星ちゃんの仕事ない?」こんな感じです。
年中、皆で飲んだり食ったりして、時にはけんかもして、家族的だった。
その中からヒット曲が生まれた。
テロの後、社屋に入るのにいちいち通行証をもらわなきゃいけなくなって、そんな雰囲気も失われました。」
昭和30年台の後半の頃、妹の心臓病の闘病記を書いたのが、朝日新聞がとりあげてくれて、『ぼくどうして涙がでるの』が、大ヒットした。
日活で映画化が決定した頃、駒沢大学の同期生だった長田暁ニ君が、キングレコードでディレクターをしていて活躍していた。
第二書房の製本屋が、護国寺のすぐそばにあり、キングレコードの社屋もすぐ近くだった。
その頃、ぼくはスクーターに乗って飛び回っていた。
キングレコードの社屋の前の歩道にスクーターをとめて、長田君の仕事場を訪ねた。
守衛もガードマンもいない。
エレベーターに乗って仕事場へ。
ロビーみたいなところがあって、ゆったりしたソフアがいくつも置いてある。
そこには作曲家や、作詞家、有名な歌手も座って雑談している。
そんな中からヒット曲が生まれたのだろう。
長田君、ぼくの話を聞いて、即決でレコード化してくれた。
ぼくが書いた作詞を横井弘さんが補作してくれた。
ぼくが書いた作詞の原文をなくしてしまったので、どのように補作してくれたのかが分からないのは残念だ。
確か作詞料を3千円頂いたことは覚えている。
映画のタイトルの文字も、ぼくが書いた文字、そしてそのバックに曲が流れる。
あんないい気分は二度と味わえない。
妹が入院していた東京女子医大の心臓病棟も守衛もガードマンもいない。出入り自由だ。
いい時代だった。
そんな中から、ぼくの名作『ぼくどうして涙がでるの』がベストセラーになり、映画にまでなった。
妹が二度目の手術の前夜、看護婦さんの寮に行って、写真を見せてもらったり、くしもプレゼントしてくれたそうだ。
亜星さんの言うように、「世の中動かす才能を待て」」というけれど、かつてのように、みんな歌える流行歌を取り戻す道のりはけわしいということか。
残念ながら、そんなヒット曲はもう生まれそうもない。
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コメント
亜星さんは、すごいですよね。 私には(寺内貫太郎一家)だったかの印象が強いです。
投稿: なみへい | 2017年3月 4日 (土) 19時48分